平和の時間を振る舞う



 白猿?

 ああ、あの白い毛皮の猿のことか。

 なぜ俺に頼むのか? という疑問は残るもののそれよりも気になることが。


「なぜ時間を指定するんだ? 大きな討伐作戦でもやるのか?」


「それは……話すと長くなりますがいいですか?」


「長くなるのか……それじゃあ、お茶でも飲みながら話そうか」


「はい、ありがとうございます」


「ちなみに言っておく」


「はい、何ですか?」


 一つ間を挟んで、あえて語気を強めて言う。

 こういう時は、あらかじめ言っておくことが重要なカードになる。たぶん!


「受けるとは限らないからな、時間が無駄になることも考えておけよ。大人ってのは自分勝手なんだよ」


「はい、もちろん承知の上です」


 おぉ、案外すんなり受け入れるんだな。

 もしかしたらよっぽどな状況なのかもしれないな。

 詳しく話を聞くと感情移入しそうで嫌なんだけど……。


「ムキュー」


 気になるなぁ、どんなお話ししてくれるんだろう。

 と、チビ森の話に興味深々なのだ。

 ムキュキュの可愛さには抗えんよ。


「それじゃあ、ムキュキュの好奇心に免じて聞こうか。コーヒーか紅茶どっちがいい?」


「あっ、えっと、どっちでも大丈夫です」


「じゃあ、俺がコーヒーの気分だからコーヒーにしようか」


「はい、ありがとうございます……で、物はどこに?」


 あー、そういえば……俺のスキル【タンス】ってどういう立ち位置なんだろうか?

 そう安々と披露していい物なのか。

 まあ、ええか、ムキュキュもさっきから「コーヒーってなぁに?」って興味津々だし。


「ワンコ」


 特に【タンス】を出現させるときは、呪文のような文言はないが、俺の中では「ワンコ」というのがこの三日間で癖になりつつある。

 まあ、目の前に半透明の箪笥が現れますわな。


 ちらりとチビ森を確認。

 うん、今のところ驚いている様子はないな。

 どんなスキルなのかと興味津々な顔はしている。

 そうか、チビ森はまだ知らないか。そうか、そうか。


「これはアイテムボックスってやつだな」


「アッ、アッ、アッ、アイテムボックス!?!?」


 妙なところでスタッカートを踏み、腰を抜かしそうになっているチビ森。

 てか、本当に転びそうになってるし。


「お、おい、気を付けろよ」


 慌てて、俺は手を伸ばす…‥が、本当に腰が抜けたのか?

 腰を後ろに引きながら、手を掴み損ねたチビ森。

 俺は一歩踏み込み、仕方なく……そう仕方なくだ。腰に手を回し、チビ森を支える。


 おお。

 今まであまり気が付かなかったけど、レベルが4になったからなのかチビ森が超軽く感じる。

 または、チビ森自身かなり体重が軽いのか。


「あっ、すいません……腰抜けちゃいました」


 ふははははっ、女子高生の腰を抜かしてやったぜ。

 とかいう悪役ではない。俺はあくまで紳士だ。紳士たるもの、女子をエスコートすべし。


「そんなに凄いものだったのか。いや、俺の方こそすまんな。変なタイミングで明かしてしまって」


「いや、凄いことを謝らないでくださいよ。私が悪いみたいじゃないですか」


 本当にもう訳なさそうな顔をするチビ森が俺の腕の中にいた。

 改めてくびれ凄いな……こいつ。

 まじでモデルとかやってそうだな、腰がきゅっと締まっている。それなりに筋肉も……おっと、危ない危ない。

 俺は紳士だ、考えることもダメだ。


「確かにな、俺が謝る義理はないな。うん、なんで謝ったんだろうな?」


「私に聞かないでくださいよ」


 俺の腕の中でニッコリと笑いかけてきた。


「さ、さあ、今から抱えるが文句言うなよ?」


「言いませんよ……変な目で見なければ」


「安心しろ、見た目が中学生は守備範囲外だ」


「私は高校……」


「例え中身が高校生だろうとな」


 そう言い切り、俺はチビ森を抱きかかえた。

 いや、マジで軽いな。

 こいつちゃんとご飯食ってるのか?

