1-8.見えざる脅威

 両社の板挟みになった総督も、ひきつった笑いを浮かべていた。

「それは殿下、一体、どういう意味でしょう? 確かにレグロナは、マンドラ島の鉱山ばかりか海岸線の領有をいまだに狙い続けているという噂はありますが……そこにオリエンタが介入しているとおっしゃるのですか?」

 マンドラ王国は、かつては東玻帝国の支配下にあった。それをレグロナ帝国やアガルスタ神王国の艦隊と同盟して追い出したのはおよそ百五十年ほど前のことである。狼を追い払うのに、別の狼たちの力を借りたのだ。

 マンドラ島進出に関して、新興国マーカリアは後発の三匹目に過ぎなかった。商売以外は無関心なマーカリア商人たちは各国王たちが利権や宗教を巡って争っている脇で商売に勤しんだ。全盛期を築き上げたマンドラ商館長が他ならぬグレンだった。

 敵の敵は味方、いつの間にか巨利を上げているマーカリアに勘付いたレグロナとアガルスタはマンドラ王国の排他的勢力と組み、マーカリア商人たちを“王国簒奪者”として追放させた。

 艦隊出動を要請せず、みすみす退去したグレンは帰国後非難され、失脚したのである。

「私とてスパイのような真似事はしたくありません、ましてお金の為でもありません。でも……レグロナの女王陛下自身が、私にそう……」

 シャオがわずかに身震いした。独身の女王にあの手この手で相当“迫られた”という面白半分の噂は、マーカリアにもとっくに伝わっていた。

「レグロナ艦隊に攻め込まれれば、マンドラ王は再びどこかの誰かに助けを求めるでしょう。しかし、アガルスタは別の狼に過ぎませんし、マーカリアは自らが追い出してしまった。残るは……旧宗主、オリエンタだけです」

 旧宗主、その言葉に独立を成し遂げたマーカリア人たちはことの他敏感だ。そのことまでもシャオが計算しているのだとしたら大したものだ。

「おそれながら東玻船がマンドラ島やその近海に現れたとの報告は長年、ありません。貴方の仰る通り、オリエンタがサンガラの造船技術を新たに手に入れたのなら、すでにマンドラに辿り着けるような軍船を持っている可能性がある、ということでしょうか」

「総督閣下の仰られる通り、確かに彼らは海運という面では長らく劣っていました。しかし今や周辺国の富と技術を食らい尽くし、同じジンハ教国家を護るという名目で大艦隊を派遣してくるやもしれません……私の不安な心から兆す妄想であれば、どんなにか。けれど、大海の縁に生きる者として少し考えれば、自明のはずです」

「そんなことになれば、まずは対岸のアガルスタが黙ってはいないぞ……?!」

 軍人たちが口々に懸念とも期待ともつかない海戦論を口にしはじめる。

 王子はそれを諌めるというより密かに煽るかのような流し目をくれた。

「大王は、二百年ほど前にどこかで不老不死の秘密を手に入れてからはもはや不死身です。不死身になった大王が西のもう半分の世界を所望した時、マンドラ島で満足するという保証はどこにもありません。とりわけテシス海の口、中央海峡が重要かと……」

 中央海峡。それは、マーカリアにとっても生命線とでもいうべき場所である。テシス内海から大海に出る唯一の海峡で、今はアガルスタ神王国の支配下にある。

 内政干渉的な発言に、というより同胞たちの狼狽についに腹を立てたグレンは、孤立無援を意識しながらも再び口を開く。

「アガルスタには毎年、呆れるほど通行税をくれてやっている。そんな雲をつかむような理由で新たに艦隊や軍資金を出させようというのか? 袋から鶏を掴みだす手品師さながらですな、王子ともあろう御方が」

