2-9.総督の、憂鬱

 発端はセイミ・シャオが御来航された日の歓迎昼食会後に遡る。


 ウィンドルン一の高さと眺望を誇る風の塔をご見学後、ウィレム・スタイフェル総督は自身の邸宅にシャオ王子を迎えていた……非公式に。


 スタイフェル邸の廊下や客間のそこかしこに飾られている磁器の一つ一つに目を留め、ああ、あれはあの街の窯の……などと、完璧な王侯貴族の所作とさりげない薀蓄で蒐集品の趣味の良さを賛美する王子に、総督はのっけから圧倒されていた。

 正直言って、これまでスタイフェルが迎えた来訪者で王子ほど磁器の魅力と価値を分かってくれる人間は居なかった。 

 妻や娘たちはすっかり呆れ返っているし、グレンなど“食器”がどの部屋にもゴロゴロしていては家中が台所のようで奥方も落ち着かぬのではないかと真顔で言ってのけた。ただの食器ではない芸術品だと反論したら、帰ってしまった。花だけならまだしも、草やら虫の標本まで溜め込んだ不吉な保管庫に満足している人種に言われたくないものだ。


 感激に打ち震えているスタイフェルの前で、シャオ王子は例の小柄なミアンゴ人従者に持たせてきた長櫃を開けさせた。

 蓋付きの碗、大盤皿、香炉、それにスタイフェルがことの他好む壷……次から次へと、目を疑うような逸品の磁器が手品さながらに取りだされていく。


 これは、断じて賄賂ではない。王子が“個人的な好意の印に”と下賜されるものだ……

 自分自身に繰り返し、言い聞かせる。


『磁器によって栄え、そして磁器によって滅びたも同然な王国の王子である私が、磁器を手に救いを乞うて回る……皮肉なものだと、どうぞ嘲っていただいてもよいのです』

『あっ、いや、そんなことは。そんなことはありませんぞ、王子……!』

 だが、我に返る平静さはすでにスタイフェル自身も気づかぬうちに身から剥がれ落ちつつあった。


『閣下の磁器に関する造詣の深さ、お噂は、沿岸諸国まで鳴り響いておりましたよ。必ずや他ならぬ閣下のためにこれらをウィンドルンまで運ばねば……と苦心致しました。実を言うと道中、ファーロベアの大公に全て“献上”するよう脅されもしました。それでも幸いなるかな、失ったのは持参してきた磁器のごく一部で済みました。どうです、この香炉など? お嬢様にでも……』

『こ、これらと同等のものを、まだお持ちなのですか?!』

 蒐集家としての自分の名声の広がりもさることながら、近頃持てはやされている窯変の朱瓶の、魔性の如き煌めきから目を離さずに言う。

『はい。東玻の”黄彩焼き”や我が国の”青華”の茶壷が少々……船長室の下に』

 サンガラの至宝ともいうべき焼き物、”青華”は王国の滅亡以来価格が急騰し続け、愛好家たちは一種の狂騒状態にあるといってもいい。

 それを王子は”少々”持参してきたというのである。


 血がたぎる、否、凍り付くような心地さえ、する。

(私は、試されているのだろうか……?)


 シャオ王子は大盤皿に描かれた百花王(ボタン)も霞むような、艶やかな微笑を交え、葛藤する総督にあくまで耳柔らかに言い聞かせた。

『競売にかければそれなりの値段で売れるとは思っているのですが、造詣深い閣下のご意見を頂きたく、大事にとってあるのです。心ある方の手元に渡ってこそ祖国で散った陶工たちの魂も浮かばれると信じて……隠し場所はどうぞ、ご内密に……』


 ところがその夜、あの不可解な王子逃亡とフレイアス邸温室爆発事件が起きた。

 グレンは慌ただしく養女とタルタデス人を連れて出航していった。

 事後処理を、磁器によってすでに買収されていた総督に任せるという読み違いをしたまま。


 王子の身柄はグレンが望んだ監獄には向かわせず、聖なる囚人号に戻された。もちろんスタイフェルがすみやかに手を回したのである。

 それでもマーカリア交易公社の査察官と総督が王子の元に踏み込まないのは、逆に不審を招きかねない。


 事件の翌朝。

 未だ目覚めない王子の様子を型どおりに見舞うと、総督職にある者だけがまとう群青のケープに羽根付き帽子姿のスタイフェルは査察官たちを連れて船上を我が者顔に歩いてみせた。

