4-6. 悪意


「なぜだ……? 自分を殺そうとしたような母親を、なぜかばう?!」

「かばってるんじゃないわ、あんたたち全員の愚かさに呆れかえってるのよ。ぜんぶ何かの間違いよ! いつ、誰が赤ん坊(わたし)が殺されそうになってる現場を見たというの?」

「そ、それは……ジンハ教の僧侶で、今は大僧正になっている者が……」

「きっとそいつ酔っぱらっていたか、最初から悪意があったのよ。お母様がそんなことをしたはずないわ、だいたい平和主義者のグレンにどう説明するのよ? 男に嫌われかねないようなことを賢い女性がわざわざするものですか! こんな簡単なことも分からないほど、誰も言い出してくれないほど……セリカ様には味方がいらっしゃらなかったのね。御可哀そうに……」


 噛みついていたかといえば、殊勝に哀れんでみせる。

 そのどれもが嘘偽りのない、アルメリカという娘の心そのものだった。

 とうとうミケランは混乱してきた。


「ジンハの高僧が、悪意など……あるはずが……!」

「本気でそう言ってるの? 本当に色々麻痺しているわね……生臭坊主って東方の言葉、御存じ? グレンおじ様のほうが色々な意味でよほど坊主っぽいわよ」

「ならば、どうしてグレンが居ないのに、上陸を強行したのだ! グレンがいれば狂った王や邪悪な僧にだって対抗出来たかも知れぬものを!」

「どんなにひどい所だとしても、故郷は故郷。わたし一人でも来なければならなかったのよ! いいこと、わたしは、死なないわ。どんな目にあっても……成すべきことを成すまではまだ死なないと決めたのよ!」


 何度目か分からないほど、ミケランはまた圧倒された。

 あまりに強い意志、強い瞳。


「……よい覚悟だ。もはや我らの間に腹蔵は無用。貴女の船の船員を買収した。それによるとグレンは中央海峡を抜けた辺りから船室から一切出なくなった、とか。小型艇が一つ、晩のうちに消えたのはマンドラの海域に程近い場所。とてもアガルスタに商用に行ったとは思えない……つまりグレンは、ポルテ=サスラをわざと避けて我が島へ密入国した……そうであろう?!」

 不意の尋問に、少女はまだ幼さの残る美しい顔に艶麗にして勝気な笑みを浮かべた。


 少女の小ぶりの手が、背伸びをし、頬を包み込んできた。息が詰まる。


「グレン、グレンって……貴方、もしかしてそっちの気の人なの? 自分だけが正気だと思っているわけ? 貴方もわたしも残念ながら狂いかけているわ……それに貴方って笑いながら虫を殺して幼年期を過ごしてきたクチでしょ」

 この娘の純真可憐そうなのはまさに見かけのみ。中身はとんでもない悪童並みだ。

 ミケラン王子は虫への虐待疑惑を断固否定することすら忘れて、あえいだ。

「……どうして、貴女はなんでも分かるのだ?」

「貴方達みたいな高慢で歪んだ金持ちのクソガキどもに苛められまくっていたからよ」

「……姫が?!」

 今の、ついに我慢し損ねたような問いかけはルシンタだ。

「グレンおじ様のほうがそういう輩より実は何倍も金持ちだったのだから、所詮貧乏人のひがみよ。頭に来過ぎたからある日全員呼びだして突き落としてやったわ、川にね。その後で自分も飛び込んであそこから逃げた。下手にアシがつくと面倒だったし……そのまま隣の岬まで泳ぎきってやったの。大人たちが大騒ぎで、いい気味」

「……で、城の外でどうやって生きていったのだ? 召使は何人連れていった?」 

「バカいわないで、何が召使よ。城なんて場所こそ精神を歪める監獄や学校と同じ。二度と戻ってやらなかったわ、元はと言えばあんな檻の中にわたくしを放り込んで放置したグレンが悪いんだから! とにかく、グレンおじ様は居ないのよ。いくらおじ様でも養女たるわたしを監獄以下のこんな場所に送り込むと思って? お願いだから、分かって頂戴」

 アルメリカが手を離していく。微熱が、尾を引いているような気がする。

「わたしにだって、おじ様よりも自分よりも大切な人が居たのよ……でも、総督に逮捕されてしまった……」

「……死刑にでもなるのか、そやつは」

「ううん、さすがにそこまではしないって、信じているわ。きっと牢獄の中で、わたくしのことを思っている。わたくしがいつまでもあの方のことを想っているように……」

 その後、アルメリカは呆気にとられたままの若者二人の前で、自分の“想い人”がいかに素晴らしい男前で心根も清らか、体型も抜群で教養豊か、ということを延々と……いやいい加減飽きてくるほど語り続けた。

 死の匂いのする地の底で。

 通りを歩くだけで全員が陶然となり、夢にまで見る男? そんな奴がいるものか。どんな“綺麗どころ”でも若い男の内面はありとあらゆる欲望でたぎっているものだ。


(まったく、十三からこれほど好色とは先が思いやられる……!)


「……というわけで、わたくしぞっこんなのよ。だから貴方とすぐに結婚なんてしたくないってことだけ分かってくれればいいの。適当に遊んで、仲良くしましょうよ、ね?」

 アルメリカは言い切った後で、なぜかはっとしたように訂正を加えた。

「少なくとも、今、決断はしないってこと。分かってくださったわね?」

「まさか、貴女がフレイアス卿を殺したのではなかろうな……?」

「そう思いたければ思って頂戴、いっそ本当にそう出来ていたらわたしの人生ももっと単純だったでしょうね……それよりもうここの観光なら充分堪能したわ。それともここで反省文でも書かせるつもり? “悪女から生まれてきてゴメンなさい、済みませんでした”って」


 ミケランは、正直言って感服していた。


「……よかろう! まこと、貴女はセリカの娘。その芯、その魂の強さがあれば、イルライ山の封印を開き、はびこっている魔物たちですら退散させることが可能なはず!」

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