「フレイアス卿、いい加減にしろ!」

「その通りだ総督、私は加減など知らぬ男でな。王子だろうがオリエンタだろうが、マーカリア共和国は“君主”へ金を貸すことはない」

「君こそお父上と違って頭取であったことはない。頭を冷やしてこい植物園園長殿!」

 総督スタイフェルの一喝が、ことの成り行きに固まっていた聴衆の上に残響を残す。

 これ幸いと立ち上がり、左脚を軽く引きずりながらグレンが動き出すと列席者たちは疫病患者でも遠巻きにするように道を空ける。

「フレイアス殿」と、凛とした憂いの声がひとつだけあがった。

 仮面越し、少し潤んだ蒼い瞳をグレンに向けてくる若い王子は冷淡になりきれないようだ。

「お忘れです、杖を」

 聞こえなかったフリをして、遠ざかることに専念しながらも背後の会話に耳をそばだてた。


「……どうやら、世界の真実をさらけ出しすぎました。あの方を怒らせてしまったらしい」

「お気になさらず、シャオ王子! あの無礼者を呼んだ我らが愚かでしたよ!」

「いいえ、至らぬ私が悪いのです。貴国に、もっと大切な願い事がありましたのに……」

                  ※

 海運会館の大階段にまで達したところで、グレンは背後から駆けつけてきた手に黒ベルベットの袖を捕まえられた。総督スタイフェルの手である。

「グレン! ……済まなかった」

「何がだ? 総督閣下」

 袖を引っ張り上げながら胡乱に見やる。

「とにかく、謝る。それはそうとシャオ王子がいたく心が塞がれた様子で、君との内密な会談を切望なさっている。両国の変わらぬ友好のあかしに、マーカリア中央銀行の特別金庫にサンガラ王国の至宝を預けたかったらしい。その保証金に一万グルーベを明日の朝にも即金で支払うというのだ! やはり王族というのは気前がいいものだな」

 興奮しきりなスタイフェルを信じがたい思いで見つめながら、グレンは舌打ちしかけた。

 まんまと、王子めにしてやられた。

 東玻艦隊の脅威や軍資金云々などという与太話の披露は、こちらの“本題”を呑み込ませ易くするための撒き餌だった可能性がある―――

 それに食らいついたのは、他ならぬこの自分でもある。

 内心、忸怩たる思いにとらわれたグレンをよそに、亡国の王子に頼られるという稀有な体験に舞い上がった総督が熱心に続ける。

「これで王子が何故レグロナを蹴ってマーカリアに来たのかも謎が解けた。つまり、地理的にオリエンタから最も遠く、信用ならないレグロナにも対抗出来る世界一厳重な場所……そう、マーカリアだ。皆は皇太子が拷問されても吐かなかったサンガラの秘宝に違いないと言っている。そして、あの金庫の承認委員の一人は、君だ!」

「私は印章を押しにきたのではない。化けの皮を剥がす手を邪魔されては、私が今夜来た意味がないということだ。勝手にするがいい!」  

「化けの皮? 君はあくまで、王子が偽者だというつもりか。それなら諸国を通過してくる途中でばれるのではないか?」

「最初は鉛のようであってもやがては勝手に黄金色を帯びていくのだ、人々の喜ぶ噂というものは。だが証拠はない、あれが本物だという証拠同様に。林檎がどうの陶工がどうの……余計な尾ひれをつけ、行く先々で真実をさらに眩惑させているに決まっている」

「……ヘイセ・スウが先ごろ亡くなったとは私も風の噂で聞いたが、まさかそんな……」

 東方の磁器に目のないスタイフェルは、何故か後ろめたそうな顔つきになる。

「サンガラ滅亡は事実、しかしそれを利用してかかる詐欺師もいるということだ」

「いっそ、本物で居てくれたほうが私としては気が楽なんだが」

「莫迦なことを……」

「いや! あれだけの金品や見事な船をただの詐欺師が用意出来るとも思えんぞ? やはり」

「それは……私にも分からん。分からぬことは、いまはいい。お人よしの総督も結構、だが人々の“夢”を壊さず、また沿岸諸国と角も立てたくないのなら得意の懐柔策で速やかに追い出せ。なんなら王子が同盟を結ぶにはやはり共和国より君主国のほうが格式が高いとでも言ってやるのだ。金庫は貸したとしても、金は一セーヴェルたりとも渡すな……ウィレム、人は自分が信じたいものしか信じぬものだ。たとえそれがまやかしだと知っていても、なお」

「……そうだな、我々や、私はまあそれでもいい。だが君自身はそうはいかないだろう。どうするのだ、化けの皮を剥がすのか、それとも印章を押してやる、か? 王子はすでに君をご指名でお待ちだぞ。何ならお断りするか? 足の調子が悪いとでも言えば……」

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