おぅふ、シャンプーの香りが……



 ――街の廃れたマンション内。


「うーん、ここにもいなさそうだなぁ。氷結さんは何処へ」


 私、紫森ねむは誰よりも早く起き、助っ人たり得る可能性を持つ氷結さんを探し歩いていた。


 正直、昨日の夜も遅くまで動いていたから眠くてたまらないけど、私の大好きなこの街はこれ以上誰にも壊されたくない。

 楽しい思い出も、つらい思い出も、何でもない思い出も、全てはこの街と富士山に紐づいている。


 それに私には与えられた役割がある。

 別に役割を全うする必要も義務もないけど、大事なポジションであることは理解している。


 さて、切り替えていなかないと。


「私が氷結さんならどこに向かうかなぁ……普通なら富士山? それか五胡かな? まあ、とりあえずそっちの方まで足を延ばしてみようかなぁ」


 そう決まったら、急ぎますか!


 その場で何度か深呼吸し、息を整える。

 そして、スキル【地中潜り】発動。


 私の体は地面に落ちるように、海と化した地面に潜っていく。


 まあ、正確には「地中に潜る」という表現は正しくもあり、正しくない。

 あくまで他人から見ると、私は地面に落ちていったように見える。実際に地面に潜るまでの私もそう見えている。

 しかし、潜った先、そこに広がるのは薄暗く、ちょっぴり茶色い半透明な水で満たされた地上になっているのだ。


 何を言っているのか分かりづらいと思う。

 要するに、地面の下に地上と全く同じもう一つの世界が広がっていると考えてもらえれば理解しやすいだろう。


 それで、その薄暗い世界――私は地中世界と呼んでいる――を泳げば、実際に地上でも同じように移動したことになるのだ。

 それだけじゃない。

 地上からは私の姿は見えないし、感じることもできない。

 逆に地中世界からは地上世界のことが手に取るように分かるのだ。もちろん干渉はできないけどね。


 さらにさらにだ。


 これだけじゃない。

 地中世界は地上世界よりも数倍早く移動することができる。

 もちろん地中世界を移動するには、水で満たされているので泳ぐ必要があるのだが、それでも地上で走る車くらい、最大で約百キロ近くの速度を出すことができるのだ。


 まさに私の役割に適したスキルである。

 まあ、普通のスキルではなく、アキラっちと同じEXスキルなんだけどね。

 このことは赤司さんにも教えていない秘密。

 可愛い女の子には秘密がつきものなの。


「ん?」


 地中世界を泳いでいると、本栖湖の方から変な振動が水を伝って伝わってきた。


 これは……バイクの音?


 それも普通のバイクじゃなくて、ちょっと特殊なエンジン音だね。

 この街にはそんな無鉄砲な行動をする人はいない。そんなことをすればすぐにゾンビの群れに捕まり、殺されるだけだから。

 この街の最強アキラっちだってそんな無謀なことはしない。アキラっちは少し安全志向なきらいがあるけど、それでもだ。


 よっぽどのバカか、自殺志願者か……外部の人間か。


(ビンゴっ! 氷結さん見っけ!)


 私は最大速度で地中世界を泳いでいく。

 徐々にバイク音との距離が詰まっていくのが分かる。

 だけど、だけどさぁ……。


(氷結さんスピード出し過ぎじゃない!? こんな世界で九十キロ近く出してるんですけど!? えっ、モンスターどうやって処理してるのさ! 無視するにしても限度があるでしょ! ほんっとうにわけわかんない!!)


 なんかもう色々と訳が分からなくなってきた。

 この終末世界での常識外れというか……常識って何? って言葉を突き付けられている気分になってくる。


 でも、これが氷結さんの強さの秘訣なのかもしれない。

 それぐらいぶっ飛んでいないと、この世界では強くなれないのかもね。

 アキラっちも相当変な道のりを歩んで、今の強さを手にしたみたいだしね。


 そうして、氷結さんの考察をしていると。


(あっ、音が止んだ? 最後に水の振動が止まったのは……本栖湖のキャンプ場かな? うん、絶対にそうだね。これで……ようやく会えるね、氷結さん)


 一体、どんな人なんだろう。

 遠くから見た感じ男の人で、歳もそう食っているようには見えなかったけど。


 問題は性格だよね。


 正義感強い人なら、今回の話に限ってはすぐに決着が着くと思う。

 逆に犯罪者予備軍みたいな性格をしていたら、私の身が危ないかもね。でも、私の体一つで頼みごとを聞いてくれるならそれはそれで安いものだよね。『白猿』がこの街からいなくなると考えればだけど。


 まあ、確実変な人だとは思う。

 じゃないと、こんな時期にバイク乗ってこの街に来るなんてバカのすることだもん。

 頭のネジは数本飛んでいると考えていた方がいいかもね。


(あっ、見えてきた!)


