2-14.襲撃
直後、武装役人が芝居がかった叫び声をあげた。
「あれは何です? ……神像だ、この船にはやはり、神像が積まれているぞ!」
グレンはただ黙して、役人を睨みつけている。
一瞬その眼光のすさまじさに役人も怖気づいた風ではあるが、部下をよびつけ、グレンを捕えようとしていた。
ヴェガはまだ死体を樽に詰める作業から戻っていない。
「おじ様、こわい、わたしを置いていかないで!」
“シャロン”は走り出すと、わざと役人たちの人垣を裂くようにしてグレンの身体に抱き着いた。
グレンは“シャロン”の腕をしっかりと引き寄せた。
「お前達は神王陛下の配下ではないな」
「さて……? 黙って我らの船にご同行して頂ければ寛大なるイラヴァール=ルーラヴァル大神王陛下の耳に入れることなく、聖地のシードラ神殿にその方らの”罪“をとりなしてくださるでしょう……我々の主人だけが」
「……アルナム太守の手のものか」
底冷えするような憤りを籠めて断定したグレンに役人は黙秘した。
聖地と王都、そして中央大陸最大のの商都アルナムはこの国では危うい均衡を保っている。どうやらグレンはそのひたすら不毛な内部闘争のひとかどに巻き込まれようとしているらしい。
しかし“シャロン”は何かの違和感を感じていた。
何かがおかしい。こいつらはこいつらとして、それではヴァーミ頭のラルカンを殺したのは一体誰なのだ?
「それは……だめです」
その時。
主檣(メインマスト)の柱の陰からそう言いながら立ち上がった人影があた。
何かの染みがついたままのエプロンをつけた小柄な女――船上に、お嬢様の他には唯一残っている女性、ニルナだ。
黒い、光。そんなものを“シャロン”はいま、見慣れていたはずの老婆の冷やかな瞳の上に見ていた。
いや……以前、どこかで見た覚えがある。
「アガルスタ人どもめ、よっておたかって邪魔立てしおって……!」
豹変したニルナが忌々しげに腕を振るった。
ただそれだけなのに武装役人の身体ががくん、としなるや、投石機の攻撃でも受けたかのように吹っ飛び主甲板の真ん中に固定された救難ボートにぶち当たって倒れ込んだ。
首と、腕がぶらん、とあらぬ方向に曲がっている。
そろそろファーロベア公国で下船していったレオノラお嬢様達が羨ましくなってきた”シャロン”である。
突然の凶行を目にしたアガルスタ人たちも顔色を変えた。
「妖しげな……何奴?!」
妖魔の気配をいち早く察したのだろう、役人に同行してきたヴァーミが高く鈴を振った。
「う……うああっ……!」
清らかな鈴の音に、ニルナの顔が苦痛にゆがむ。その隙にヴァーミが腰に帯びた曲刀を抜いて斬りかかる。
良かった、気概のあるやつが一人はいた……そう安堵したのも束の間、ニルナが何事か呪文を唱えるや否や、勇敢なヴァーミの身体が炎にまかれた。
「ぎゃあああっ……!」
“シャロン”は火照る頬を強張らせながら、燃え盛る男から数歩下がらずにはいられなかった。
鈴を取り落し、火だるまになったヴァーミの身体が舷側を乗り越えていく。激しい水しぶきが上がった。
ニルナは……いや、もはやニルナの身体を借りた邪悪なモノは、乾いた唇を舌でちろちろなめまわし、一瞬で恐怖が蔓延した甲板上から突如、跳躍した。一息に下段横帆(メイン・コース)の帆桁にまで到達する。
騒然と妖婆を見上げる船員たちの中、”シャロン”一人が悟っている。
(あの時の、蛇のバケモノだ……!)
