3-4.提案
「行けるだろうさ、風だけじゃねえ、海竜のぬるっとした尻尾を捕まえりゃ船速も増すんじゃないかね?」
エクシャナスが場違いなほどの陽気さで言う。
「それだけじゃねえ。海の底には亡霊たちがうじゃうじゃしてて、船員を怪しい光で引きずり込むんだそうだぜ! ハハっ……だがそれもこれも、船がなきゃはじまらねえ。船のない船乗りなんざ、馬のいない騎士よりもひどい。お前らの船、あんなものは内海用のボートだ」
先祖代々、荒っぽい大西海に臨んで生きるマーカリア人や北方人たちは、テシス内海どころかその先の中央海をも”内海”だと平気で呼びつける。
「お話の途中かと存じますけど、ところで王子、さっきからそこの秘密の出口の向こうに誰かがおりますよ」
その時ハルが壁の一画をあごでしゃくった。
眉をひそめたのはエクシャナスだ。
「おいおい、あんたも相当怪しいぞ東方人、なんでそこが出口だってわかるんだよ?!」
”アルメリカ“が頷き返すと、ハルが勝手知ったる様子で隠しドアを肘で突いた。
いつからそこに佇んでいたのか……黒い人影があらわれた。
頭巾付きの外套から垂れる雨の滴が木の床に染みを作っているのを見ても、数分以上は経過していたようだ。
「総督?!」
戸口の向こうで、フードを取り去ったウィレム・スタイフェルに、男たちが叫ぶ。
「あ、あんた、ウィンドルンの?! どこから飛んできたんだ?!」
「この野郎、よくも裏口からのこのこ久しぶりにわいたもんだな?! ウィレム!」
バックスとエクシャナスも、揃いも揃ってお邪魔虫みたいな扱いである。スタイフェルとエクシャナスは旧知の仲であるらしい。
「そう、私はご覧の通りウィンドルン総督だ。マーカリアの助成金が及ぶところ、地の果てであろうと水平線の彼方であろうと私の行動が妨げられる道理は、存在しない!」
スタイフェル調というよりはグレンみたいなことを言い放ったのち、
「話はおおむね、盗み聞きさせてもらった……あんたもそう思ったんだな? エクシャナス。王子がアルヴァーロ・ナルディアスに、似ていると」
「……まあな?」
「これではっきりした。王子……セイミ・シャオ様」
入ってきた総督は、あろうことかまっすぐ、“アルメリカ”の正面に立った。
奇妙な緊張感に包まれ、ほとんど逃げ出しそうになる。何とか威儀を保って踏みとどまる。
でも。
ふと、側に居るハルの気配が――消えた。
彼の身体は指先一つ動かされてはいないのに。
”アルメリカ“は彼が刀の柄に全神経を集中させているのを肌で感じ取った。
「……なんでしょう、総督。何がはっきりした、と?」
「シャオ王子、貴方は……いえ、貴方の航海はナルディアスの亡霊にとり憑かれておられるのです!」
真横で蹴躓いたようにハルがずっこけ、エクシャナスが呆れた声をあげた。
「はあ? 馬鹿か、おめえは! 突然現れて何を言い出すかと思えば。呪われとるのはおめえの沸いた頭だろうが、このタコ総督が!」
「タコやイカなど十分高等生物ではないか、こう見えても私は日頃ある友人にもっと悪し様に言われているんだ、土ミミズの百分の一以下の価値も無い奴めとかな! 未知に臨む航海者にきっと必要なものを、王子、貴方は持っておられる……私はそう言いたいのです。悪霊の力でも借りねば成し遂げられない。それが冒険航海というものなのです」
「罪悪感かよ、ウィレム。今更、マーカリアの威信をかけてせがれやアルヴァーロの弔い合戦でもおっぱじめようって?! ハッ! そろいもそろってみっともねえ……」
「みっともなくて結構! エクシャナス、我々の船を、西の海にふさわしく艤装してくれ!」
スタイフェルが濡れた外套を背中に払う。携えてきた革製の筒を取り出し、ある種の気迫と共に蓋を開けた。
示されたのは船の改造図案だった。
”アルメリカ”は、地下室で油が足りないから回してほしいというスタイフェルの願いを思い出した。磁器を眺めるためだと思っていたが、作図のためだったのか。
エクシャナスの眼がにわかに底光りし、図案を睨めつける。
「……船尾楼閣を取っ払う気か!」
「風を味方につけるには甲板上のものをほとんど無くしたほうがいい。それに……王子はもう、我々の囚人ではあらせられないのだから“檻”は要らん。今の縦帆では追い風のときに効率が悪い。前方のマストには横帆を張り、さらに帆桁を回転式に変え、船首尾線に対し臨機応変な角度に張れるようにして欲しい」
「一ヶ月はかかるな」
「十日で頼む」
「まあ、よくて二十日ちょっと」
「十日で頼む」
バカを言うな! とエクシャナス。だからバカで結構だ! とスタイフェル。
「これは、共和国の新事業なのだ! 命令だエクシャナス。酒場のオヤジは誰かに任せ……伝説の船大工に戻りたまえ」
「……くそったれめが! 父上が俺のダチ公じゃなきゃ、お前みたいな青二才なんざ木屑にしちまうところだよ! タルサオラの人夫総出になるぞ、こりゃあ……」
五十近い歳だろうとなんだろうと、エクシャナスのような老人から見れば全員青二才なのだろう。
あのー、総督? とハルが困惑を装った風の声で訊いた。
「この後悔だらけのサンガラ王子様の航海が、海の歴史の一部になるんで?」
「そう。必ずや、そうなるであろう」
スタイフェルは断言した。やけっぱちのようにも、何かを決意した顔にも見える。
「我々は、西の果てを見たいと願うセイミ・シャオを伴って”帰らずの岬”に出向いたものの嵐に巻き込まれ、そのまま沖合に流されるということにする!」
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