3-3.色男のバカ野郎
次いでエクシャナスは、乱雑に詰まれた箱の一つから黄ばんだ紙の束を取り出した。
何かの数字の羅列が記されている。ずっと無言で見守っていたバックスが、あっ、と叫ぶ。
「航海記録じゃないかっ」
「例の狂った色男は公社の元社員だったせいかこういう所は妙に律儀で……いやちげえな、自分にだって律儀な所もあるってことを誰かに言い訳するためにこいつを書いたんだ。絶対に外に出すな、出すとマーカリアに消されるぞ……そう言いながら、な」
マーカリアやレグロナが海洋事業を発展させるにつれ、特に交易公社の船長にはこういった天測による航海記録をつける能力が求められるようになっている。
そいつの遺言というか呪いの言葉があってな、とエクシャナスはおぼつかなげに続けた。
「いつか、自分の後釜を継ぐ無謀なバカ野郎の一人や二人、南への道を尋ねにやってくるかも知れない、誰の為でもない、そいつの為に、俺がこの世にこっそりと残せる唯一のもんだって、な」
「てこたぁ、あっしらが今日来るまで誰も南への道を尋ねなかったんですかい?」
「……皆、賢人だったってことですかね」
バックスが自虐気味に嗤う。この前のミルザーの演説を思い出したのかも知れない。
「そういことだ。冗談でも言えねえって奴さ……言っとくが王子様、あんたまで本当に狂ったバカ野郎にならないことを俺は願いながら話している。諦めさせるために、だ」
その時、穏やかに語っていたエクシャナスがその紙の束を暖炉の中で燃える火の中に落とそうとしたのに“アルメリカ”は仰天した。
「ま、待って?!」
「待て、というのか? 本当に? さあ、お宝の地図の命が風前の灯火だぞ。だが俺がこいつをここに放り込めば、王子様、オレはあんたの命を救ってやったとそれなりに胸を張れるんだ。そっちのほうがいい慈善事業じゃあないかね? ああ?!」
どうすればいい。
今この瞬間に決めなければ。
他の誰でもなく、この自分(アルメリカ)が。
「エクシャナス殿……わたしがこの地の涯てにまで求めに来たのは、救いではない。いま貴方の手に握られている、世界の端をひとの力で超えてみせるための航路です!」
”アルメリカ”は立ち上がり、力強く決然たる声がそう宣言するのを聴いていた。
いや、確かにそれはシャオ王子の声で、つまりは自分が発したに相違なかったのだけれど。
びっくり眼を見開いた男たちが”アルメリカ”を凝視している。頬が燃えだした。
「あ、あの……ごめん……いやすまぬ、急に、大きな声を出してしまって……」
「王子……ついに言っちまったってところだな、その一言を。まさか、そんな。謎の王子様の目的は……それ? そのためにマーカリアを籠絡しにきた、と?!」
「えっ、あ、あの……ハル……!」
慌てて従者を見やる。
彼はいつもの無表情だった。少なくともそう見えた。
それがぼやきと共にほどけた。
「あーあ……バレてしまったようですよ、王子。仕方ありませんなあ。ともかくちょいとこちらへ……ひとまず落ち着きましょうね」
”アルメリカ”の服の袖を隅まで引っ張って行き、ハルがぼそぼそと忠告する。
「だって不自然でしょう。国に追われて狂人扱いされた船乗りがそんな記録を取っておけるなんて。よしんばそうだとしてもあんないかがわしさ満点のオヤジに預けます?」
「自分が本当に、そこに行ったんだって証明するために、必死で残したのかもしれない。それに海の男で、いかがわしくない人なんている? 手に入れてから判断すればいい。ハル……お金を、銀貨で」
“アルメリカ”はとうとう、航海記録をエクシャナスの言い音で買い叩いた。
「ま、大事なのは、運ですよ。本当に……西南陸塊の遙か沖合いに“大風”が吹いていたとしても、それだけじゃあ越えられねえってことさ」
売買が済んで口が軽くなったのか、エクシャナスが身も蓋もないようなことを言う。
手渡された航海記録をじっと睨みつけ始めるバックスの横で”アルメリカ”はふと胸に浮かんだ疑問を口にした。
「それは……タルタデス沖の、冷たい海の混ざりあう海竜の住処に吹いている風、か?」
「ああ、そうだ……東方の王子様は何でもご存じだねえ? そう……そうだ。“その風”自体は、タルタデス人どもが昔から知っていた。陸(おか)じゃあからっケツだったかも知れないが……ナルディアスの野郎は海に出りゃ人が変わって、運の方から擦り寄ってくるような船長だったからな」
「ちょいとお待ちを、その色男のバカ野郎は、ナルディアスってえ名前なんで?!」
普段は微動だにしないハルが、"アルメリカ"の横で飛び上がらんばかりの声をあげた。
"アルメリカ"は少し驚きながら、
「そういえば、ハルは少し前にその名をわたしに尋ねたね。何か、知っていたのか?」
「……い、いええ? そういうわけでも……ないんですが、ねぇ……つまり、未知の風の発見者の名前なんです? ナルディアスというのは」
「アアそうさ、おかしなもんだよ、船乗りってのは。海流や風やら目に見えねえもんばっかり追いかけて、命を預けてよ。そういう意味じゃ皆、ナルディアスと変わらねえ」
「その風を捕まえれば、大南海へも行けるのだろうか」
“アルメリカ”の呟きにエクシャナスは神経質なくらいの大笑をした。
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