1-7. 闇宰相の言い分

 聴衆たちは、息をすることすらも忘れ果てていた。


 巧みな外交と交易、たゆまぬ技術革新により強国になったはずのマーカリアの海運会館の中に硝煙と悲嘆と血臭、業火の残熱でも立ち込めているかのように。

 シャオ王子の、冷徹なまでに感情の一切を廃した語りの最後の残響を追いかけるように誰かが洟水をすする音がした。頬を伝い落ちる涙を無言で拭う海軍提督も居た。

「そんな、理由とも言えぬような理由で? たったの一か月足らずで、王国全土が潰されたというのか?!」

 これまでサンガラ王国も東玻帝国も、マーカリア共和国にとっては世界の反対側にも等しく、あまりに遠い異国でしかなかった。直接的な影響といえば人気の高いサンガラの陶磁が入荷しなくなったことぐらいか。

 それが今宵突然、東方にはまるで戯れに鼠をいたぶる猫のように一国を滅亡させる“暴竜”が居るとはっきり知らされたのである。

 じりじりと、打ちひしがれる聴衆の中で我慢を強いられていたグレンはゆっくり立ち上がった。

 奇しくも今宵の王子と同じく黒衣をまとった自分が発言の許しを請うと、参事会員たちは喜んでかつての大立者を促した。

「お初にお目にかかります、私はグレン・フレイアスと申す終身参事会員です。殿下はサンガラ王国の第五王子? 第六王子? どちらと仰ったのだったか。まあどちらでも構わんが。我が方の外交筋に於いてはサンガラ王国に王子は四人、皇太子のお名前は殿下と同じセイミ・シャオ様でいらっしゃると伺っておりました。しかしながら今の“物語”によれば九王子とは、随分とぞろぞろと。貴国からの情報に漏れが……あるいは不備があったということでよろしいのですかな」

 温かな労いの言葉を期待していた列席者たちが呆気にとられ、顔色を失っていく。

「フレイアス殿……長年、マンドラ島にもいらっしゃったという……?」

 少し戸惑ったようにシャオ王子が返した。グレンは仮面への凝視を外さない。

「私の経歴ごときまでご存知だとは、意外ですな」

「マーカリア躍進の噂の中では必ず貴方のお名前が囁かれておりましたよ。“対外向け”の情報がまだ出回っていたようですね。無理もありません、我が故郷は余りに遠い……実は私以下、五人の王子たちは王妃以外の子、妾腹の生まれです。正妃は正統な王子以外認めないよう我が父に働きかけておりました。ゆえに我らは王子でありながら諸外国や国民に対しては存在しない者として扱われました。我が母が私を皇太子と同じ名前にしたのは王への揺るぎない信頼を示してのことであろう……と聞かされて育ち、私も父王には変わらぬ愛情を抱いておりました」

 なるほど、とだけ答えたグレンはそのまま沈黙する。考えを巡らせつつ、いきなり侮辱を受けたはずの王子が全く平然としていることには内心感心していた。

 一方、王子の意外な出自の低さに少しだけ冷や水を浴びせられた格好のマーカリア財界人たちは、かえって王子の味方になろうと躍起になって声を上げた。

「もうよいだろうフレイアス卿、なんという、心無い……!」

 それでは、とグレンは制止を無視して質問を再開する。

「囚人船上で殿下が叛乱を起こされた後、サンガラ国民の生き残りが皆こぞって貴方を助け、西方へ船を送り出したとの"逸話"と矛盾を来たしておりますな。彼らは、殿下を日ごろから知っていたのですか?」

「それは否とも、また然りとも言えます。私はよく城下に出はいりして民草のふりをして市井を見聞するのを楽しみとしておりました。その私を東玻帝国が連行していった。この時に皆、知ったのです、自分たちは“騙されていた”、と……」

 追求者のグレンの目前で、王子は突如帯を外し漆黒のシュバを片肌脱ぎだした。

「確かに自分は、国璽も持たぬ流浪の身。ただこれだけが……身の証と申せます」

 艶かしいほど滑らかに引き締まった青年の白い素肌が衆目の前に晒される。

 突然のことに皆が息を呑みつつも、目を向けずにはいられない、背中に走る恐ろしい焼印の痕を。

 皆が、どうかご着衣を! と懇願し始めた。王子は袖に腕を通し俯いて黙考した。

 グレンは胸に手を当て、潔く頭を垂れて引き下がる真似をした。

「不躾なことを申し上げました。どうか、我が非礼をお許しくださいますよう」

「殿下、寛大なお心を示して頂き、マーカリア国民を代表して厚く御礼申し上げます」

 忍耐を渋面に浮かべて成り行きを見ていた総督スタイフェルもそう言って、グレンに合わせるように頭を下げる。マーカリアを総代して敵意のないことを示したのである。

「フレイアス殿の……その左脚は、いかがなさったのですか?」

 衣服を優雅な所作で整えたシャオ王子がささやかな意趣返しのように尋ねた。

「殿下の御耳に入れるのも憚られるような旅行先で、ケモノ竜めに背中を引っ掻かれたまで。この状況では私も一肌脱ぐべき所ですかな」

 もはや冗談なのか自虐なのかも分からないグレンの返答に静観していた列席者たちの一部……特に折り合いの悪い海軍関係者たちが嫌悪すらむき出して眉をひそめた。が。

「ははは……お互い様、というわけですね……なるほど」

 一人、艶麗な低い声を立てて喜ぶ王子の様子もまた十分にこの場を圧倒する。

「貴方のような頼もしい御方に出会えてほっとしています。サンガラが無くなった今、覇王スヴァル・ワン=ハンと世界を隔てるものは、ほんとうになくなりました。オリエンタは今や東方だけではなく世界の構造を変えようとしています。そして我がサンガラ王国から奪った海運の力で交易路やマンドラ島から産する魔香を独り占めしようと……その為にオリエンタはすでにある女性の野心を焚き付けています。他でもない、レグロナの女帝です」

 引き下がるどころかけしかけてくるような王子の物言いに皆が驚愕する。

 グレンも、腹の底にひやりとした感覚を覚えていた。


 懐かしくもある、現役時代によく感じた……挑戦者の気配を。

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