4-7.ランダ

「魂? 封印……? ま、魔物?」


 アルメリカがうわずった声を上げた。

 が、ミケランはもう翻弄されまいと強気を保持した。


「封印とか……魔物なんかも専門外だわ。そういう魔法っぽいのはお断りしますから!」

「そうはいかぬ。先ほど私が語った話をお忘れか? このままではこの島は滅びる……これらはすべて、セリカの呪い。これらが始まったのはセリカが地下に突き落とされて死んだ日からなのだ。狂える神を鎮められるのは当然、娘である貴女だけ。シュリガ族の神女の帰還こそ、私たちが待ち望んでいたものだ。私はこの国を、臣民たちを救いたい……!」

「……そうね、そう考えるのが普通だし、素晴らしいと思うわ。ミケラン様、貴方は実際こんな狂った宮廷で育ったとは思えないほどまともな人よ。でもね、わたしどんな変態でも相手にする自信はあるけれど魔法っぽいのだけは、だめなの……!」

 気丈さを、血の気と共に失いつつあアルメリカがミケランに縋ろうとしたその時。

 ルシンタが鋭敏な猫みたいにはっと振り向いた……階段口の方を。

「殿下、誰かが降りてきます、どうかお静かに!」


 やがて灯明を横切る巨大な影と共に現れたのは考え得る限りで最悪の相手だった。


「これはこれは―――まさか本当に、殿下がここに降りていらっしゃったとは……」


 アルメリカがミケランの背中に素早く回り込み、ぎゅっと腰帯を掴んだ。 

 頼られて、ミケランは背中にぞくりとした感覚を覚えたが、無論事態はそれどころではない。

「ランダと申します、エーサラ姫。ようこそ……マンドラ島へ」

 頭の全ての毛髪を削り取った壮年の僧侶は、大僧正の地位を示す黒い前掛けの前でジンハの手印を組みながら如才なく微笑んで見せた。

 整ってはいるが生気に欠ける貌の中、倦怠の光しか浮かんでいない暗い灰色の瞳はどうしても蛇を思わせる。

 正直言って、ミケランもこの大僧正とはなるべくなら顔を合わせたくない。

 内乱からの心痛によって往生した先の大僧正は、本来別の者に位を継がせようとしていたとも噂される。


 ランダはまだ老いてもおらず、島の海運王の家の出でもあり大陸の有力者たちとのつながりも深い。

 だがそれゆえに王家を軽んじる言説が目に余る。

  “緑に愛でられし者(マンダーラー)”と称えられていたグレン・フレイアスを死神(セダラー)と呼ぶように執拗に呼びかけ、邪教の国外退去処分者へと貶めたのもこの男だった。

 死神は民衆の間で行われる祭りの仮面劇ではいつも悪役で、片足を大地の怪物に食われているという伝承に従い引きずって現れる。しかし、全くの悪神ではない。

 時には悪叉との戦いも辞さない、恐るべき強力な闇の神をもランダは弄んだに等しい。

 セリカ王妃が没し、ランダの代になると寺院はついに神女たちが司っていた秘儀の全てを独占した。

 聖地が荒れ始めたのは先の大神女の呪いとランダは断じ、諸外国から大きな非難を浴びたジャルバット王のシュリガ族迫害をも支持した。

 

 今や誰もが大僧正と王の前では口をつぐむ。


「今のわたしは、アルメリカという名前で通しているのだけれど」

 ランダはアルメリカの反論を無視した。

「王子、なにゆえエーサラ姫を連れてかようのような場所に?」

「さ……先ほどの揺れで動転し、外に逃げ出すつもりがここに降りてきてしまったのだ」

 ルシンタと、アルメリカがそろって顔をしかめた。どうやら今の言い訳は彼らにとって及第点ではなかったらしい。

 焦ったがもう引っ込みがつかない。


「もしや……母御に…亡きセリカ様に会わせて差し上げたのですか? なんとご無体なことを! もう玉のような躰のひとかけらも、御髪の一本も残っておらなんだのに……? 王子?!」

