第30話 モルク、奮闘する

 ※モルク視点です。



 最初は、小さなことだった。

 村の羊が一匹戻ってこなかったという、片田舎の小さな事件。

 もちろん、羊の主人にとっては大事かもしれないが、村の外に一歩出れば魔物モンスターだっている。

 はぐれた羊が魔物モンスターの餌食になるなんてことは、そこそこあることだ。


 だが、事件は続いた。

 羊、牛と被害が続き、ついに先日は村の中にある鶏舎に何者かの侵入があった。

 そして、その際に犯人の姿を見た子供が言った。


「毛むくじゃらのサルみたいなのが、鶏を食べちゃった」と。


 冒険者の経験から、それが何であるかすぐに見当がついた。

 ボルグルだ。直立したサルのような人型の魔物モンスター

 駆け出しFランクの冒険者にだって討伐依頼が出るような、危険度の低い魔物モンスターだが……群れの規模によっては侮れない。


 襲撃のペースと消えた家畜を考えると、まずいかもしれない。

 牛を攫っておいて、その翌日に村の中にまで強奪役を送り込むなど、はぐれや小規模の群れではありえない。

 リーダータイプに率いられた、大きな集団がそばまで来ている可能性が高い。


 そう考えた私は、このタルザックの長であるサザークに危険を知らせ、冒険者ギルドに依頼を出すことを進言した。

 しかし、代変わりしたばかりの若い村長は私の意見を聞き届けはしなかった。

 素直にボルグルだと伝えたのが、間違っていたのかもしれない。


 冒険者でなくても、ボルグルを知っている者は多い。

 しかし、その恐ろしさよりも、魔物モンスターとしては弱いという認識が浸透してしまっているのだ。

 サザークは追い払えばいいだろう、と短絡的に考えたらしい。


「サザークさん、ボルグルとはいえ群れは脅威です。冒険者に任せましょう」

「モルク、お前だって元冒険者なんだろ? ボルグルくらい追っ払てくれよ」

「いいですか、サザークさん。私一人では限界があります。数匹のボルグルならばともかく……──」

「うるさいな! ボルグルくらい何とでもなる! 金がないんだよ!」

「皆の安全がかかっているんですよ?」

「なら、お前が守ればいいだろう! 元冒険者!」


 そう話を打ち切って、サザークは去ってしまった。


 胸騒ぎがした私は、緊急用の『伝書鳥メールバード』に緊急依頼と現況をよせて、辺境都市へと送り出した。

 いっぱしの冒険者であれば、ボルグルの群れの恐ろしさを理解してくれるはず。

 杞憂ならそれに越したことはないし、なんとか間に合ってくれればいい。


 翌日。

 ボルグルの目撃情報が増え、多くの家畜が消える中、苛つきを抑えきれなくなったサザークが動いてしまった。

 ……取りうる中で最悪の一手だった。

 血の気の多い者や冒険者を夢見る年若い者たち十数人に簡素な武器や農具を持たせて、ボルグルの仮巣を探しに行ってしまったのだ。

 それを彼の妹である幼馴染から聞いた私は「愚かという言葉が靴を履いているようだ」などと聖職者が考えてはいけない罵詈雑言を、喉から出ないように注意しながら、急いで教会へ向かった。


