2-8.大人の事情

「困ったもんだ。あいつら、王子の代わりにあっしを放り出そうって魂胆らしいですなあ。あっしなんか鮫も食いやしないのに」

 制水板を乗り越えて船長室に戻るや、ハルがそう呆れ混じりに嘆息した。

「ハルが居なくなったら、わたしだって困るよ……! ねえ、王子はマーカリアからその後は一体、どうするつもりだったんだ?」

「……西の果てが、我が人生の終着点だとしか」

「そんな、なんだか死んじゃいそうな雰囲気だな……」

 しかし、それは中々、良い手かもしれないとも”アルメリカ"は思う。 


 シャオ王子には行方不明か、あるいは見せかけの“自殺”をしてもらう。その間にどこかへ逃げて元に戻る方法を探す。そうすれば後ろめたさからも、私刑に遭う恐怖からも逃れられる……一時的にせよ。

 でも……ちら、とハルを見つめる。この人はそんな方法に納得するだろうか? 


(違うわ、ハルさんがどう思うか、なんて責任転嫁よ……!)


 自分は今、世界の半分が同情を寄せるセイミ・シャオなのだ。

 そのシャオ王子が、臆病にも死を選ぶ? 平凡な自分が少しでも苦痛から逃れたいと思うばかりに?

 夜の庭園で寂しげに微笑んでいた王子が忘れられない。思い出すと今も頬が熱くなる。

(わたしは、自分のわがままのせいで王子様の大切な人生を奪ってしまったのよ? どうやって償えばいいのかも分からないぐらいとんでもないことよ……)

 海図に目を落としながら、この世界のどこかに在るはずの王子の魂の行方を想った。

(王子様をこれ以上悲しませたくない……世界を彷徨わせたくない。王子様の本当の望みが何だったのかわたしには分からないけれど……)

 気を取り直し、“アルメリカ”は自分の考えを切り出してみることにした。


「給金を貰ってないって皆が言ってたけれど、王子なのに、どうしてお金がないんだ?」

「いや、払うつもりだったんですよ、総督に船や財産を差し押さえられるまではね。宝石類はレグロナで、それに磁器は方々でほとんどバラまきました。あと残っているのは最後の磁器に、書物、薬種の数々、それに振り替え前の手形が……あ、失敬失敬、ありゃあっしが腹いせ……いや燃料と間違えて燃やしちまったんでした」

 引き出しの紙の束から一枚抜き、船長の椅子に座った“アルメリカ”は羽根ペンの先を付属のナイフで削り、干からびる寸前になっているインク壺の底のインクを染み込ませるとハルが挙げた財産を書き留めていく。

 ハルが物珍しそうにその手元を見つめた。

「へえ、そういや王子が字を書かれるのは初めて拝見いたしますねえ、しかも達筆……」

「……バラまいたっていうのは、具体的にどういうこと?」

「貴族や金持ちから優遇を引き出すためでさぁ。いくら王子とはいえサンガラはもはや亡国、足下を見られないようにする必要が……寄付金が全く無かったとはいいませんが」

「で、とっておきの磁器は、ウィンドルン総督に贈ったってところ、か?」

「へえ、ご明察で。総督の邸宅に大方お納めしやした」

 “アルメリカ”は大人たちの談合ぶりにやや本気で呆れ、ペン先を止めた。

「それなのに、総督ったら王子にこの仕打ち?」

「逆ですって。初め、フレイアス卿の通報で王子は監獄に送られることになり手続きも進んでおりやした。しかし卿が翌朝出航すると総督はその訴えを取り下げさせ、王子は精神的にお疲れだったってことで、無罪放免。後はタバックとミルザーがこの船に爆薬を仕掛けた容疑で捕まり、いわば身代わりに監獄行きになったんでさぁ」 

「そんな。船長たちは、本当にそんなことをしたの?!」

「皆、否定してます。でも彼らを擁護することはこっちの立場を悪くするだけでして」

 冷ややかにハルが断じた。心苦しくはあるが、その通りだ。

「……なるほど。わたし達は、どちらにしても海賊だな。掴まったら縛り首だ」

「でも、総督さんはさらなる見返りを期待しておりやした。それがこの船に積まれている限りすぐにドカンとやられることはないと存じますが、どうなんでしょうねえ」

 それは何? と問うと、まだ秘密の倉庫にあります、とハルがあっさり指で示した。

“アルメリカ”が腰かけている椅子の下にある跳ね板式の隠し扉だった。


 ハイごめんなすって、とハルが扉を引き上げ、カンテラを持つ。横に退いて待つ”アルメリカ”は胸を高鳴らせている自分にちょっとした罪悪感も覚えた。

 灯りを持ったハルに続いて降りていくと、潮の香りに混じって濃厚な異国の文物に包まれる心地がした。グレンの書斎の香りに少し似ていて心が慰められる。

 そう広い空間ではないが、床は荷解きされていないままの交易品によって埋め尽くされている。


 問題の木箱は壁の留め具とロープとで固定されていた。藁でぐるぐる巻きにされた荷の中にあるのは、おそらく皿だ。通常磁器は割れないように甲板上に置かれて運搬されるものだが、ウィンドルン港の手入れを恐れて下に移動させていたのだとハルが言った。

「マーカリア交易公社の港湾役人はこの品物を見ていないってこと、だな?」

 へえ、と答えながらハルが朱色の組み紐で封印された箱を取り出した。

「もう、サンガラの官窯は無くなってしまいましたからね。値上がりする一方でしょう」

「でも、いくら宝物を持っていても、港に上陸したら我々は逮捕されるんだろうな」

「船員どもがボケボケになった……あ、いや、少々お変わりになられたシャオ様を引きずり降ろさない訳がお分かりです? 王子の身分と大義名分があればどこに流れ着こうと現地人を味方に出来る、罪を免れる可能性があるって考えでさぁ……」


 と、その時。隅で物音がした。思わずハルの腕につかまってしまう。

「あの箱、今、ガタって……?!」

“アルメリカ”を腕に絡ませたままハルが進み出て、螺鈿と青貝細工の屏風を動かすや、丸太よろしく横倒しになってきた影がある。あやうく「きゃあ!」という所だった。


「お……う、じ………! た、す、け……!」


「ありゃりゃあ? こいつはおっ魂消た、ウィンドルン総督閣下じゃございませんか!」

“アルメリカ”も、見た。

 突如、倒れ込みながら姿を現したウィレム・スタイフェル総督――の右手が、白磁に青と朱の花絵の、小振りだが高そうな壷に吸い込まれているのを。

 抜けないらしい。

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