4-13.起死回生

 王都ダーランの裏……花街通りは終わりなき夢幻のように煌々と輝き渡っていた。


 余所が沈みきっているせいで余計そう見えるのかも知れない。ともかく、絶壁から宮に再び這いあがり、抜け道を駆使してようやく宮外へ出てから森を突っ切ってきて疲労困憊しているミケランには通りの両側に出ている屋台からあふれる香辛料やナッツ麺麭(パン)の庶民的な香りすらも極上のものに思えた。

 だが、間違っても所望してはならない。

 今、顔をさらすわけにはいかない……

 マンドラの王子ともあろう自分が、"女装"して夜の街をさまよっていることを知られるわけには。


 ミケランはずるずると足にまとわりつく長い巻きスカートに苦労していたが、前を行くルシンタはさすがに慣れており、完全に、不慣れな妹を導く姉といった風情だ。

 シャオと船員たちの居場所はすぐに分かった。

 ひときわ豪奢な灯明とたいまつで飾り立てられた高級宿兼娼館の外に人だかりが出来ていたからだ。


 頭からすっぽり“女物”の被布をかぶった二人はするするとその人だかりを抜けた。花女たちがうっとりとみやる輪の中心へと。

 物憂げな気配をし、群青の絹衣をきちんとまとったシャオの横顔は昼間にも増して玲瓏だった。

 回りのどんちゃん騒ぎすら麗しの聖人を讃える祝賀行事に見えてくる。

 酒と、たいらげおわった食事が散らかったテーブルを共にしている航海士たちはさながら用心棒か防波堤のような有様で、神々しいほどの美青年に燃えたぎる熱視線を向ける女たちから護っている。

 だったらこんなところに来なければと考えたくなるが、文字通り衆人環視状態であり、王宮の兵が来ても女たちがすぐに教えてくれるというわけなのだろう。


 テーブルに近づいた二人に、北方人特有の金髪頭をした航海士がめざとく気づいた。

「お嬢ちゃんたち抜け駆けかい? おあいにく様、うちの船長はお触り厳禁でねえ」

 と、ちらりと注意を向けたシャオが驚き、手にしていた硝子の酒杯を置いて腰を浮かせた。なぜかその中身は冷茶のようだったが。

「アンセル! それは……“その方”だ」

 空気を察したアンセルがフードの中をのぞきこみ、あ、と声をあげた。

 シャオは頷き、自ら“少女”の手を引くと西方人の履くブーツの足音を木床にさせて店の奥へと進む。

 突然いなくなったシャオの麗姿に店中の美女たちから悲鳴が漏れ、立ちはだかる船員たちに向かって情け容赦のない罵声やゴミが投げつけられ始めた。


 隠微な照明と芳香が漂う奥まった“連れ込み部屋”に入るや喧噪も遠のく。シャオが丁寧な所作で手を離し、振り向くと一礼した。

「ご無礼をお許し下さい、ミケラン王子、心配しておりました。いかがなさ……殿下!」

 答える前に、シャオの手にすがりつこうとしてついに倒れこみ、逆に体を支えられる羽目になった。

 安堵のあまり膝が震え、立っていることが出来ない。

「わたくしは王子の従者のルシンタと申します。シャオ様、我らが王はミケラン様に死刑を宣告なさいました」

 ミケランを支えるシャオに、同じくフードを取ったルシンタが悲痛な声を洩らす。

「わたしの元には王宮から招待が……しかしミケラン様の連絡もなくお受けするわけには参りませんでしたので、急きょ、このような場所に……」

 なんとか立ち直ったミケランはシャオの言葉をさえぎった。

「お願いする、どうか心から教えて頂きたい。貴方は……わがマンドラの、敵なのか?」

「……わたしが、旅人の姿を借り、この身分を利用して貴方のお国に入り込もうとしたのは事実かもしれません。しかし、それは貴国から何かを盗もうとか、何かを奪おうとか……そのような目的のためではないのです」

 シャオはそっと身を屈め、ミケランの目線に自らの瞳を合わせた。そして、微笑む。

「わたしの定め、だったのです、このマンドラ島に来ることは、長年。それは時には恐ろしく時には高揚する……夢でもありました。全力でお命をお助けします。すべてをすぐにお話しすることは残念ながら出来ませんが、この島は貴方がたが思う以上に恐ろしい状況にあるようです。ミケラン様……よくぞ今まで、お一人で耐えてこられましたね」

 会ったばかりの旅人の言葉。誰も、マンドラ島ではかけてもくれなかった言葉に。

 ミケランは、声を殺してシャオが伸ばした腕にしがみついた。

 しなやかでいて揺るぎないシャオはびくともせず、包み込むようにミケランの肩を抱き寄せた。

 ようやくシャオの胸から顔をあげる。

「シャオ殿、貴方はもしや……アルメリカ姫の想い人では?」

 すると明らかに、シャオの身体が震えた。激しい動揺と共に。

「アルメリカ……と仰ったのか、今?! 姫? 姫、とは?!」

「我が父と、シュリガの神女の間に生まれた過ちの娘にして希望の娘です。今から十三年前、グレン・フレイアス卿が我が父王の魔手から逃れさせたのでしょう……」

「その件なら……不肖わたくしも、存じ上げておりました」

 戸口に立ったウィルが割り込んで言った。慇懃な表情はなりをひそめ、鎮痛である。

「では……ミケラン様、貴方はアルメリカ……さんの異母兄でいらっしゃる……と?」

 ミケランとウィルを交互に見やるシャオの顔色の豹変は痛々しいほどだ。 

 だが、彼は内心の何かを受け止めたかのように頷き返し、悲愴なまでに言い切った。

「彼女はわたしの命そのものです。やはりフレイアス卿の船でご到着だったのですね、マンドラに? 心からお願い申し上げます、すぐに会わせてください!」

「それが……」


 ルシンタが事情を話す間……地下空洞での不名誉な出来事については巧みに誤魔化しつつ……シャオは腕組みをし、じっと耐えるような顔つきをして飾り棚の方を向いていた。

 同じく、蒼ざめた顔で聞いていたウィルが呻く。

「しかし女二人の足で一体どこへ……港への道は常に検問されていましたぞ?」

 イルライ山だ、とシャオとミケランの声が重なった。

「ミケラン様、なぜそう思われる?」

「姫はイルライ山に登ることに固執していました。高い所が好きだとか、何とか」

「……フレイアス卿が、緑神に出会った場所……」

 シャオの長い睫が、深い畏れの淵を覗き込んでいるように震えていた。

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