 元々やせ型だったとしても……細すぎる気がする。


「なあ、俺はこの街については詳しく知らないが……ちゃんと食ってるのか?」


「何ですか? 私の体を触って欲情したんですか」


「すまん、まじでこれっぽっちもないわ。じゃなくて、細すぎだ。ちゃんと食えてるのか心配でな」


「心配してくれるんですか? だったら……」


「それとこれとは話は別だ。俺は今、あくまでお前の食生活を心配しているんだ。話をすぐに逸らそうとするな」


 ぷくぅっと頬を膨らませるチビ森。

 まあ、可愛いが中学生にしか見えん。


「まあ……うちのグループはリーダーの方針で人数も多く常に食べ物がないですからねぇ、その日に手に入れた食料の量によって上下はしますね」


「要するに、食えてないってことだな」


「そうなりますね。たらふく食べられるものなら食べたいものですよ。でも、このサバイバル世界じゃ……」


「んじゃ、軽く料理も作ってやるから椅子に座って大人しく待ってろよ」


「えっ? こんな見ず知らずの私に食料を分けるなんて……聖人ですか?」


 こんな時にも冗談かましてくるチビ森を、俺はキャンプ椅子に無理矢理座らせた。

 そして、続々と調理器具を出していくのだった。


「大人しくしてろって。お前と話してると、調子崩されるんだよ。ずっと話しかけてくるなら、俺の料理はまずくなるぞ?」


「それは嫌ですね、黙ってます」


「おう、そうしてろ」


 早速、アウトドア缶にバーナーをセットし、火を灯した。

 次にコッヘルに水を注ぐぎ、塩を回し入れ、沸騰させるまで待つ。


「手慣れてますね」


「まあ、趣味だからな」


 それだけ返すと、チビ森は大人しくなった。

 本当にまずくなることを危惧している様子だ。


 水を沸かしている方とは別に、アウトドア缶とバーナー、コッヘルを用意する。

 そこにはトマトの缶詰を半分ほど入れ、あとはラップをして保管だ。

 さらにチューブにんにくを小指の第一関節くらい入れ、胡椒を少々振りかける。あとは奇跡的に残っていたベーコンを適当に切り分け入れる。

 本当はここに野菜がいくつかあれば良かったんだが、スーパーの野菜はすでに食い荒らされていたので今回はお預けだ。

 あとはじっくりコトコト煮込む。


 と、そうこうしているともう一つのお湯が沸いた。

 そこに乾燥パスタを半分にポキッと折り、入れる。

 半分に折る理由は……まあ、そのままだと入んないからな。それにお湯の加減も慣れでどうにかなるものだ。


 まあ、ここまでやれば誰だって何を作っているかは分かるだろう。


「トマトパスタですか? 楽しみです」


「おう、キャンプ飯は絶品だぞ」


 アルデンテになるよりも少しだけ固めの状態でお湯からパスタを取り出す。

 そして、そのままパスタを止めとソースの方へと入れる。

 さて、ここにオリーブオイル少々、粉チーズ、パセリをお好みで入れていき、数十秒煮込むと……。


「完成だ。名付けて、本栖湖を見て作ったなんちゃってトマトパスタだな。なお、野菜はない」


「いえ、温かいものは久しぶりな気がします……」


 さっきとは打って変わって妙にしおらしいな。

 これも演技か?


