2-15. 痛み分け

 

「ごめん。アルメリカ、怪我は?」

 武器を探す時間をも惜しんだのだろう、ヴェガが両手に下げているのは、調理室からくすねてきた二本の包丁だ。

 しかし、迫りくる神像を睨みつける彼にはそれすらも不要のように見えた。

 鉄を溶かすほど高温の炎の色に似た瞳が、気迫と共に見開かれる。


「――タガン・ダ、ジャルジャ、オルロンガ!」


 さしもの“シャロン”も、西南陸塊の現地語までは習得していない。

 烈風のように戦闘態勢に入ったヴェガは石の拳を振り下ろそうとする神像の正面に回り込む。

 妖婆の憤慨が乗り移ったような神像が猛りをあげてヴェガを押し戻し、航海室の木壁がきしみをあげた。


 次の瞬間、目前からヴェガの姿が消えた――――フクロウのように軽々と宙に舞い上がった狩人が神像の背後に降り立つ。

 ヴェガの拳が唸りをあげて神像の背中にあたる蛇体の根幹……首の付け根を殴りつけるとミシリ、と亀裂が走る。

 おぞましくうごめき続けていた蛇体が針金で貫かれでもしたように絶叫した……否、石で出来たものが叫ぶはずがない。


「ギャアアっ……!」

 ドサリ、とマストから甲板上に苦悶に全身をよじるニルナが落ちた。


 だがまだ石像は動いている。ヴェガは攻撃の手を緩めなかった。拳でつき、丸太もへし折りそうな蹴りが関節という関節を粉砕していくとついに神像の右膝が砕け散った。

「オオオッ……!」

 神像がヴェガを押し戻しもどそうとする。が、寸前、ヴェガが、頭を低くした牡牛の如く天雷神の巨体につっこみ、その胴を両腕で挟み込むや、手すりに叩きつけた。


 めりめりという音を立てて外板ごと、崩落していく。ヴェガが完全に神像を海に追い落とそうとする様を見て勝利を確信した”シャロン“はグレンに言った。 

「おじ様、ラルカンを殺したのはきっとあの狂ったニルナよ。それにさっきヴァーミが鈴を振った時の顔……」

 グレンも気づいたようだ。だがヴァーミが落とした鈴は、戦いと破壊の場と化した夜の甲板上に紛れてすぐには見当たらない。

「わたしが探し出すから、船室に隠れていて!」

 待て! という怒声を無視し、"シャロン”は長い夜着をつまんで大揺れに揺れる甲板上を駆け出した。

 時々、甲板に手をついて転ぶのをまぬがれつつ、夜目で探し、耳を澄ます。

 と、チリン、という微かな音を拾い、はっと振り返る。引きちぎられた策具の下に引っかかっている。

(あった!) 


 と……

 “シャロン”が飛びつこうとしたその時。

 何者かの手が長い銀髪を引っ張り上げた。


「この色は、どうしたことだろうね、本当に……魂が抜けた色味をしてまあ……!」

(しまった――!)

 魔除けの鈴を掴みそこねたまま、"シャロン"の軽い身体は易々と引きずりあげられた。

 そこには先ほどまで苦悶でのたうっていたはずのニルナが、少女の髪の毛を荒々しく手繰りながら立っている。

 だが、その顔はもはや老婆のものでは……いや、とっくに人間のものではなくなっていた。


「お遊びももう終わりだよ。いい加減白状をおし。ぬしは、誰じゃ? 魔香使いでもなし、なにゆえにシュリガの娘の魂を、消し去った?!」


 白髪を振り乱し、老いさばらえた皮膚の下から蛇頭の輪郭を徐々に顕わしていく見るもおぞましい妖婆……

 それでいて身体はいまだ使用人のエプロン姿だ。


(こいつは……"俺"に、気づいている!)

 背筋を凍らせながらも、“シャロン”は敢えてすっ呆けた。


「あんたこそ、何者よ……さっぱり、だわ……痛い! 離してよ!」

 妖婆のむこうずねを蹴ったくった。だが少女の脚力では少しも揺るがない。逆に、マストに背中から叩きつけられた。

 小さな胸は苦痛にあえぎ、目の前に光が飛ぶ。


「ここまでされても何の力も示さぬとは、本当に……抜け殻よ。どちらにせよおまえはじきに死ぬよ……お前の魂にチカラはまるでない……無力なものよ……」

 抜け殻、無力。

 憤怒に駆られ、容赦を失くした“シャロン”は言い返した。

「なによ! そこに逃げ込んだお前のような化け物こそ、茶番だわ。そんなところでこそこそしながら密航だなんて」

 苛立ちの声をあげた妖婆が”シャロン“の身体を投げ飛ばした。

 なんとか受け身をとりつつ足をくじいたフリをして夜着の裾の下で魔除けの鈴を今度こそ握りこむ。


「”お前“がいかに気丈に振舞っていてもじきに身体がついていかなくなる。さあ言え、あの娘の魂を、どこへ、やったんだ?!」

 妖婆が瞳を剥いたその瞬間、“シャロン”は勢いよく魔除けの鈴を掲げ、鳴らした。

 とたん、妖婆は再び苦悶にのけぞり、蛇のようにのたうちながら“シャロン”の細首に掴みかかってきた。


(ああっ……力が……くそっ! 力が、力が、足りない……!)


 うつぼの口のように上下に開いた女妖の牙が“シャロン”の喉笛に喰らいつこうとした瞬間、誰かが激しく体当たりをした。


 グレンが覆いかぶさるように自分の盾になり、その肩に女妖の牙が深々と突き立てられてもわずかに顔をしかめただけで唇を引き結んで耐えている。

「おじ、さ……!」

 グレンは、腕の中の養女の抗議じみた悲鳴を凄まじい目つきで制し、蒼白を通り越したような顔色で厳命した。

「ヴェガ、炎と共に、断ち切れ!」


 グレンのしゃがれた声に応じ、神像を海へ追い落としたばかりのヴェガが松明を抜き取った。目にも留まらぬ速さで妖婆に投擲する。


 燃え上がり、断末魔の声をあげる妖婆が影絵のように飛び跳ね、逃げ回りはじめた。

 海に逃れようとする老婆の首筋に、ヴェガのアガルスタの曲刀による追撃が奔る。

 頭の重みを失った身体が、なおも燃え盛りながら遅れて甲板の上に倒れ込んだ。


 それを見届けた瞬間、グレンが、"シャロン"を深く抱きしめたまま倒れ込んだ。

「おじ様……おじ様!」


 "シャロン"は、悲鳴のように叫ぶしかなかった。

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