 そうして、私の目にはついに彼、氷結さんを捉えることができたのだった。

 そこにはバイクに半分くらい体重を掛けながら、ステータスカードと睨めっこをする男性の姿があった。

 恐らく歳は……私とそう変わらないくらいか、大学生くらいかな?


 というか、予想通りやっぱり氷結さんは『カード持ち』だったんだね。

 私の見立ては間違いじゃなかった。


 さて、この人をどうやって仲間にするか。

 それが問題ですね。


(これは私の腕の見せ所だよね。待ってて赤司さん、私の体が例え汚れたとしてもみんなのために頑張るよ!)


 彼の背後に出るように、私は地中世界から地上世界へと這い出たのだった。




 ******************************




 目の前に現れたそのキャップ女子は……あっ、大型スーパーの子じゃん。

 昨日は遠くから眺めてたから何となくで認識してたけど、近くで見ると結構可愛いな。


 キャップの中に隠れて分かりづらいけど、綺麗なストレートの肩くらいまでの黒髪。透き通るほどの綺麗な白い肌に、綺麗な歯並び、芸能人並みの大きな瞳。

 ただ超ちっこい。身長百五十あるの? ってくらい。

 それでも出るとこはちゃんと出て、引っ込むところはしっかりとくびれている。


 まあ、俺にとって中学生は守備範囲外だ。

 ……って、高校生だっけ?

 それも高校三年生……うん、キャップ女子よ。身長はいつか伸びるさ、自信もって生きていこうね。


「何か変なこと考えてませんか?」


 げっ!?

 こいつエスパーかよ。


「私、結構そういう視線に敏感なんですよね。でも、まあいいです。お兄さんが私の話を飲んでくれるなら、エッチなことの一つや二つくらい……」


「いや、そっちはマジで一ミリも考えてないです」


「なっ!? 私を見て発情しないんですか!? どんな教育受けたら、そんな鉄仮面みたいな成長するんですか!?」


 大げさとも捉えらえるほどのリアクションで驚いている様子のキャプ女子……紫森さんだっけか?

 まあ、チビ森さんでいいや。


「いや、驚きすぎだから。逆に君の教育方針の方が疑問だよ。で、紫森さんは俺を探していた様子だけど……はっ!? まさか!? 俺に一目惚れしちゃった的な!?」


「それはないです」


 あからさまに目を細め、ジトっと否定してきたチビ森さん。

 いや、年下にさん付けもおかしいか。チビ森ね。

 でも、面と向かって否定されるとそれはそれで何かもにょります。

 おじさん悲しいです。年は四個しか離れてないけど、ちょっぴり悲しいよ。


「えっと、じゃあ何で? それ以外の理由が俺には思いつかないんだけど。正直、女子高生にモテるような顔してる自覚はないんだよね。どちらかというと年上に好かれるタイプ……だよね? 俺の顔って」


「いや、年下の私に聞かれても分からないですよ。そんなことよりもですね!! 氷結さん!!」


 語気を強め、いきなり顔を近づけてきたチビ森。

 思わず、顔を逸らしてしまった俺。

 ふわりとシャンプーの良い香りが……えっ、街でもシャワー浴びれたのかな。わざわざここまで来る必要なかったのかも。


「あの……えっと……」


 凄くキラキラした純粋な目で見てくるんだけど……。

 チビ森、やめなさいその目。

 例え守備範囲外だとしても、ちょっとドキッとしちゃうから。

 それに結構やばい、その麗しく立派に成長してしまったお胸がガチで当たりそうなんですけど。


「氷結さんですよね!?」


 おうふ。

 今どきの女子高生怖い。

 凄くいい香りがするのも、一周回って怖いよ。


「その氷結さんって……ああ、いや、まあ……確かに氷のスキルはあるけどさ。俺のこと言ってるの?」


「やっぱり!! あれ、コンビニ丸ごと凝らせてましたよね?? それに自販機のベンチに座って、大声で叫んでましたよね??」


 コンビニ丸ごと凍らせた?

 ……ああ、それは確かに俺だわ。


 ベンチで大声で叫んでいた?

 ……うん、それも俺だわ。


「あっ、うん、たぶん俺は氷結さんだわ」


 うぉーーーいっ!!

 周りに人がいないと思って叫んでたけど、まさかのいたパターンですか!?

 やばい、超恥ずかしくなって来たんですけど。

 いやぁ、女子高生に見られるとか、弱みにぎられるぅ。


「おっとぉ? 氷結さんの耳赤くなってきましたよ?」


 つんつんと俺の耳を上目遣いで触ってくるチビ森。

 おい、その身長生かすの上手いな!

 可愛い女子高生が上目遣いでツンツン攻撃は卑怯だぞ!!

 そりゃ、どんな男だってもにょるわ。それか襲うな!


 俺には襲う勇気なんてないけどな。

 ああ、そうですとも。このまま生きて行けば、魔法使いになれてしまうかもしれませんね!