 ……いや、俺の考え過ぎだったか。


 目の前には一心不乱に俺の作ったパスタを口へと運ぶチビ森の姿があった。

 それを見てしまった俺は彼女を疑うのが馬鹿らしく思えてきたのだ。


 そうだよ、チビ森だってまだ十八のか弱い女性だ。

 いきなりこんな世界になり、生き延び……それなりの力も持ってしまったようだ。

 少ししか話をしていないが、チビ森が本当に仲間思いなのはすぐに分かった。

 自分の体を見知らぬ俺に売り飛ばそうとしたくらいだ、そんなのはすぐに分かった。


 重圧もあっただろう。

 恐らく食料だって、子供や老人に分け与えていた側の人間だろう。

 辛かっただろう。

 考え事も多かっただろう。


 それらは彼女のやせ細った体が、滝のように流している涙が、ありがとうと言い続けるその口が。

 彼女の境遇を如実に物語っていた。


 ああ、そうか。

 これかもしれない。

 俺はこうするべく、力を手にしたのかもしれない。


 これは俺の傲慢な考えかもしれない。

 それでもそうするべきだと心の奥の熱い何かが語り掛けてくる。

 これこそが俺に与えられた役割なのだと、語り掛けられている気がする。


 別に世界を救おうって話じゃない。

 彼女のような境遇の人たちに食べ物を振る舞うだけでもいい。

 それが彼らの心を少しだけ豊かにできる、昔の平和だった世界を思い出させることができる。

 そして、巡り巡って俺に返ってくる。

 俺はこの考えがとても好きだ。相手を思う行為は、自分にも返ってくるという考えが。

 ただ、全てをやるわけではない。

 あくまで自分ができる範囲、自分が死ぬことのない範囲だと断定したときだけだ。

 その点、食事を振る舞うってのはごく簡単で、危険のない誰でもできることだ。


 これなら、俺にだってできるんだ。


「美味いか?」


「うん、うん、うん……超美味しいよ、野菜ないのに超美味しいの」


 ボロボロと零れる涙は、パスタの入ったコッヘルの中に落ちていく。

 それでも食べる手を止めないチビ森。


「ああ、すまんな。今度は美味しい野菜の入ったパスタを作ってやるよ」


「うん、待ってる」


 涙を流しながら向けられた彼女の精一杯の笑顔を、俺はたぶん一生忘れることができないだろう。

 それほど強烈で、可愛くて、鮮明に脳裏に焼き付けられていた。


 少しして、チビ森は袖でゴシゴシと強く目元を拭きだした。

 俺はそれを慌てて止める。


「おい、そんなに強くこするな。この世界には病院もないし、薬だって数が決まっているんだ。病気になりそうな行為はあまり感心できないぞ」


「うん、分かった……」


 ぐすんと鼻を啜りながら、首を縦に振るチビ森。


 あー、そうか。

 これがチビ森の素の姿か。

 何ということもない普通の高校生。

 大人の階段を上っている段階のごく普通の高校生じゃないか。


 この終末世界が彼女をあんな性格に変えたのかもしれない。

 人は環境によって性格を変える生き物だ。強い衝撃の後に、性格が変わることだってある不安定な生き物だ。


「ほれ、コーヒーだ。飲めるか?」


「うん、ありがと」


 まだ少し赤くなった鼻を啜るチビ森に、作っておいたコーヒーを渡した。

 そして、ちびちびと飲み始める。

 そんなチビ森を純粋なムキュキュは励ましたくなったのか、頭に乗りながらずっと優しく撫でていた。


 いい絵になるな……可愛い女子高生に無敵の可愛さを持つムキュキュ。

 うん、悪くない。


 そう考えながら、俺もコーヒーを少し飲む。


 はぁ、美味い。

 本栖湖というキャンプ場も相まって、さらにうまく感じる。

 この苦みと深み、それに富士の天然水。

 自然の空気とコーヒーの香りが口内で混ざり合い、最高の味を演出してくれる。

 まさに粋なコーヒーの楽しみ方である。


 ちなみに俺とチビ森は机を挟みつつ、湖に体を斜めに向けながら座っている。

 もちろん極上のキャンプ椅子だ。

 座り心地は、最高に包まれている感じだ。


 ムキュキュにも励まされ、少しづつ冷静になり始めたチビ森に俺は声を掛けた。


「話せるようになったら、好きなタイミングで話し始めていいぞ。俺にはライブの予定も、サッカー観戦の予定も、ソロキャンの予定もないからな」


「うん、ありがとう」


「気にするな大人の余裕ってやつだよ」


「じゃあ、話すね――」


 そうして、チビ森はぽつぽつと話し始めた。

 俺を見つけた経緯、そして俺に協力してほしい理由を。





「なるほどな、理由は分かった」


「じゃあ!」


 表情を明るくし、勢いで立ち上がろうとするチビ森。

 急な姿勢の変化に思わず頭から落ちそうになるムキュキュ。


 俺はあからさまに言葉を被せた。


「現段階では何とも言えないな」


「え?」


「正直言うと、その『白猿』ってのを一回だけ見たことがある。……が、俺はあんなに強いモンスターと戦ったことがない。勝てる確証がないんだよ。俺は保守的な考えの持ち主だ、無謀な賭けや勝負ってのはしたくない……というか絶対にしない、この世界だからこそな」


「そんな……」


「すまんな、俺はロクデナシの大人なんだ。週刊誌に出てくるような正義のヒーロでも、世界を救うチート級の主人公でもない。普通の大学を出て、普通の職業に就き、普通に生きてきた人間なんだよ」


「で、でも! 氷一郎なら、絶対に勝てるって私が保証できるよ! ね、だめ?」


 空回っている。

 そんな空気を察したチビ森は尻すぼみに声を小さくしていった。


 すまないな、俺は普通の大人なんだよ。

 まあ、でも……。


「最初は遠くから様子を見ているよ。勝てると判断したら参加してもいい。が、無理そうなら俺はお前らを見捨てて引き返すかもしれない。それでもいいなら、考えよう」


「ほ、本当に!?」


「ああ、チビ森もチビ森なりに頑張っているようだしな」


 腰が抜けていたはずのチビ森が急に立ち上がった。

 そして、勢いよく。


「ふがっ!?」


「ありがとう、氷一郎!!」


 俺の顔面に思いっきり、適度に実ってしまった胸を押し付け感謝してきたのだった。


 まあ、これを引き剥がすのは大人じゃないな。

 それに……。


 これはこれで悪くはないな。

 ポヨンとした弾力の中に、埋まるような……。


 はっ!?


 気が付くと、ジッと俺の顔を見降ろしてくる視線が……。


「あれぇ? あれれれぇ?」


「いや、これっぽっちも……」


「それ嘘だね」


「す……すまん」


 どうやら女子がエロい視線に敏感だという噂は……本当のようだ。

 紳士諸君。

 ないとは思うが、そういう考えは捨てような。お互いに。

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