1-4.蒼の乙女たち


 無邪気を装い高慢に話かけてくる声の主と、いつもの取り巻きの四人の少女を目にした瞬間、翼を得たようだったアルメリカの高揚は、一気に地に落ちた。


 白い肌、蜂蜜色の見事な巻き毛には高級品の光沢を放つオレンジ色のリボンをつけている十六歳のレオノラは、勝気さが魅力にもなっている美しい少女だった。流行とは無縁、伝統的なマーカリア女の縮小版のような格好をしたアルメリカとは違い、開放的なテシス沿岸の避暑地あたりで流行っていそうな薄紅色の美しいドレスに身を包んでいる。

 よりによってこんな所で“レオノラお嬢様”に見つかるなんて最悪にもほどがある。

「あ、あら、レオノラ様、皆さまもお昼のお茶会を切り上げていらっしゃったのね……」

「ねえアルメリカさん、今あなたの従僕の肩の上に登っていたでしょう? 普段、物静かでいらっしゃる貴女がそれほど殿方に興味がおありだったなんて驚きだわぁ」

 取り巻きの少女たちのクスクス笑い。

 これは、気にならない。いつものことだから。

 アルメリカがこのレオノラ一派と知り合ったのは、自分の意思ではなかった。

 現状、グレンの唯一の友人であるウィンドルン総督の仕業である。黒い噂の絶えない養父とカタコトを喋るタルタデスの戦士のみを話し相手としている乙女の状況を深く憂慮し、カラ・サヴァス地区に住む富裕層の、十七歳以下の少女たちのみで構成されている“蒼の乙女会”への入会を勧めてきたのだ。端的に言えば大祭で聖女役かそれに近い役を射留め、のちのち最上の縁談を得るための研究会だ。大人になった先輩諸氏の繋がりもかなり手厚い。

 ウィンドルンの女子にとっては入会を許されるだけでも夢のようなこと、らしい。

 アルメリカ同様、いかにも場にそぐわないヴェガは何も言わない。いつも通り言葉が分からないフリをしている。

 独りで乙女たちを相手にしなければならないと悟るや、心臓が今度は重く鼓動を打ち、手のひらに汗がにじんできた。

「わ、わたし、東方の文化にも興味があったの。よく、見えないから……肩車してってお願いしたの。そうしたらセイミ・シャオがこっちを見たから、慌てて……」

「見た、ですって? 皆さん、お聞きになった?! わたくしたち最前列の貴賓席に居たのですけれど、それを通り越してシャオ様が貴女を見たなんてすごい奇跡ねぇ!」

「わたしもそんなはずないって、思ったわ。多分見たのは、このヴェガが誰よりも大きかったからよ。それから彼は従僕じゃなくてわたしのお友達よ」

 瞬間、レオノラばかりか他の少女たちの顔にも怯えと嫌悪のようなものが走った。

 自分の従僕に主人が親しく接するなんて恥だと思っているのが半分、そしてタルタデス人が恐ろしく野蛮だと思っているのが半分。

 でもレオノラはヴェガが本当は“グレン・フレイアスの所有物”だと知っている……それくらいの分別はある少女だ。

 ヴェガの名誉のためなら、アルメリカは毅然としていられる自分に気が付いた。

「だから、そんな風に言わな……」

「ねえぇ? そんなことよりわたくしのお父様や市長がこの後シャオ王子の歓迎昼食会を催すのよ!」

 目ざといレオノラはアルメリカの声を奪い取るように高らかに宣言した。

「わたくしの席をシャオ王子と同じテーブルにしてくださったの! でもフレイアス卿は……いらっしゃらないみたいね。ということは貴女も欠席……?」

 信じられないことに、いつもは右から左へ聞き流せるはずのレオノラの言葉がアザミのトゲように身体の内側を傷つけ、あまつさえ血まで滲んでくるほどじぐじくした。

(レオノラが、シャオ王子と同じテーブルに……?!)

 レオノラの父親は主席参事会員にして議会法律顧問という、単に見かけ上の比較をすれば隠遁生活を送っているグレンなんかより遥かに要職にある人物である。マーカリア最古参の家柄でもある。

 一方、フレイアス家はマーカリア共和国が独立する以前の統治者、レグロナ帝国貴族の流れを組む。グレンの父親は国立銀行の頭取を何十年と歴任した人物だったが、気楽な三男だった彼は医者を志し、商館医として交易公社に入社し世界中を巡りながら趣味の植物研究と新種の採取に明け暮れる人生を望んでいたようだ。兄たちが相次いで急死しなければそうなっていただろう。