 ボルグルという生き物は獣などではなく、知恵と狡猾さと残忍さを持った邪悪な知的生命体だ。

 サザークたちの行動が、どんな結果をもたらすか。

 それは火を見るよりも明らかだった。


 もし、万が一の可能性ではあるが……ボルグルがはぐれか小規模な群れで、サザーク達がこれを殲滅できた場合はいい。

 だが、その可能性はゼロに近いだろう。

 おそらく彼らは、適当に巣を散らして満足げな顔で帰ってくるか、ボルグルの今夜の夕食になるかする。

 そして、襲撃を受けたボルグル達は、この村に報復を行いに来るだろう。


「天におわします我らが主よ……」


 祝詞を唱え、精神と魔力マナをすり減らしながら教会全体を包むように<結界>の魔法を唱える。

 引退したとはいえ、元Aランクの【僧侶】だ。

 このくらいはしてみせよう。


「みなさん、教会に集まってください!」


 次に警報の鐘を鳴らして、教会の司祭と協力して家々を回って事情を説明し、村人たちを教会に集める。


 先々代の司祭が「村人全員で結婚式ができる教会を」と立派な教会を建ててくれたので、二階と地下を合わせれば、多くの人を収容することが可能だ。

 たかがボルグルだろ? と侮り、家を離れようとしない者もいた。彼らに関して、無理強いはせず、ただ「危なくなったら教会へ」とだけ伝えた。

 危機を恐れぬ者に構っている暇はない。スピードを優先して避難を勧告していく。


 ……日が落ちれば、おそらくボルグルが来る。

 それまでに、教会に籠城する準備をせねばならない。


「モルク殿、水や食料も運び込みましたぞ」

「ありがとうございます、司祭様。私は見張りをしますので、皆が怯えぬように祈りをささげてください」



 そして、夜。

 遺憾ながら、恐れていた事態は起こった。

 教会の天辺にある鐘撞塔から、村の状態を監視していた私の目に入ったのは村の境に現れた黒い影の大軍団。

 それらは、簡易の槍の先に犠牲となった若者たちの頭部を突き刺し、掲げながら歩くボルグル達だった。


「やはり、こうなりましたか」


 あの群れは思った以上に、知恵がついている。

 ああすることで、人間に恐怖を与えられるということを理解しているということだ。

 本当に愚かなことです、と槍の穂先で苦悶の顔を張り付けるサザークに黙とうする。


 しかし、すごい数だ。

 想定していたよりもずっと多い。

 おそらく五十以上はいるだろうと思ってはいたが、ここから見る限り、その数倍はいそうだ。

 まるで統制の取れていないかの様に、村を練り歩くボルグル達。

 そして、その鼻と耳に察知された者の家へとなだれ込み、喰らう。


 見るに堪えない光景だ。

 しかし、これはまずい。

 教会にかけた<結界>はこの数に対応しきれないかもしれぬ。

 大きくかけた分、強度が少し低いのだ。


「助けてー!」


 この状況下で、教会に向かって走ってくる者がいた。

 村長サザークの妹で、幼馴染でもあるベルメリーがボルグルに追われながら教会に向かってきている。

 避難を促したときは楽観的だった彼女も、こうなれば理解せざるをえまい。


 鐘撞塔から屋根を伝って降りた私は、ベルメリーのところへ駆けていき、戦槌メイスを振るって追っていたボルグルを殴り飛ばした。


「お行きなさい」

「モルクは?」

「ここで時間を稼ぎます。さ、どうぞ」


 小さく祈りを捧げ、ベルメリーの傷を癒し、背を押す。

 柄にもなく格好をつけてしまったけれども、さて何百というボルグルを相手にどう立ち回るか。

 私がバールほど膂力と体力に溢れていれば悩まなくともすんだのだが。

 ここはヴィジルを見習って、ゲリラ戦をするべきか……?


 いや、慣れないことはしない方がいい。

 ここはやはり、得意の<治癒キュア・ウーンズ>、<祝福ブレス>、<結界>で籠城戦を展開するべきだ。


 背後には今しがた逃した幼馴染と村人たちの命がある。

 行き当たりばったりの戦法で失敗するわけには、いかない。



 ──そう、啖呵を切って何時間経ったか。

 そろそろ、限界が近い。


「まだ、諦めるわけにはいかないんですよ。最後まで粘るのが私の信念なので」


 襲い掛かって来たボルグル二匹を、ボロボロになった戦槌メイスで叩き、周囲を見まわす。

 周囲にはボルグルの死体が積み重なっているが、それ以上の数のボルグルがいまだに私を取り囲む。もう、手に力も入らない。

 時間はずいぶん稼いだが……後は、天に運を任せるしかない。


「ぎゃっぎゃっぎゃ」


 膝をついた私に、ボルグル達があざけるような声をあげる。

 ここまでか、と覚悟した時、声を上げていたボルグルが矢に貫かれて倒れた。


 次いで、何かが空から落下してきて周囲のボルグルを諸共に吹き飛ばす。

 それは、よく見た顔の頼れる仲間だった。


「バールさん……!」

「おう、待たせたな。後は任せとけ」

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