3-7. グレンの告白

「ねえ。なんとか言ったら……!」

 蒼白になりながら口を開こうとした“シャロン”をグレンが遮る。 


「アルメリカ。貴女はセイミ・シャオにあの夜、心を奪われたのかもしれない。だが……あの男はだめだ。いや、忘れよ。あれはこの世に居てはならぬたぐいの男なのだ」

「……どうして。どうしておじ様はいつもそうなの? わたしがどう生きるとか、誰かを好きなるなとか、どうして決められなきゃならないの!」

「手に入らぬものに焦がれてはならぬ、決して。手に入らないと分かった挙句に、心を滅ぼすからだ。私にも、そんな甥が居た。姉が命と引き換えに産んだ……ちょうど貴女を我が家に迎え入れる前年に……喪ってしまった」


 “シャロン”は声を失い、グレンを愕然と見返した。


 幸い、彼は"シャロン"の顔を見てはいなかった。 

 目を開けたまま、どこか暗い遠くの水平線に光でも探すみたいに茫洋としている。


「私の、友人だった男との間にもうけた私生児を、私は引き取った。貴女にはずっと……話せなかった」


 小さな指が震えださないよう組み合わせながら深呼吸をし、“シャロン”は言葉を選ぶ。

「……どうして? どうして、アルメリカには黙って、いたの?」

「その子をどうしていいのか、ずっと分からないままだった……育てねばという義務があることは明白だった。だが、親のように愛する資格も愛される資格もないことも明白。極力避け、無視さえもした。それなのにあの子は日々、私が帰邸するのを寝たふりをして待ち続け、私が帰るとたとえ夜中でも走り寄ってきて私の黒い衣の裾を掴んで離れまいとするのだ。いつも、いつも……」

「……おじ様はその子をその後、いつもどうなさったの?」

「無論、そのまま引きずっていき、あやつの部屋に放り込んで寝かしつけた」

 思い出したみたいに小さく吹き出し、“シャロン”は笑ってしまった。

「その子はきっとそれが楽しくて仕方がなかったのよ」

 一瞬困惑したような目でグレンは“シャロン”を見つめ返し、やがて違う、と言った。

 断じて違っていなければならない、というような暗い声で。

「私は、人を楽しませることなど出来ない男だ。あの子はまさしく私の影だった。私に張り付いて永久に離れない過去……船や海が幼少の頃から大好きで、父親の才能を間違いなく受け継いでいた。しかし私はあの子を、まだ五、六歳でしかなかった子を官吏育成の寄宿学校へと追いやった。そしてマンドラ赴任を引きうけ国を離れた……連れていくことなど考えもしなかった」

「……影が、怖かったから?」

「そう、私も長年思っていた、そう自分を騙していたのかもしれぬ。本当に恐れていたのは、あの子がいつか海へ出て、船と共に沈むこと、だ。なぜなら私は、優れた船長だったあれの父親を国の利益の為に追い詰め、海で死なせてしまった」

「………」

「甥はまだあまりにも若く、未熟だったのに。助けてやらねばと決意した次の瞬間には、見捨てて当然だ、海の藻屑にでもなればいいと心にもなく突き放す……それを繰り返しているうちに、彼もまた海に沈んだという知らせが届いた」


 甥っ子は、彼が恐れていた通りの"死に方"をしたのだ。

 もちろん"シャロン"はそれが誤報であったことを知っていた。しかし、訂正せずに逃げ出した。


「……ひどい話だわ」

「そうだ。貴女に聞かせるのも罪深いことだ。だから私は、天罰によって死んで当然の男なのだ」

「いずれわたしも王子の破滅すらも願うようになる、だからやめろって言いたいの? それじゃ一生、誰も好きになれやしないわ……!」

 罪の告白を終えたグレンが、熾火のような恐れ知らずの目で養女を見返す。

「そうではない! 貴女は私とは違う。私のように弱く、残酷でも、愚かでもない」

 そしてまた、口をつぐむ。

 “シャロン”は混乱してきた。

 いや、グレンの混乱が乗り移って来たかのような気がする。


 なぜこの期に及んでもグレンは、初恋の相手たるシャオ王子が偽者であり、死んだはずの愚かな甥が成りすましていた詐欺師なのだと愛する養女に教えてやらない? 

 ―――まさか。


(まさか、グレン叔父さん、おれを……シャロンを、庇おうとしているのか?!)


 いやそれとも、アルメリカのあまりに美しくも儚い初恋という夢を壊さないように、との想い、からだろうか。

 いずれにしても、養い子達に対してあまりに感傷的ではないか。冷徹気取りの甘々に過ぎる。


(ふざけるな、何が今日は嘘を言わない、だ。なんで……なんで……!)


 “シャロン”もまた、シャオ王子であったがゆえに身を持って知っている。

 嘘にも真実と同じぐらい、いやそれ以上の、善悪を超えた力があることは。

 それが、時には真実と同じか、それ以上の光を帯びてくることも。


「この航海の間、ずっと考えてきた。貴女にどう償えばいいのかと。冥蘭のせいで貴女の身に異変が起こった。私は貴女をお救いし、何があろうとも見守り続けると貴女の母上に誓ったのに……何も出来ず、無念だ。私は、あまり長くない」

「何よ、今度は弱気? そんなことを言っても許さないわ、許さないわよ……!」


 本当に、グレンはもうすぐ死ぬというのか。

 "本物"のアルメリカにも会えずに?


 誰かが、絞るような声をあげて泣き出した。

 自分だった。

 予定外の行動だ。自分の精神(こころ)が壊れかけている証拠だ、”シャロン“はそう考えた。


 そうでなければ、この壊れそうにやわな胸が、こんなにも痛むはずがない。

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