第6話 バール、エルフに会う。

 全ての準備が整うまで、三日とかからなかった。

 今や最大の冒険都市となったトロアナでの準備は、実にスムーズだった。

 あらゆる物資が集まり、冒険者が冒険をするために必要なものは何でもそろった。

 店舗を持つ商店も増えて、都市の発展はめざましいものがある。


 約束の日。

装備を整えて小屋敷の前で待っていると、デクスローが見知らぬ顔を連れて現れた。


「時間通りじゃの」

「ああ。冒険者の基本だからな」


 そう笑っていると、エルフの美女が一歩出て右手を差し出す。


「よろしく。あなたが〝勇者〟バール?」

「おっと、その呼び方は止してくれ。あんたがミスメラさん?」

「ええ。『さん』はいらないわ。パーティでお互い他人行儀なのはやめましょう」


 さっぱりした性格らしいエルフの剣士と握手をする。

 『美しき者』などと呼ばれるエルフの中でも絶世と思える美女の笑みに、思わず頬を緩ませそうになるが、ロニの前で鼻の下を伸ばすと後が怖そうだ。


「ミスメラはトラヴィの森を拠点地とする『黒枝氏族』の勇士じゃ。いざとなればエルフたちの力を借りねばならなぬかもしれぬ」

「そこまでの問題なのか……!」


 人間とエルフはお互いに不可侵の領域を持っている。

 エルフは国を持たず、『氏族』という集団単位でいくつかの隠れ里を深い森や谷に構えて、自然に寄り添った生活をしている。

 ごくまれに、見聞を広める為や好奇心から隠れ里から人間社会に現れるものもいるが、ひどく珍しいことは間違いない。


 生活のために開墾を行う人間と敵対することも時折あるが、現在はいい距離感を保っていて……端的に言えば、お互いに無関心でいる。

 そんな彼らが表舞台に現れるとしたら、それこそ世界の危機レベルの出来事がある時だ。

 かつての勇者の仲間にもエルフがいたという文献が残っていたはずだ。


「こっちが〝聖女〟のロニさんね? ……なんて可愛いの!」

「むぎゅ」


 急に抱きすくめられたロニが奇怪な声を上げる。

 ミスメラの態度の急変にも驚いたが。


「これ、ミスメラ」

「想像以上だわ! なんて、なんて可愛らしいの! これが、神の愛子いとしご……!」


 デクスローの制止もなんのその。

テンションが上がり切った顔で、天に祈るミスメラ。

 ロニが可愛いことには大いに同意するが、祈ってる神様とやらそいつはロクデナシだと思うぞ。


「ミスメラ、そのくらいにしておけ。ロニ殿がびっくりしておるぞ」


 デクスローに窘められて、ロニを離すミスメラ。

 驚いて固まってしまったロニが、動き出すまでに一拍必要だった。


「ええと、ミスメラ。よろしくね?」

「ええ、よろしく。ロニさん」

「わたしも『さん』はいらないから、呼び捨てにしてね」


 笑顔のロニにまたも悶えるミスメラを横にして、俺はデクスローの持つ地図を覗き込む。


「詳細だな」

「年季が入っておるからの」

「この辺は詳しいのか?」

「儂はこの地の出身者だからの」


 そりゃ、初耳だ。

 というか、俺はこの老魔術師の事をあまり知らない。

 聞けば答えてくれるような賢人なのに、自分の事をあまり語ろうとしないのだ。


大針鼠ビッグヘッジホッグの巣は避けるのか?」

「少人数なら森大蛇フォレストバイパーの生息域の方が安全じゃ。あやつらはビネガーの臭いを嫌うのでな」


 慣れた様子でデクスローが答えるのを見るに、これなら深部までの道中で俺が口を出すこともなさそうだ。

 一応、俺なりのルートも考えていたのだが、デクスローに任せた方がずっと安全に思える。


「ねぇ、トラヴィの深部ってわたし行ったことないんだけど、何があるの?」

「ふむ。出発前に話してしまってもよいか?」


 デクスローがちらりとミスメラに視線をやる。

 頷いたエルフに頷き返して、デクスローは口を開いた。


「目的地は『ヘグミナの谷』という」

「谷があるのか?」

「うむ。深部は『黒枝氏族』が<森林迷宮結界メイズウッズ>という精霊魔法で侵入を制限しておる。それ故、お主ら冒険者はまだそこに到達できておらぬはずじゃ」

「……」


 デクスローの言葉が少し引っかかる。

 至らぬ場所をまるで見てきたかのように語るのが、どうにも腑に落ちないのだ。


「……そう警戒するものではない。ワシは見たことがあるというだけの話じゃよ」

「エルフの魔法を突破してか?」

「そうではないが、それに関しては秘密じゃ。魔法使いが全てを語るわけにもいかんでな?」


 老獪に笑うデクスローだが、悪意はなさそうだ。

 秘密主義も大概にしてほしいとは思うが、今回はそこまで連れて行ってくれるというのだから、あまり目くじらを立てる事でもないか。


「『ヘグミナの谷』のそばには『黒枝氏族』の隠れ里があり、あるものを監視しておる」

「あるもの?」

「──『ガデス』じゃ」


 耳にしたことがない言葉だ。


「『ガデス』は廃墟となった古代の都市よ。かつて、このスレクト地方で最も繁栄した都市で、今はとても危険な場所となっているわ」


 デクスローの言葉を継ぐようにミスメラが言葉を紡ぐ。

迷宮ダンジョンなのか?」

「ええ、そうね。そう言える」


 引っかかる言い方だが、どうせ現地に行くのだ。

 その時にまた尋ねればいい。


「監視って、何を監視しているの?」

「『ガデス』そのものよ。とても危険なものなの」


 ロニが答えを聞いて、小さく体を強張らせる。


「はっきりしろよ、難しい話は理解しにくい。俺は頭が悪いんだ」


 どうもエルフや魔術師というのは答えを煙に巻こうとする。

 俺のような人間相手にはもう少しシンプルに状況を提示してほしい。

 そんな俺に、老魔術師が笑う。


「お主は頭が悪いのではない。ただ、答えを急ぎ過ぎるきらいはあるの。そうさな、言うなれば……『ガデス』には『淘汰』が眠っておる」

「ちょっと、デクスロー!」


 声を上げるミスメラ。

 ここまでは話すつもりはなかった、ということだろうか。


「『淘汰』が……? それをロニが感じてるってことなのか?」

「旧き時代、世界を破滅の淵にまで追いやった者の名を教えようか?」


 一拍おいて、帽子の奥からデクスローの鋭い視線が見える。


「それはの……『人間』という」

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