第12話 ロニ、バールを止める

「ははは……!」


 バールの様子がおかしい。

 わたしが放った回復魔法が不足なのはわかっているけど、どうしてバールは笑ってるんだろう?


 寒気がするほどの殺気を放ちながら、バールが座り込んだまま笑みを浮かべている。

 あんなに血が流れて……きっと骨も折れてるはずなのに、どうして?


(なに、あれ……)


 バールの持つ金梃が赤黒く脈動している。

 まるで受肉した悪魔のように、複雑な文様が浮かび上がってそれが赤く明滅しているのだ。

 ふらりと立ち上がったバールが、それを片手に低く暗い笑いを漏らしている。


「バ、バール……?」


 わたしの声がどこまで彼に届いたのだろう。

 いや、きっと届いてない。


「……硬鱗の蛇竜ハードスケイルワーム……壊してッ! 殺してッ! 奪って! すり潰してッ! 撒き散らして……ッ!!」


 禍々しい殺気と流れ出る血を周囲に撒き散らしながら、バールが一歩踏み出す。


「オオォォッ!!」


 荒々しい咆哮をあげるバール。

 何かがおかしい。戦いの時はいつだって荒いバールだけど、今のバールはどこか人間性が感じられない。

 まるで魔物モンスターのようで、少し怖い。


 止めないと……。

 このままじゃいけない!

 これは、【聖女】としての直感だ。

 わたしの中の神聖な部分が、彼を「拒絶しろ」「聖滅しろ」と叫んでいる。


 ……そんなこと、出来るわけがないのに。


「バール、ダメだよ! 逃げよう!」


 結局、わたしが言えたのはこんなセリフだった。

 ここを逃げ離れて、傷を癒して、態勢を整えよう。

 バールをこの状態にしておく方が、ずっとよくない。


「じっと、してろ」


 絞り出されるような声の中に、バールを感じた。

 バールは嘘をつくけど、ここぞというところで絶対に嘘はつかない。

 絶対に無理だと思っても、力任せに本当にしてしまう。

 そんな、男なのだ。


「……ッ!」


 次の瞬間、息を飲んだ。

 あの巨大な硬鱗の蛇竜ハードスケイルワームを正面から殴りつけたかと思ったら、今度は片手で金梃を振りまわして一方的に蹂躙している。


 人間技ではない。

 まるで、神聖変異を受けいれた【聖闘士】のような圧倒的な力だ。

 しかして、その背後に漏れる気配は荒く禍々しい。


 一体どうしたっていうんだろう。

 バールは【戦士】だ。

 神の加護の元で聖なる力を揮う【パラディン】や、心の暗黒面を力に変える【暗黒騎士】ではない。

 なのに、今のバールからは死を呼び寄せる未知の気配が漂っている。


 そして、次の瞬間。

 その気配が膨れ上がったかと思うと……目の前の巨大生物から一切合切を奪い取っていた。

 そう、表現するのが……相応しいと思う。

 ずるりと崩れ落ちる硬鱗の蛇竜ハードスケイルワームからは、何も感じられなかった。

 何もかもを失った、それこそ先ほどまで生きていたということが信じらないほどに存在感を失った物体に変化している。


「……ロニ、逃げろ……すぐにだ。俺から離れるんだ」


 荒い息をしながら振り向いたバールが、苦しげな顔でわたしを見ている。

 体から溢れる殺気はいまだに止まらず、それは無意識に次の獲物を探しているかのようだった。


「バール!」

「……」


 呼びかけるが返事はない。

 興奮した様子で肩で息をしながら、濃い殺気を気当たりのように撒き散らしている。


「ガァァッ!」


 バールのあげる咆哮が木々を揺らす。

 わたしがいない間に何かしらのスキルに目覚めたのだろうか?

 どちらにせよ、バールをこのままにはしておけない。


「バール、もう、終わったよ」


 バールに近づく。

 正気を失っている、失ってはいるが……バールの気配を感じる。

 血の様に紅く輝く瞳の奥には、いつものバールがまだいる。


「帰ろう、バール。祝杯をあげるんでしょ」


 血まみれのバールをそっと抱擁して、回復魔法を掛ける。


 例によって、詠唱は省略だ。

 【聖女】であるわたしに、祈りの言葉は必要ではない。

 人にとって遠い存在の天におわす神は、いまやわたしの我儘を聞いて甘やかしてくれる親戚のおじさんみたいなものなのだ。


「ほら、バール。もう大丈夫。わたし達の家に帰ろう」

「かえ、る……」


 うわ言の様にバールがつぶやき、その体から禍々しい気配が消えていく。

 同時に、意識も失ったのかそのまま脱力するバールを支えきれずに倒れ込む。


「バール? 大丈夫?」

「……」

「ちょっと、バールってば」


 すっかり意識を失ったバールに下敷きにされてしまいまったく動けない。


「どうしよう、これ」


 ……結局、わたしとバールは硬鱗の蛇竜ハードスケイルワームの討伐の為に編成された冒険者パーティが到着するまで、抱き合ったまま森の中にいることになってしまった。

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