「……ち、近いです」


「ん~? 聞こえないですよ?」


 あからさまに俺をからかい始めたぞ、チビ森め。

 俺の口元に、もうすでに触れそうなほど耳を近づけてきている。

 あー、もう、こいつはあれだ。絶対パパ活やってたタイプの女子高生だな。


 そうだ、落ち着け~俺。

 相手はビッチだ、それはもうビッチだ。

 そう考えれば、何ということもないただの女子高生だ。

 ほら見ろ、全然可愛く無くなってきたぞ。むしろこんな女子高生東京にわんさかいるぞ。


「これ以上、近づいたら凍らせるぞ」


 言ってやった。

 言ってやったぞ、できるだけ語気を強めて冷たく言ったぞ。


「えっ?」


 成功だ。

 チビ森は明らかに驚いている。

 驚きのあまり、足を一歩引いて顔色青くしてるじゃねぇか。

 ふふふっ、これぞ大人の力よ。

 悪く思わないでくれ。


「で、話って……」


 そう言いかけた、その時だった。


「ムキュー?」


 背後からムキュキュが、俺の肩に飛びついてきたのだった。

 その人だぁれ? と聞いてきているのが分かる……分かるのだが。


「えっ!? モンスター!?」


 目の前には動揺し、身構えてしまったチビ森の姿が。

 彼女はいつでも動き出せるように、腰を低く構え出していた。


 ムキュキュよ。

 さすがにタイミングが悪すぎるとは思わないかね?

 俺は超思ってるよ。

 うん、でも気づいてた。ムキュキュは好奇心旺盛な育ち盛りだ、俺が見知らぬ人と話してたら真っ先に気になるよね。うん、知ってた。


「あー、えっと、こいつは大丈夫です。俺のペットなので」


「は? ペット? でも、明らかに新種のモンスター……」


「ムキューッ!!」


 僕はモンスターじゃない!

 僕はムキュキュだもん!

 主のペットだもん!


 そう言っているのが、分かる……がチビ森にはその言葉は伝わらないんだよなぁ。

 若干、ビクッと反応しているチビ森。

 まあ、いきなりモンスターと思っていた奴が鳴き叫んで来たら驚くよな。

 俺がそっちの身なら、反射的に凍らせてるかもしれない。


「ムキュって鳴き声なの?」


 少しだけ冷静さを取り戻してきたチビ森が、恐る恐る聞いてきた。

 うん、可愛いだろ?


「あー、えっとですね……僕はムキュキュだぁ! って言ってますね。ちょっと怒ってますけど、可愛いでしょう? うちのムキュキュ」


「ムキュキュって名前の子なの?」


「はい、ムキュって鳴くので『ムキュキュ』と名付けました。俺、名付け親なんですよ、凄いでしょ?」


「あの……えっと、はい。前衛的で素敵な名前だと思います……はい、私は芸術とかはよく分からないので、すいません」


 それはやんわりと俺のセンスを否定していないかな?

 否定するならもっとズバリ言ってほしかったな。

 やんわりと否定されると、逆に心に来るものがあるよね。


「ムキュー?」


 それで結局、この人は主のお友達なのー?

 と聞いてきたムキュキュ。


 うん、何と言えばいいのだろうか。

 チビ森と俺の関係は……そうだな……。


「俺が言い寄られている的な感じかな? たぶん」


「ちょっと! それでもいいですけど、本題は聞いてくださいね!」


 なんか急にチビ森が本来のオラオラ感を取り戻してきた。

 こいつの素がどれなのか、もうよく分からないな。


「うん、いいけど。その本題って何?」


 先を促すと、「やっと聞く気になったよ」と言わんばかりに安堵の表情を浮かべるチビ森。


 なんとなく気が付いてたけど、チビ森。

 お前、案外分かりやすい表情するよな。リアクション芸人とか向いてそう。可愛いからなおさら、画面映えするだろうよ。

 まあ、そんなことは面と向かって言えるはずがない。

 相手は女子高生だ、訴えられかねない。前の世界ならね。


「まず氷結さんの名前を教えてもらえませんか?」


「あー、うん、逢坂氷一郎」


「氷一郎さんですね」


「逢坂さんって呼んで」


「何でですか? 下の名前で呼んだ方が親しみ合っていいじゃないですか」


「紫森さんが言うと、心臓に悪い」


「そうですか、では氷一郎さん」


「話聞いてた?」


「氷一郎さん、本題というのはですね…‥」


 ダメだ、こいつ全然話聞いてくれないわ。

 頑固というか、とことん自分の有利な方に駒を進めたいタイプの人間だな。


 俺は続きを静かに聞くことにした。

 だって、こいつと話してると疲れるんだもん。


「氷一郎さんの力をお借りして『白猿』を討伐したいのです、できれば明日のお昼に。時間指定です」

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