 やむをえず家長となり金融と商売の世界に転向以後、主な肩書きだけでマンドラ商館長、マーカリア交易公社西方支部長、ウィンドルン副総督、終身参事会員……

 そして三年前、タルタデス旅行の最中に背骨に大怪我を負い足が不自由になったのを機に退社し、今はマーカリア大学付属〈神の庭〉植物園の名誉園長に迎えられている。

 そう、どんなに華々しい過去があっても、いまは、今。

「……まあすごい、羨ましいわ、レオノラ様」

「でしょう? それにしてもシャオ様が本当にお美しい殿方で、びっくり! 野蛮な東方の印象が引っくり返ってしまったわ。お父様ももっとお近づきになりたがって、レオノラ、お前が真っ先にお話ししなさいって! それからわたくし達は明後日から“蒼の乙女会”の外国研修で、居ないのよ。準備が忙しいったらないわ。でも良かったわ、出発前にシャオ様とじかにお会い出来るのですもの!」

 明るい笑い声を上げながら、少女たちは気が済んだのか、アルメリカを置き去りにして過ぎていった。

 ヴェガが待ちかねたように声をかけてきた。

「帰ろう、アルメリカ」

 延ばされた大きな手にすがりつきながら、ぼんやりと呟く。

「……ねえヴェガ、わたし、どうしたらあの子たちの気に入ってもらえるのか、全然分からないの。一人で本を読んだり、絵を描いたりしているほうがずっと向いているの……でもそれだと、世界の誰とも仲良く出来ないわね」

「アルメリカ、そのままでいい。自分より美しいの嫉妬する、それが女の性」

 驚愕して、繋いだ手の遥か高みにあるタルタデス人の強面をまじまじと見上げた。

 彼の猛々しい炎の色の眼がつーっと逸れて行き、一向に少女の目線を受け止めない。じりじりと、アルメリカの視線を我慢している。

「ありえないわ? レオノラがわたしに嫉妬なんて。あの子今年の“聖女”役だったのよ? ……ねえ? ヴェガはずっとこのまま、友達で居てくれるわよね」

「わからない」

 思ってもみない即答をされて、胸が本当にきりきりとした。

 ヴェガは故郷に三人も奥さんが居たのだと聴いている。ケモノ竜に襲われたグレンはヴェガに命を救われ、ヴェガはそれが縁で彼の護衛に進んでなったのだとか。

 ずっとマーカリアに居る男ではないとグレンに説明されてからもう三年がたつ。 

 今では、ずっと居てくれないなんて嫌だと願うほど、ヴェガもアルメリカの大切な人になっていた。でもアルメリカから見てもヴェガは全てを超越していて、必要な場所が必要な時に足元に巡ってくる人、みたいな感じがする。

 それがとても羨ましくて……どこか寂しくもある。

 彼は見物客が掃けはじめた通りをより遠くまで見つめ、言葉を失っているアルメリカの手に少し力を込めながら、ただこの自分のためだけに言ってくれる。

「我の運命は、風が決める。でも、我の心、アルメリカの側にある、永久に」

 ヴェガは絶対に嘘を言わない。それは分かっていた。

 しかし、小さな竜巻の中の木の葉のように翻弄され続ける自分の心を、ヴェガに打ち明けることはできなかった。

 自分にだってわからない混乱を、大いなる風と共に生きる彼にどうやって説明できるだろうか?


「確かめたいものは見えたのか? “髭ボーボー”の田舎王子は」

 帰邸すると、こういう時に限って慇懃な養父の姿が玄関に出迎えていた。

 アルメリカは答えに窮し、ヴェガの手さえも振り切って部屋へと走りこんだ。

 あの娘たち同様、自分だって本当は何も知らない。

 世界のことも、グレンが昔どれだけ世界を巡り、共和国を栄えさせ、今の平和と繁栄を創り上げてきたのかも。

 確かに、今は植物園の名誉園長でしかない。でもグレンの経歴をもってすれば、現在のレオノラの父親にだって対抗出来るのではないだろうか?

 自室の扉を、ニルナにすら見つからないように素早く閉める間も考える。 

(そうだわ、誕生日祝いにって頼み込めば、わたしをシャオ王子と同じテーブルにだって付かせてくれるかもしれないわ……!)

 でも。

 そんな”力“を振りかざしてまで自分はレオノラに勝ちたいのか? 

 シャオ王子の奇麗な瞳に見つめられれば、それでいいのか。

 見つめられるほどの価値もろくにないのに。

(見に行かなければよかった……おじ様の言うことを、聞いていればよかった!)

 ぐちゃぐちゃになった心を持て余し、アルメリカはベッドに潜り込んだ。


                  ※

「彼女は何を拗ねている。さては王子めが言後に絶する醜男だった、か」

「アルメリカ、年頃。悩み事ある」

 訝しげに少女を見送るグレンに、ヴェガが寂しくなった手を開いたり閉じたりしながら意見した。

 が……不意に何かを握りつぶすように拳にする。

「サンガラの王子に付いている東方人……あやつ、殺してきた男。大勢を」

 束の間、虚をつかれたようにヴェガを見返したグレンは、そのまま声色を変えることもなく言い返した。

「ふむ……そのような者が我が国の港を友好的に通り抜けたとは、由々しきことだな」

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