4-3. 乙女の願い
ミケランはにこやかに娘を招き入れるそぶりを見せた後、再び御輿に乗り込む。家来がさっと身を屈めて背中を差し出す。
娘も「ありがとう」と微笑んでミケランの後に続き、なんらためらう素振りもなく家来の背中を足がかりに乗り込んできた。
「改めて、はじめまして、ミケラン様。アルメリカ、生まれ故郷でこれほどのご歓待にあずかり厚く御礼申し上げますわ!」
広いとは言えない御輿の中で膝を突き合わせ、しどけなく横座りをしている娘の身体からはふわりと甘く上品な花の芳香がただよってくる。
「本当に呪わしい船旅でしたのよ、まず、テシス海上で婆やが死んでしまって、水葬にされたの。次におじ様だけれど、あの仕事人間がわたくしのような厄介なお荷物にいちいち策謀をお話になるとお思い? 小型艇で途中で降りられて、どこぞへ向かうアガルスタ船に乗り換えられてしまったわ……勝手なものよね」
内容と裏腹にアルメリカの表情は例の愛くるしさをたたえたままだった。
まるで光と闇の双貌を持つ月女神(ラーナ)を相手にしているかのようだ。
(死体を取引したの何なのという噂は……その婆やのものだったの、か?)
疑念は尽きないがミケランは慎重に探りを入れて行く。
「フレイアス卿は、養女どのに程度まで話しているのか知らないが……」
「聞いています、大体のところは。貴方様が美男子でいらっしゃるだろうってことも、腹違いのお兄様であることも、マンドラの慣習では輿入れするかもしれないことも。でも……その前に神女としてイルライ山ってところに登る決まりなのでしょう?」
「……いまは誰も登らぬ」
「グレンおじ様は登った、素晴らしい眺望だったとご自慢だったのだけれど?」
「十数年前のことだ、今や、あの山にはもう何もありはしない……」
「いいの。わたくし初めての土地ではいつも一番高いところに登ってきたの。王侯貴族にしか許されていないような所ですら。ここでだって、ぜったいに登ってみせるわ」
少女はふと、温かみを失った表情になり、港の方角を冷静に見据えた。
まるで戦いに臨むかの如き横顔の真摯さは十三の娘とは思えないほど研ぎ澄まされ、謎めいた疼きとなり、少年を脱し始めたかりの王子の胸に深く刺しこんできた。
「……そもそも、貴女はジンハ教徒なのか?」
「多分、違うと思うわ。改宗が必要なら考えておくけれど時間がかかるのは困るわね」
「ともかく……ようこそマンドラ島へ、エーサラ姫」
「エーサラ?」
「おや……まさか、貴女の御名を知らぬと?」
グレンはそんなことも教えていないのだろうか。
だが、その由来を考えれば無理もないのかもしれない。
「マンドラ名ってわけね。でもわたくしのことは当面アルメリカと呼んでくださる? これ以上ややこしくなりたくないの」
「これ以上、とは?」
「アルメリカっていうのは西方の古い言葉で”新天地”っていう意味なのですって。エーサラにはどういう謂れがあるのかしら……貴方様のお顔を曇らせる様な?」
普段、恐ろしい宮廷で無表情のあれこれを極めているミケランの顔の、微妙な変化をこの薄暗がりの中で見抜くとは。
エーサラとは、マンドラでは由緒正しい……しかしそれほど人気のある名前ではなかった。
神魔の森の大樹の精に見初められ、大樹と結婚することになった古代の姫の名だ。しかし婚姻の前に一人の僧侶と恋に落ち、二人は謀って大樹を切り倒そうとした。怒った木の精は僧侶を石柱に変え、姫は木に住まう蝙蝠に姿を変えられ、今でも森から出られない……ミケランは淡々と説明した。
間違っても由緒正しき王家の姫につけられる名前ではないことは伏せた。
「蝙蝠姫? かわいいじゃない! それに蝙蝠はサンガラやミアンゴでは瑞兆の徴よ」
「……そうなのか?」
「少なくとも毛虫やナメクジよりはましだと思うわ」
「………虫の話などやめよ」
「やだ、虫が苦手なの?」
その逆だ、と素直に答えかけて慌てて口を閉じる。
子供の頃。皆が毛嫌いするサソリや蜘蛛、それに小さな宝石のような甲虫たちを愛し、収集し、彼らを観察することに夢中だった。侍医が飼い方や標本作りを教えてくれた。
九歳の時だった。武芸稽古に嫌気が差したミケランは、侍医の息子を巻き込んで数日間王宮に帰らなかった。
強引に連れ戻されてみると父王の命令で生き物たちの巣箱も標本も全てが石突で叩き壊され、ゴミとして捨てられていた。それだけならまだしも侍医も虫と同じようにして殺され、その場面をわざわざ見せ付けられた。
その時初めて、自分はとんでもない場所に生まれてしまったのだと実感した。以来、ミケランは外界に対して善良さを見せつけるのを止めたのだ。
(善良さ……そんなものを維持していては、わが身が持たぬ……)
とにかく、さりげなく「やだ」、と言われたのが引っかかった。少しでも印象を挽回せねばなるまい。
「されど今の貴女の……その、今日という日にふさわしい御姿は、確かに蝙蝠の姫というよりは新しき地に相応しい姫……アルメリカ、か。いいだろう、そのように呼ぶことに」
「ありがとう! 今のたどたどしいのが褒め言葉のおつもりならね。どうせ……生まれ変わったわたくしを一番見て頂きたい人とは、もう会えないわ……」
「一体、誰が為だというのだ。この島に、知り合いでも?」
「運命ですわ。生きるも死ぬも、最期までかんばせを見せてはくださらぬ、つれない方……それがわたくしの想い人ですの。ミケラン様……貴方には、明日にでも死に臨む勇気がおあり?」
ふふ、と少女が目を眇めて憫笑する。
娘の一挙一動から目が離せない。
だが陽に当たり過ぎたのだろうか、少し顔色が悪いようにも見受けられた。
「……いいえ、やはり何もおっしゃらないで。貴方にはすでにこの国を背負うという責務がおありなのだもの。でもわたくしは……せめて最後ぐらいは、愚かしく自分を偽って生きるのを、止めたいの」
「姫は長旅でお疲れの様子、ひとまず我が宮にてくつろいで頂くとしよう。何はともあれ貴女には、お話することが山ほどあり……」
「ほんと、世界中みんな同じ手管よね、男って……」
「なに?」
「レンヤと……侍女と、女同士の内々の話をしたいのですけれど、王子様?」
女同士の、とか線引きされると深入り出来ないのが男のさだめである。
主人がわざわざ降りることもあるまいに、と思いながらもミケランは申し出を受け入れた。
少女は再び再び身軽に輿から降りる、と――――
可憐な後姿がよろめいた。何かに躓いたのかとミケランは危惧したがそうではない。
かろうじてレンヤが抱き留めたので事なきを得た。
しばし蒼白な顔色を伏せていたアルメリカはしばらくしてようやく顔を上げた。侍女の腕を黒い布越しに掴んだ小さな手を、かすかに震わせながら。
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