4-14.夜襲
夜の森はこの世の場所ではない。
高い樹冠で鳴き交わす、人声とも獣ともつかぬ声。マンドラではこれに答えると魂を奪われると言われている――――
ダーランの都から森に入った一行を先導するのは、夜目が効くタルタデスの戦士たちだ。
そしてルシンタを筆頭に、ミケラン、シャオ、武装した聖なる囚人号の航海士と乗組員の総勢十人あまりが巨大な葉影や這いまわる蔦に時折よろめきながらも移動し続けていた。
幸い、体格の大きなタルタデス人たちが通った後は歩きやすい。
こんなけもの道を御輿から降りて歩くのは一体いつ以来だろうか、とミケランは嘆息する。
おまけに、だんだん傾斜がきつくなっていく。
「教えてください。王と、僧院、そして神女はどういう力関係を持っているのですか」
そんな道をとくに苦でもなさそうに歩くシャオがミケランに尋ねた。
どうやら植物をかき分けて歩くのには慣れているらしい。
「王は俗界を、僧院は神界を、そして、神女は、ジンハ教が伝播してくるよりもはるかな太古から在るこの島の力を司ってきた……しかし僧院はいまや大僧正ランダのもとで王家をも凌駕する権勢を有し、残るはマンドラの神女たるシュリガ族だけ……それも、今はもう……」
ミケランが話しているその時。
タルタデス人たちが足をとめ、シッ、と言った。全員がぬるい闇の中で立ち尽くした。
下方の闇から、鉄の武器のこすれ合う音が聞こえてくる。たいまつの列が炎のムカデのようだ。
「あれは……まずいです、王子。もしや、“陸鮫(オカザメ)”たちもいるかも……」
「……わかっている!」
わかってはいるが、血の気が引いていくのはどうしようもなかった。
「陸鮫?」
言葉を失ったミケランの代わりにルシンタがシャオに説明した。
「かつて、神魔の森に逃げ込んだシュリガ族たちを狩りたてたのも奴らです」
「あちらからは我々の姿は見えていないようですが」
「奴らは耳や鼻が常人の何倍も鋭いのです。その上……血の匂いで狂乱します」
息をひそめて進み続けると、森の小道が開けた。
入山口へと至る道は険しい岩が侵入者を怖気づかせるように黒々と突き出ている。
タルタデス人たちが警戒の声を上げ始めた。
瞬間、緑の闇をネズミが通ったほどの音だけを立てて、影が襲いかかってきた。
水夫の一人が突き飛ばされ、迎え打つタルタデス人の硬い石槍と影が繰り出した曲刀の暗殺剣とが甲高く火花を散らした。
「ぐああっ……?!」
突き飛ばされた水夫……首から護符をいくつも下げていたアガルスタ人が切り裂かれた胸を血まみれして倒れ伏した。切れたビーズがばらばらと彼の回りに落ちる。本当は喉笛を一挙に裂かれていてもおかしくなかった。首飾りが護ったのだ。
襲撃者は“陸鮫”などと呼ばれてはいるが、人間……少なくとも見かけはそうだ。
黒い大海を表す流波模様の黒衣をまとい、荒々しく尖った吻(ふん)の仮面を本物の鮫の歯で飾り立て、両腕には長くヒレのように突き出した刃の籠手をはめている。
彼らを出動させたということは父王が……あるいはランダが本気である何よりの証拠だ。
そう、こうして宮を抜け出し、異国の王子の庇護を頼って山中をあてどなく彷徨いながらもミケランはまだ未練がましくも信じていたのだ……自分だけ、違う。自分だけは最後の最後には助けてもらえるに違いない、と。
否。自分こそが狙われているのだ。実の父親に。いい加減、目を覚ませ。
「ミケラン様に、手出しはさせない!」
ミケランをかばって立つシャオに陸鮫が飛び掛かる。
シャオはその動きを完全に見切り、跳躍するや、頭上に張り出していた枝を掴んで振り子のように足を蹴りだした。
顎を割られた影が仰向けにひっくり返った先に軽々と降り立つ。
さらに闇の奥から二つの影が貪りつくように飛びかかる。それを無心に見える動きで躱した瞬間、舞踏の相手を次に押しやるかのように受け流す。
もつれ合った陸鮫たちが体勢を崩した。
その隙にシャオは倒れていたミルザーを抱えるようにしてこちらへと退避した。
「ああっ……船長、船長……!」
「おれが、運びます!」
確か、イアルという名の若い船員がミルザーの身体を支えて申し出た。
「頼む、イアル。ウィル殿! ここは我々に任せて、ミルザーを連れて海岸に退避、彼を手当てしてあげてください。船長命令です!」
船員たちはシャオが陸鮫たちをあしらった華麗な姿を見ても特に誰も驚きもしなければ感嘆もしていない。
ミケランは打ちのめされ、震えながら言った。
「ウィル殿、ミルザー殿は私を狙う凶刃の餌食となった……申し訳なく思う」
「……勿体ないお言葉です、殿下。船長たちも、くれぐれも、お気をつけて!」
ウィルは緊張感をみなぎらせつつ、ミケランに快活に請け負ってみせると
シャオに特に忠実な船員数名、そして無口ながら黙々と王子に付き従うタルタデス人を残して退避していった。
三人の”陸鮫”もその間に体勢を立て直しているが、彼らの本分は遠隔からの追跡と奇襲攻撃であり、すでに失敗している。
そうなると……状況は、もっと悪い。彼らは、全力でこちらを消しに来る。
岩を背に追いつめられる。助かる方法を考えようとしては思考が砂のように零れ落ちていく。その時。
何の前触れもなく、岩場の上にわだかまっていた闇がうごめいた。
「……?!」
闇だとばかり思っていたものは……動く影だった。
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