 その時、ランダは大仰な動作で目を見開くと、なんということだ! と繰り返した。

「その目はいかがなさったのです……? いけません、殿下はすでに女悪叉の娘によって籠絡されかけおられる……!」

「なんだと……?!」

「ねえ、この茶番はいったいなんでいらっしゃるの? ろうらくってなあに?」

 いきりたつミケランとルシンタ、そして冷笑を浮かべていたランダまでもが、はっと動きを止める。

 気迫を取り戻したらしい少女が、ミケランという盾の陰からするりと抜け出て言い出した。


「アルメリカ、着いたばかりでわからないことだらけなの。ろうらくの意味をおしえてくださいな? 御坊様。そういうことにさぞかしお詳しいからそう仰るんでしょう?」

 アルメリカは自らランダとの間合いを詰めて行った。

 その琥珀色……いや、今や虎の眼のように輝く目つきは真夏の陽射しのように激しい。

 虚を突かれていたランダだが、どうやらアルメリカの本性をようやく見てとったらしい。

「その物言い……グレン・フレイアスの後ろ盾もないというのに……」

「必要ないわ。だって、おじ様には緑神の御加護がある……それはつまりわたしも護られているということだもの。で? 御坊様は神様にお会いしたことがおありなの?」


 この挑発に、ミケランより先に青ざめていき、さらに怒り心頭に達している男がいる。

 他ならぬランダだ。


「ろくな修行も積んでいないあのマーカリア人の異教徒めにそのような加護はない。さらには先の大神女の娘御までもがこんなにも悪しき考えにお染まりとは……おいたわしや。ですからエーサラ姫、貴女には万全を期してもらわねばなりません」 

 その時、ランダの後からついてきたもう一つの影がひたひたと歩み出た。


「ミケラン様……この娘でおじゃりますか、先ごろ届いたセリカの娘とは……」


 現在の大神女、カーラである。

 腰が曲がり、襤褸が歩いているようだ。

 婆なのか爺なのかも判別が付きにくい骨と皮ばかりのたいへんな高齢で、先日双子の妹でやはり神女だったマイラという者が何らかの呪術の最中に”返り討ち“にあって絶命し、それに巻き込まれたとかで生死の境を彷徨っていた。

 死なれたらまた違う神女を探す手間になるところだったが運よく生き延びた。その時に火傷を負ったらしくあちこちに黒い布を巻いている。


「王子、この娘御は確かに先代の娘でありましょう……が、気になりますのは、この魂の抜けきったような白い髪。セリカ様の娘御ならば美しい黒髪であるはず……」

 しなびた細腕を振り回す老婆からアルメリカが身を引きかける。

「別に何色だってわたしはわたし、関係ないわ!」

「そうはいかぬぞえ! 王子よ、実は我が妹のマイラは、大地の大いなる根の流れに魂を飛ばし、いつも遠くまで探りをいれておりました。じゃが……なにせ我らはシュリガの直系にはあらず、あまりに長く潜り過ぎたゆえにあれは悪叉になり、ある時、ふと行方が知れなくなり申した。じゃが、二週間ほど前のことですじゃ、ついに何者かに殺されたのでございます。妹の身体は悪しき炎に突如まかれましたが、その熱さのために一瞬だけ正気を取戻しました。どこかの、揺れる船の上のようでした……そして最期にわしに思念を寄越しました。そこには白髪になった娘……魂を呪われた、この娘の姿があったのですじゃ!」


「なっ……!」

 アルメリカがみるみる顔色を変えたが、頭のいい少女は何も口走ったりもしなかった。

 カーラが、さらに言い募る。


「マイラが命がけで寄越した思念に外れはございませぬ。いずれにせよこの娘をイルライに連れていく前に、悪霊祓いの儀を執り行わせてくだされ」

「……やめて、悪霊祓いなんて冗談じゃないわ。わたしは大丈夫、もう、誰も構わないで! あと少し……いいえ、せめて月末まで、待って」


(借金取りでもあるまいし……先ほどまでの威勢はどうしたというのだ?)


 よりによってランダの目の前で。

 ミケランは襲い来る焦燥と戦っていたが、それがランダへの恐怖なのかアルメリカへの不安なのか判然としない。


 そして、決意を新たにした。

 今こそ王族としての力を借りて、アルメリカの生殺与奪を握っているのが自分であることを誇示すべきだ、と。

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