4-5. 闇の底にて

 先頭でルシンタが掲げ持つ灯明を頼りに石の回廊を歩き出し、大広間にある祭壇の下にある重い石の扉をどける。

 気が遠くなるほど暗い、真っ直ぐな階段が現れても、薄い被衣(ヴェール)を頭から肩へと慎ましくかぶったアルメリカは臆しなかった。


「見せたいものにしては、暗いわね。“お父さま”は謁見の間とかそういう所にいらっしゃるんじゃないの? それに、気付いてもいらっしゃらないようだから言っておくけどこんな真っ暗闇に男二人がかりで女の子を連れ込むなんてそれだけで犯罪ものよ?」

「この、我があるじの御心が広いからと……!」

「やめよ、ルシンタ! これは我が妹でもあるのだ、いくらそちでも無礼は許さぬ」

 悪夢のような妹だがな……という一言はさすがに呑みこんでおく。


 輝石が埋め込まれているために足元が見えるとはいえ、葬列の列席者のように佇む物言わぬ柱の連なりと地下階段は、降りるに従って声を潜めたくなる。

「ここは何……? 神殿か何かだったの?」

「察しがよいな。そう、ここは墓所だ。女神と、初代マンドラ王のな……一応は」

「一応、って?」 

 敢えて答えず、最後の段を降りるとそこには剥きだしの地面が広がっている。

 がらんどうの闇の空間だ。その奥からかすかに漂う腐った水のような臭い……

「すごく広いわ。待って……何か、居るの……?」

 巨大な生き物が深く息をしているかのような生ぬるくも血なまぐさい空気の流れに、さしものアルメリカも声を硬くしている。

 それでもここまで半狂乱にもならずについて来るだけでも見上げたものだった。

 ミケランはルシンタに合図した。彼は一際大きなたいまつに火をつけてみせた。

 目の前、足元のすぐ先にぽっかりと空いた暗黒の大穴に気が付いた少女の腕を、ミケランはとっさにつかまえた。

「地女神の屍穴だ。主に、女の罪人たちを放り込む穴だった……ここ数年は海水が底に溜まり、海魔が棲みついているという専らの噂だ」

 アルメリカがミケランの身体を突き飛ばし、細身に反発をみなぎらせた。

「わたしをここに、突き落とそうっていうの」

「違う。ここでしか、今から話すことを明かせぬからだ! 芙蓉宮はどこもかしこも監視され、網の目のように繋がっている。本当にどん詰まりなのがこの地下――入る道は今降りてきた階段しかない。私の母上は罪人ではなかった。だが、死んだのちにいまの死の階段を"下"らされ、ついにこの穴に放り込まれた」

「え……?」

「自ら命を絶ったゆえに……亡骸は、王家の墓地に運ばれもしなかった。僧正たちは自死は罪だと決めつけた。私は古い経典をすべてひっくり返してみたがそのような教えは記されていなかった……誰よりもマンドラの神々に帰依していた我が母上が、なぜ発狂し、絶望し、自ら命を絶ったか。なぜ後年、我が兄上が父王に反逆を企て、処刑されたか……全て教えてやろう」


 自分は今、アルメリカを見つめながら残酷な悦びにひたってはいないか? 私怨に狂った目をしてはいまいか? 


「そなたの母親、セリカが我が母上を追い詰め、王妃の座から蹴落としたからだ!」


「…………!」

「確かに、ジャルバット王はセリカのあまりの美しさに目が眩んでいた。神女姫は処女でなくなれば力を失うのが普通ゆえ、皆が諦めるよう嘆願したが無駄だった。それにセリカは、王子を二人産んだ正妃が在る限り側室としての地位に甘んじるしかない……セリカにはそれが我慢ならなかったのであろう。よいか、我が治世が呪われしものなのも、この島が沈みかけているのも、我が母上や兄上が非業の死を遂げたのも全部セリカのせい……! お前の母親を、私は許さない! これだけは言っておく!」


 汚れた闇の中に、自分自身の金切り声に近いような告発が反響していく。

 足元に膝まづいたルシンタは、王子の怒りの激しさに少し震えてさえいた。


 ところが。

 適さぬ地にも懸命に根を張ろうとしているように、両手を握りしめて立つアルメリカはこれを鼻で笑ったのである。


「何を言い出すのかと思えば。貴方の母上が死んでしまったことも、兄上とやらが勝手に突っ走って自滅したのも、わたしが生まれたことと何の関係もないじゃない。憎むなら大切な神女に横恋慕して手籠めにしたわたしとあんたの父親を憎むべきよ。王のくせに自分の“股間”も握っておけないなんて無責任にも程があるわ!」


「な……何い……?!」

 この少女を侮るなかれ……それでも唖然とするあまり、次の言葉すら出て来ない。

「お収めください、ミケラン様! ここでことを起こすのは不吉でございます!」

 どうやら自分は言葉を失うあまり、先ほど「我が妹」と呼んだはずの少女の喉を絞め殺そうとしかけているらしい。

 押し留めてくるルシンタを邪険に振り払ってもなお、自らの中から沸き上がる怒りが顔の筋肉を震わせている。


「では教えてやろう、これだけは黙っていてやろうと思ったのに! お前の母親がどれほど残酷だったのか知るがいい―――セリカは、あの女悪叉は、異国の男グレン・フレイアスと駆け落ちを図るため、生まれたばかりのそなたさえ亡き者にしようとしたのだぞ」

「なんですって?」

 さしものアルメリカもこれには目を見開いた。

 しかしミケランが期待したような、耐え難い事実に我を失うほどの反応ではない。

 泣いてすがってきたのならあとは優しくしてやろう。そんな甘い目算が崩れていく。

「それで? 実際にはそうならなかったんでしょう。その後どうなったの?」

「……セリカは、内通の罪でこの屍穴に放り込まれた。赤ん坊の貴女は王宮に引き取られたが、不遜にもグレンが盗み出し島を脱出したというわけだ。これだけ言えば分かるだろうが、セリカとグレンめは、密通していたのだ。男女として惹かれあっていたことは、明白」

「そんなことはあんたみたいな“ぼうや”に解説されるまでもないわよ。誓って言えるけどグレンみたいな堅物、セリカ様の手を握るぐらいがせいぜいだったはずよ。いくらなんでもそれで密通っていうつもりじゃないでしょうね? それよりも自分の女をそこまで不幸にさせるだなんて聞きしに勝る最低最悪な残虐王……いいえ、ド変態色魔王よ。こんな、アガルスタの便所以下の地の底までやってきたのが“わたし”で良かった、本当に……くそっ……!」


 最後の一言を、アルメリカはよりによって屍穴へと吐き捨てた。


 慄然とした。

 人は、本気で怒った時には下品にもなるものだとミケランも知っている。

 恥ずべきことではあるが心の中ではいつも罵詈雑言を吐かずにはいられない。


 それでもこの娘はやはり、並ではなかった。ここに至っても涙を流すどころか敵意でぎらついているとは。

 嵐の中でも折れようとしない若木のようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る