3-8.シャロンの決断


「もう、自分ばかり責めるのはやめて」

"シャロン"は自分がもう、何を言い出すのかわからなくなっていた。

「冥蘭が本当に悪さをしたのかどうかだって、分からないわ。それに、忙しいのに、あわれな親なし子を……甥っ子とアルメリカ、二人も育ててくれたじゃない。欲しい物だって買ってくれた……裕福な子の生活もさせてくれた。そういうことに気付かないで、逃げ出したその甥っ子こそ甘ったれた大バカだったのよ!」


 グレンが“シャロン”を少し息を呑んで見つめる。

 瞳から、徐々に妄念めいた眼光が消え、木漏れ日のような穏やかさが戻っている。

「アルメリカ……?」

「ち……?! 違うわ! 今のわたしは……だめよおじ様。わたし、もうだめ、なの……!」

「……そうだ、もう我慢せずとも良い。補給を済ませたらマーカリアへ帰れ。お前のための口座の暗証はウィレム・スタイフェルに伝えてある。一生不自由はしない」

「そんなの解決にならないでしょ、わたしを放り出してここで死ぬなんて許さないわ! ――分かった、おじ様をイルライ山にまた連れて行けばいいのよ! おじ様は緑神に愛されているんですもの、きっと治してくださるわ!」


 グレンは養女の言葉にかえって蒼ざめていった。

 やめろ、と荒々しく口走る。


「これは祝福ではない、私に課された罪も同然……マンドラへ行くことはもう許さぬ」

「ちょっと待って、急に何なの、ミケランって人との婚約は? わたしの髪の色は? どうなるの!」

 何より本当のアルメリカは、ついでに”シャロン“はどうなるというのだ。

 しかし、グレンはもう意識が朦朧としているようだ。

「ウィンドルンに戻られたら……私の死を喜ぶ者たちのことは、すぐに忘れてしまうように。他人の言うことには耳を貸さぬように……貴女の心の命じるままに生きられよ」

 そっと、記憶にある限り初めてグレンが自ら養女の頬に手を延ばして触れた。

「いつまでも私の言ったことだけを信じておくように……わかったな?」


(ちくしょう、グレンのやつ、本当に……もう死ぬ気だ……!)


 もう無理だ。

 この茶番を続けても、叔父を死から救うことは出来ない。ならば。

 

「じゃあ、わたしも……本当のことを言うわ、グレン叔父さん。びっくりはさせるけど、心臓が止まらないように気を付けて聞いて……実は……実は」

 いざとなると、あまりの恐ろしさ、罪深さに胸がつっかえる。

 怪訝そうに“シャロン”を見つめていたグレンが、再び苦痛に身を震わせ、前のめりになった。

“シャロン”はグレンを抱き止めながら扉の外に向かって「ヴェガ!」と叫んだ。

 飛び込んできたヴェガがグレンの長身を寝台まで抱え上げ、寝かせた。叔父の顔色はいまや土気色に近い。

 痙攣しているまぶたの下、“グレンの瞳は深い緑色になったかと思うと黒く濁る。

 光と影が、グレンの中で争っているかのようだ。


「ヴェガ……も証人となられよ。私の死体はそのまま船倉に隠してある棺に詰め、固く蓋をし、鎖を巻き、この沖合で沈めるように。よいか、必ずそう……くっ!」


 グレンが自分の喉を押さえ、体を折り曲げた。その身が揺らぐ。

「叔父さん!」

 “シャロン”が飛びついた叔父の手はみるみる冷たくなり、動かなくなった。


 グレンに抱きついたまま呆然自失した少女の頬を、ヴェガがごめん、と言って打った。

 “シャロン”は我にかえった。

「グレン、死んでない。グレンの中で、善と悪のなにか、まだ戦っている」

 皮肉と言う他ない結果だ。死んでもいないし生きてもいない。どうしろというのか。

「行こう、アルメリカ。マンドラの神、グレン、きっと助ける」

「でもマンドラまで順風でもあと十日はかかるのよ」

 少なくともあと少しは船員の不審をかわす必要があった。

 少しずつ冷静さを取り戻す。

「重病状態ということにするか……それとも、わたしと貴方以外、近づけないくらい怒り狂ってるってことにするのがいい?」

「両方」

「……そう、両方にしましょう。そうと決まったらすぐにでもこの船を出航させないと!」

        *

 船長室に向かうと、グレンを訪ねて来たアガルスタ人の港湾役人とかち合った。 

“シャロン”は養父は療養中なのでわたしが代わりに承りますと申し出た。


「……そう仰られても、お嬢様。マンドラ島周辺ですでに海魔がうごめき出しています。神王が発した海上封鎖令により、いかなる船舶もマンドラ航路上へは出航できません」

「まだ季節風が吹いているのに? 少し出ただけでしょう、今度は神王の嫌がらせなの?! 貴方たちだって“もらうもの”はもう貰ってるはす――――」

「いいかね小娘、こういうことだ……!」

 役人は秘めていた侮蔑も露わに唾を飛ばした。

「神意が下ったのです、我らに顔も見せられぬほどフレイアス卿は臥せっておられるのであれば、さっさとお国に帰られよ。マーカリア人は王に仕えることも知らぬ放漫の輩に過ぎぬくせに大砲と金の力で我らが沿岸諸国の富を簒奪し、神王の歓心や天意すらも買い叩けるつもりでおる。なんなら艦隊でもお供させてくるべきでしたな、さすればアルナムの大胸壁の上から、いい見物になったでしょうに!」


 これは、グレンに袖にされた太守からの、王の威光を借りたしっぺ返しに他ならない。


 もうどうしようもない。“シャロン”にはもう何の力もない……何の……

 

 その時、真っ白になった意識の片隅で、恐るべき計画(たくらみ)がひらめいた。


 そうだ。

 幸か不幸か、今ここに"居る"のは世界の漂流物のようなシャロン・ナルディアスでもある。

 ウィンドルン同様、アルナムとも知らぬ仲ではない。

 なにせ詐欺師としての自分が生まれた街なのだから。


 尊大な役人たちが下船していくのを「お嬢様」と「蛮人」は舷側から睨み下ろした。

「ごめんなさい、さっきは取り乱したけれど……考えがあるの。一緒に来てくれる? ヴェガ」

「無論」


 "シャロン"が腫らしてしまった少女(アルメリカ)の目も、上陸までには元に戻してあげなくては。

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