第35話 バール、別れを惜しむ。

「あが……あ……」


 よろめくレヒターが、顔を歪める。

 さて、存在ごと毟り取ってやったと思ったが。


「馬鹿め、馬鹿め……! 世界は滅びる。お前の愚かな行動で皆死ぬ……。今ならまだ間に合うぞ、バール。ズヴェンを僕に返せ」

「馬鹿はお前だ。どうせお前を生かしておいても滅びるんだ。なら、俺はお前を叩いて気持ちよく滅びてやるよ」

「おのれ、無知蒙昧の猿が! デクスタロニーアも世界の為に僕を生かしたというのに、二千年の間に随分と頭が悪くなったものだ……!」

「俺の頭は特別悪いんだよ、残念ながら」


 だから、暴力で解決することとしよう。

 まだ何かわめいている水晶人間レヒターに金梃を振り上げる。

 いい加減、こいつの意味不明な言動にも飽きたしな。


「待て、僕は王──だ……ゾェッ」


 留めの一撃が脆くなっていたレヒターの身体を粉々に吹き飛ばす。

 まるで血のような水晶の破片が玉座の間に散らばって床を彩った。


「さて、どうするか」


 左手に収まった心臓のような石を凝視する。

 これが淘汰の元凶……ズヴェン。

 願いを叶える魔法の石か。


 こんなもののせいで、世界が滅びる。


『やあ、バール。君の願いは?』


 突如として俺の頭に声が響く。

 どこか親し気に聞こえるそれはどことなく気安げで優しくかったが、同時にひどく胡散臭かった。


「俺の願い?」

『何でも叶えてあげよう。君の望むすべてが、君が手にしている僕だよ』

「そうか。じゃあこうしよう」


 心臓のようなそれを握りしめる。

 握力に負けて軋むそれにピシリと亀裂が入った。


 同時に、玉座の間を揺らす絶叫がこだまする。

 まるで何十何百という人間の悲鳴が合唱しているかのような声。


「それでよい」


 すっかりそれを砕き終わって、床にばら撒いたところで誰かの声が聞こえた。

 こつり、と杖を突く音。


「デクスロー?」

「うむ」


 振り返ると、白い髭の老魔術師が底に立っていた。

 焦燥した様子ではあるが、外傷などはない。


「てっきり死んだかと」

「殺す気ではあったんじゃろう。死ななかったがのう。じゃが、戻るのに些か時間がかかってしもうた。無事でなによりじゃ」


 座り込んだデクスローが、溜息をつく。

 俺もロニを抱き起して座る。ふにゃりとしているが、起きてはいるらしい。俺の手を握り返して小さく笑う。


「さて、どうしたもんかな」


 ズヴェンは世界が滅ぶと言った。

 エマ=スやデクスローの話からしても、それは嘘ではないだろう。


「それについては儂に考えがある。玉座へと向かうとしよう」


 デクスローが視線を向ける先は、ナブリスが消え、レヒターが現れたあの場所だ。


「あそこに何かあるのか?」

「この空中魔導都市ガデスの中枢じゃ。直接に地脈レイラインと繋がっておる。まずは、そこに向かう」


 立ち上がったデクスローがよろけた足取りで扉に向かう。

 扉が吹き飛んだその場所に向かうデクスローの姿は妙に鬼気迫っていて、なんだか落ち着かない。

 あれは、何かを決意した人間の顔だ。

 そして、こういう顔をした奴はろくでもないことを心に決めていることが多い。


「なぁ、デクスロー……」

「バール。お主はこの世界が好きか?」


 尋ねようとした俺に先回りするように、デクスローが問いを発する。


「ああ。ロクでもないことはこうやって時々起きるが……ロニがいて、みんながいて、日常がある。それが俺は好ましく思うよ」

「そうか。儂も、この時代が好ましく思うよ、バール」


 老魔術師が、口元を緩める。


「儂は〝勇者〟としては三流じゃった。判断は遅く、決断は鈍く、考えは後ろ向きで、お主とはおよそ真逆の〝勇者〟じゃった。それ故に、この時代にこのようなものを残すことになってしまった」

「昔からの知恵者だったんだろう? 俺とは違って当たり前だ」

「バールは何でも殴っちゃうものね」


 ロニの言葉に、俺は頬を掻く。

 まさにその通りなので言い訳もできない。


「儂に必要だったのは、まさにそれであったのやもしれぬ。言葉が届かぬ相手に、理解してもらうためにはどうすればよいのかと……そればかりであったのだよ、儂は。時に殴ってでも止めねばならぬこともあると知ったのは、何もかも手遅れになってから。故に、儂はお主のまっすぐさが、羨ましい」


 小さく笑う老魔術師の顔には後悔と疲労が滲む。

 デクスローにしかわからない苦悩を、容易く理解できるとは声をかけられない。

 この古い時代の〝勇者〟が誤ったと自嘲するそれは、本来正しいことなのだ。


 分かり合うために言葉を尽くす。

 お互いの理解を得るために突き詰める。


 ……そうするべきなのだ。人同士というのは。

 俺のように暴力で物事を解決するのは、あまり褒められたことではない。


「見よ、二人とも。あれが玉座よ」


 どこか懐かしげな目でデクスローが見据えるその先に、あまりにも無機質な椅子が拵えてあった。

 それは壁と一体化するようになっており……その全てがズヴェンのに似た赤い水晶のような輝きを放っている。


「おぞましいことじゃよ。願いを叶える石を削って、そこに人が座る。身じろぎ一つ、呼吸一つで世界のありようを変えてしまう間違った力の象徴じゃ」


 大きなため息をつきながら、デクスローが一歩前に進み……それに腰かける。

 威風堂々と言うにはややみすぼらしいが、俺にはそれがとても自然に見えた。

 そこにデクスローが収まっていることが、当たり前のように思えてしまう。


「さて、バール。ロニ殿。お別れの時じゃ」


 デクスローの言葉に、驚愕と納得が入り混じった感情が湧き上がる。

 こうなるような気はしていたが、こうならないかもしれないと期待もしていた。

 そして、この老魔術師が何をしようとしているかも。


 すでに、俺達の足元を赤い破片がさらさらと流れてデクスローの元へと集まってきている。


「デクスローッ」

「デクスローさん!」


 デクスローが、諭すように口を開く。


「そのような顔をするでない。人には果たすべき役目があり、それがようやく儂に回ってきたということよ」


 小さな破片が、寄り集まって心臓の形の水晶へと姿を変えていく。

 それを左手に持ったデクスローが、苦笑にも似た笑みを浮かべて俺達を見た。


「ジアガデスの……古代魔法民族の最後の王として、その責任を果たす時じゃ」


 デクスローがまるで歌でも歌うかのように魔法を紡いでいく。

 周囲がゆっくりと赤い光に染まって、脈動を始めた。


「これより、古代民が強いた二千年の呪縛から世界が解き放たれる。何が起こるかは……お主らが確かめよ。大きな変化となろうが、お主らなら乗り越えられよう……」

「どういうことだ? 何が起こる?」


 俺の問いに答えることなく、最後の王は目を閉じたまま笑う。

 この老魔術師は、最後まで俺を煙に巻くつもりらしい。


「長生きはするものじゃ。最後にお主らと会えて本当によかった……。社長には上手く言っておいておくれ。では、さらばじゃ」

「おい、デクス──」


 言葉が終わるか否かに、俺達は魔法の光に包まれる。

 滲みゆく景色の先、デクスローが小さく笑ったのが見えた。

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