4-2.ポルテ=サスラ

 レグロナ帝国が鉱石の積み出し港として作った最北端の堅牢なアマディオン港とは違い、北西岸に位置するポルテ=サスラの町並みは元来軽やかである。

 風女神(サスラ)の名を冠するに相応しい当地の美しさは、生みの親たるマーカリア商人たちが引き上げた現在もイルライ茶製造業者たちによって整然と保たれているが、この所の天候不順や天変地異でどこか閑散としていた。


 かつて、マーカリア人グレン・フレイアスは商館長の任期切れが近づくと茶畑や生産工場の経営権をマンドラの王族や地元商人らにあっさりと投げ渡した(依然、彼自身が大株主ではあるが)。いまや茶の最大の輸出相手国はマーカリアの宿敵レグロナだ。


 御輿で運ばれながら、ミケランは通りを見下ろした。領民たちが額づいている。

 花々と金銀貴石で飾り立てられた行列はこれでも最低限の随員に留めてある。

 茶色の装束で頭からつま先まで覆った従者たち、そして、黒装束の近衛たちは皮の鞭を振り回し、邪霊の気配を払って回る。

 ミケランが子供の時から当たり前に見てきた光景であった。だが、ポルテ=サスラの柔らかな白と青を基調にした西方風の町並みの中では、ひどく浮きあがって見えるような心地もする。


 ポルテ=サスラも海岸の港湾部に入ると石造りの堅固な顔を見せ始める。競合国の艦隊来襲に備えた造りになっているのだ。

 熱帯の木々と堅牢な石壁の向こうに白い大型帆船が、陽光と共に飛び込んでくる。

「輝く海の女神(マレディアマンテ)号、船主はやはりグレン・フレイアスだそうです」

 輿に密着しているルシンタが囁くのをミケランは醒めていく心地で聞いている。

 護衛してきたアルナム艦船三隻は沖合に投錨し、入港はしていない。


(確かに、奇異だな……マーカリアの船を、なぜアガルスタの艦が?)


 しかも待てど暮らせど、人が降りてくる気配がない。甲板上の動きも乏しい。

 痺れを切らしかけたその時、ようやく純白の船と港に渡された舷梯の上に動きがあった。

 青墨で外出時の魔除けの紋様を描かれた目元を細め、ミケランは―――他の随員同様、予想だにしない人影を目の当たりにした。


 吹き抜けてきた強い潮風に、白波のしぶきのように舞い上がる薄い水色のヴェール。

 むき出しの薄褐色の肩に両翼のようにふくらんだのを慎ましくおさえながら、胸元と腰から下だけに絹の衣装をまとった少女は、まるで降り立った風女神(サスラ)のよう。


 初々しくも洗練された所作に合わせて黄緑色のふんわりしたズボンの足元を絞った金の留め具につけられた鈴と手首や胸元につけた装身具がしゃらん、しゃらんと鳴る。月影色の髪を両耳の上で結わえた青いリボンと共に編み込まれた三つ編みが、港の海風に無邪気にはためいた。

 咲き初めた花のように可愛らしく整ったかんばせに、輝く神秘的な琥珀色の瞳が、すっと、惚けたように見入っていたミケランを御簾越しに射抜いた。

 少女の後からはアガルスタ風の黒いゆったりした装束で豊満な身を隠した妙齢の女……これもまた黒髪黒目の大変な美女ではあったが、決して“主人”のお株を奪うような目立ち方はしていない……が続いている。おそらく侍女だろう。彼女は主人のためにかたたまれた白い傘を手にしていた。


 じっと、じっと待つ――――一秒が千秒にも思われるほど、じっと。

 御輿の外で、同じく固唾をのんでいたと思われるルシンタがかぶりを振った。

 続いて下船する随員は一人もいなかった。

 マーカリア人の船員たちは「たいへんな荷物をやっと下した」という安堵の表情をして、通常の補給手続きに勤しみ出している。


 痺れを切らしたミケランは、ルシンタに苛立ちまじりに命じた。

「……連れてまいれ、娘のほうだけだ」


 ルシンタが御簾を外すと、明らかにされた王子の姿に家来たちがさっとひれ伏し、重い天蓋めいた白い傘がひろげられる。

 ルシンタに導かれ、熱帯の下でもまったく涼しげな顔をした娘は物おじすることもなく近づいてきた。

 マーカリア語は一応習得しているミケランである。だが王子としての矜持がその言葉を操るのを許さない……ということにしておく。

 本当は語学力に不安があるのだ。

 すると、娘が「ヴァルダリ語でも、よろしくて?」といい出した。

 大南海一円で使われている言語である。内心ほっとしながらもヴァルダリ語で尊大に問いかけた。


「フレイアス卿は?」

「わかりません」


 娘は瞬きもせず、ミケランを煌めく金色の眸で見返しながら断言した。


(乗っていないでも降りてこない、でもなく、わからない、だと?)


 訝りながらも、ミケランは娘から視線を離さずにいる。

 それとなく施された化粧も、砂浜のような白にきれいに塗られた手足の爪もじつに上品だ。


「後で詳しいことはお話いたします。マンドラに降りるのはわたくし一人、それに、あの側仕えだけですの」

「同じ船上に居て、わからない、などという返事はおかしいであろう?」

「もちろんお話しはしますけれど、きっとがっかりなさるわよ? 

 ミケランとのやりとりの合間にも物見高い見物人たちにあでやかな愛想を振りまき、手を振って応える。この娘は空気を吸うように人心を虜に出来るらしい。

 まさに、生まれながらの、真の上流階級の所作だ。

 いまだ、臣民の前に立つといやが上にも萎縮してしまうミケランは内心舌を巻いた。

「でもここでよろしいのかしら? うふふ、ほら皆、物珍しそうに……下世話に見始めている。誰だろう? 普段は奥の宮に籠られているミケラン王子様がじきじきに女性をお迎えにあがるだなんて……って」

 はっとなった。確かに危うい……あらぬ噂が王宮に、この自分の帰還より速く父王の耳に届くことがあってはならない。

 今になって己の迂闊さに震えがくる。


「私が、王子だと……? それに、なぜいつもは籠っているなど……」

「白い傘は王家のあかし……でしょう? それに貴方の侍従たちの、不慣れなこと」

 背後に影のように控えている侍女に娘が流し目をくれた瞬間、陽の光の下で本来の色味を隠している夜光花のような色香が舞った。

 背筋が、ひとりでに波立つ。

 年齢は十三か、四。その腰つきにはまだ少女らしい愛らしさがあるのみだが、あと二年もすればどうなることか。魅了されない男は居なくなるのでは……

 が、その時。娘のへそあたりを無心で凝視していたミケランは突き落とされるような事実に思い至る。


(待て……十三から十四の娘、だと……まさか)


 美しいがやや奇異な白い髪を除けば……この比類なき琥珀の瞳は。

 何より、離れていてもなおその芳香で魅了するような匂い立つ美貌の片鱗には――――おそろしいほどにかの女の面影があった。

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