 乗組員たちは不安と反感を籠めて押し黙っている。

 しかし、スタイフェルは彼らに無闇に不安を与えて楽しむために来たわけではなかった。

 実は彼ら同様、いや彼ら以上の緊張と焦燥に似た狂熱に駆られていたのだ。

『船長室を特別に精査する、誰も入れるな』

 隙を見計らい、秘書に命じて閉じこもった。カンテラ一つで地下に降りた。


 果たして、シャオ王子の言葉通りに……

 隠された船倉の一角で正真正銘の奇跡の具現を目の前にし、言葉を失った。

 開封した箱の中に鎮座ましましていた黄地に海龍の紋が染付られた皿を手に取り、裏側を検め……そこにあった印に感嘆の声をうめきを洩らす。

 赤の龍紋……二重の円。


(本当に信じられん……! これは、門外不出の官窯の品々でなはいか!)


 皇帝直轄の工房の秘密の窯で、千枚焼いた中からただ一枚のみ選び出された器にのみつけることを許されるという、東方大王のための最高級品であった。もちろんスタイフェルも実物を目にするのは初めてのことである。

 こんなものを手に入れられるのは東玻帝国と繋がりのある東方王家の人間だけだと断言出来る。

 

(グレンは間違っている。むしろ、罠にかかったのは彼のほうだ。セイミ・シャオが偽者だとしたら、私は自分の首をこの皿の上に捧げてしまってもいいくらいだ!)


 そしてついに。皿の下、別の梱包の中から震えだしそうな両手でそれを、押し頂く。

 その精緻さでは世界一と謳われるサンガラ王国の至宝、”青華”の茶瓶。肩部から腹部にかけて美しく膨らみ、その美しい曲線のまま慎ましく裾窄まりになって自らの手の中で震えていた。 

 いや違う、震えているのはスタイフェル自身の手だ。

 白地に青彩の染付け紋様、滑らかな釉薬の下に伸びる蔓の絵、そして永遠に咲き誇る百花王の朱色。

 暗い船倉の中なのに、金剛石よりも光輝いている。

 最下部、高台の裏にある紋を見て小さく悲鳴をあげる。

 ヘイセ・スウ、あの伝説的陶工の屋号が目に飛び込んできた。眼前に雷光めいた閃光を浴びたように立ち眩む。 

 再び壷を眺め、茫然自失したまま、中を覗いて見る。

 手がやっと入るくらいの口の底に星型の輝く紋。“スウの星”、と好事家の間では畏怖を籠めて謳われている。その壺には魔力すらも宿るとも……ひんやりとした地肌の曲線を辿っていた指が、壷中の闇の輝きへと吸い込まれていくのを止められない。

 これまで、こんなにも”青華”と触れ合った西方人が居ただろうか? 

 これはもはや、人類の至宝に相違ないのである。そしてこの自分がその所有者、守護者、管理者に……?


 至福と恍惚のうちに右手首を戻そうとした。

 抜けなかった。

 むしろ、抜こうとすればするほど、冷たく心地よく吸いついてくる感じだ。苦笑を浮かべてさらに力を込めた。

 人当たりがよいと称される顔が引きつっていく。痛くなってきた。これはまずい、とても無理だ。

 至福の一時が瞬時に悪夢へと反転したその時、辺りが騒音を立て始めた。誰かの悲鳴と、甲板上で複数の人間が走り回る音。


(まさか、反乱か?! 冗談ではないぞ、私がこんな時に!)


 何事だ、ウィンドルン総督がここにいると知っての狼藉か! とか叫び颯爽と駆けつけるべき場面である。

 だが問題なのはこの右手だ、今、甲板に走り上がっていけば騒ぎに巻き込まれ一体化しているこれが割れてしまうかもしれない。

 第一、査察の最中に壺を撫でまわしていたなんて部下に対しても示しがつかない。


『消えうせろ、強欲なマーカリア人どもめ! 錨を切れ、ずらかるぞ!』

 船が、動き出した。

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