フレイアス邸の庭園温室の中で突如、冥蘭の中から襲ってきた魔物は消え失せたのではなかった。
使用人の老婆にどうしてかとりついて“シャロン”のすぐそばに留まっていたとは。
「な……何をしている、あの妖婆を捕えろ!」
隊長を喪った兵士が悲痛な号令を発する。完全に腰の引けた兵士たちが、主檣の左右を繋ぐ、網梯子のようなラットリンをよじ登りはじめた。
「貴様らの相手は……われではない!」
帆桁の上に立ち上がった妖婆が両腕をしならせるようにして後部甲板を指さした瞬間、船体が大きく揺らいだ。
(なんだ……?!)
すっかり夜目が効くようになっている”シャロン”は見た。
甲板上に放り込まれていた神像が、妖婆の手の動きに合わせてゴトリ、ゴトリ……と動き出したではないか。
四肢にそれぞれ双頭の大蛇を巻きつかせた隆々たる肉体の男神、青い肌の天雷神(シードラ)が、まるで命を吹き込まれたかのように。
アガルスタ神王国がかつてマンドラ島と同じぐらい魔法術を保持していた時代、このように、魔香を混ぜた土と石で出来た人造兵士で城壁を護らせていたという。
老婆はそれを見抜き、たちどころに自分の支配下に置いたのだ。
「殺せ、殺せ、石の木偶(でく)……異教徒どもを皆殺しにせよ!」
老婆の言葉で天雷神が進撃を開始する。あまりの重量に甲板板が軋みをあげ、うごめく大蛇の牙が策具を留め具ごと弾き飛ばし、引きちぎられた帆がだらりと視界を塞ぐ。
船員と船長たちが喚きながら逃げ出していく。
迫りくる怪物と妖婆、そしてグレンと“シャロン”の間を遮るものはもう何もない。
さしもの“シャロン”も動く石像をたらしこめる自信は無かった。
グレンが“シャロン”の腕をひどく乱暴につかみ自らの後ろへおしやった。
「……逃げよ、アルメリカ」
「どこに? 救命ボートは満員みたいだしこの辺の海は人食い鮫の楽園よ。ニルナって何だかおかしいと思っていたのよ!」
「なぜそれを早く言わん」
「し、仕方ないでしょう?! おじ様だって、ずっと部屋に籠っていて……」
口論の間に、天雷神がその巨体で飛び上がり、船を大きく揺らし始めた。
元々この船は頑丈さよりも優美さを追求した船体である。
大きな横揺れの中、グレンが階段から転げ落ちた。”シャロン”は慌てて駆け寄ろうとした。が、神像は船を揺らし続けている。手すりから手を離せない。
それでもなんとか、倒れたグレンの側に這い寄ろうともがく。
「おじ様に、何をするの?!」
腹の底から憤慨し、叫ぶ。
そんな小さな叫びを気にも止めない妖婆が、指を鳴らした。すると。
先ほどひねり殺されたはずのアガルスタ人の死体がぴくりと震えた。
「起きろ!」
老婆が邪悪な哄笑と共に叫ぶや、死んだアガルスタ人がむくりと起きあがる。首があらぬ方向に曲がり半開きの口からは舌がだらりと下がっていた。
倒れ伏したグレンに向けて生ける屍は奇声を上げ、剣をふりかぶった。
生きた屍の蛮刀がマーカリアの闇宰相の腹腔を抉ろうと構えられたのと、何者かが闇を貫く銀光――調理用包丁を投擲したのは同時であった。
小気味よいくらい正確無比に、包丁はアガルスタ人の頸骨に突き立ち、動きを封じた。
船首楼甲板を蹴り、一気に主甲板の半ばまで跳躍した何者かの膝蹴りが生ける屍の背骨をへし折る音が響く。
逞しい両腕で甲板に屍を押さえ込む。
衣を脱いだ雄々しい肩に黒い炎の入れ墨をした、アルメリカとグレンの守護者だった。
ヴェガ! と“シャロン”は、ようやくグレンの側に近づきながら歓声を上げた。
「待ちくたびれたわ!」
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