第4話 喩えようのない不安


 カーテンの隙間からこぼれ落ちた光が眩しくて、薫は身をよじる。そろそろ起きなければ、と思いつつももう少しだけ眠っていたい気持ちとの葛藤をくりかえして、寝返りを打った。

 しばらく、シーツの上で微睡まどろんでいると射し込む光の筋が、温かみを帯びてきたことに気がついた。もうすっかり朝なのだと思うと、さすがにこれ以上、惰眠だみんをむさぼるわけにもいかない。

 気だるげに体を起こして、ベッドから降りると階段を下り、一階へ向かった。


「……おはよう」


 リビングへ入り、誰にともなく呟いた朝の挨拶。少し前は笑顔で返してくれた祖父母もいない家はがらんとしていた。

 いつまで経っても返事はこない。薫が奥歯を噛み締め、寂しさを紛らわせようとするとポケットの中のスマホが震えた。確認するとよつば動物病院から着信が届いていた。

 今現在、早朝七時前。さすがに電話がくるにしては早すぎる時刻だ。


(もしかして、三毛猫あの子になにかあったとか?)


 薫が不安にさいなまれているその間にもスマホは震え続けている。一向に切れる気配はない。この時点でかけてきた人物が誰であるか薫は悟った。


『やあ、今日も面会にくる?』


 出て早々、名乗りもなく羽賀の声が聞こえた。薫の予想通りだ。清水や浅野なら出ないと分かったら一旦切ってかけ直してくるが羽賀は根性勝負をしているのか薫が出るまで待ち続ける。

 それに、こんな早朝から電話をかけてくるなんて病院の二階に住んでいる羽賀しかありえない。


「おはようございます。お昼頃、お伺いしようと思っています」

『うん、いいよー。今日の手術オペは簡単なやつだからすぐ終わるし、待ってるね』

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

『はいはーい。扉開いてるから勝手に入ってきてね』


 ブッと通話が切れた。通話画面からホーム画面に変わったスマホを眺めながら薫はうずくまる。


(猫ちゃんはなにもなかった)


 はあ、と息を吐き出す。関わりは薄いが両親と祖父母の死を間近で見てきたため、のが恐ろしくて仕方ない。


(大丈夫。羽賀先生達がいるもの)


 そうだ、大丈夫。そう何度も自分に言い聞かせる。

 三毛猫が入院して今日で二日目、あれだけぐったりして元気がなかったのに今ではご飯をねだるほど元気になった。本来なら猫は環境の変化に弱く、慣れない場所だと食事をらない場合が多いのだが三毛猫はその逆で、病院で用意されたフードのサンプルをどれも残さず食べて、更に催促さいそくするほどに食に貪欲だ。

 骨折と脱臼のため、後ろ足は動かないが、あれだけ食べて、寝て過ごしているのだから心配する必要はない。


(あの子、やっぱり誰かに飼われていたのかな……)


 誰かが近付くと警戒し、耳を伏せて瞳孔どうこうを丸くさせるが決して爪や牙で攻撃はしてこない三毛猫を羽賀は「誰かに飼われていたのでは?」と言っていた。

 もし、それが本当なら三毛猫の家族は心配しているに違いない。

 そう考えると朝食を食べる気にもなれず、薫は素早く外出の準備を整え、その足で三毛猫を拾った場所まで行くことにした。




 ◇◆◇




 電気が落とされて薄暗くなった院内を覗き込み、「失礼します」と声をかけた。羽賀からは入院室まで自由に入ってきていいと言われているが礼儀を欠くのは駄目だと受付で待機する。

 少しして清水が奥から顔を覗かせた。


「待っていたよ。ごめんね、羽賀先生ったら朝早くに電話かけたんだって? 迷惑だったよね」

「いえ、起きていたので大丈夫ですよ」

「嫌なら嫌って言っていいからね! 羽賀先生は本当に他人ひとのこととか考えないもの」


 何度も顔を見合わせたおかげか清水とは初日と比べて仲良くなった、と薫は思う。

 屈託くったくなく笑う清水のお陰で、胸の奥にあった鬱屈とした気持ちが軽くなった。

 しかし、清水の目は誤魔化せなかったようだ。ん? と器用に片眉を持ち上げて、薫の顔を——特に目をまじまじと観察し始める。


「なにかあった?」

「えっ、と」


 薫は言いよどむ。隠していたつもりなのになぜバレたのだろうか。


「言いたくない?」

「いえ、そういうわけではなくて……」


 本心を言えば、心のモヤを霧散するために聞いて欲しい。けれど、どう言葉で表せばいいのか分からず、薫は無意識に視線をさまよわせた。

 その様子を見ていた清水はこれ以上、無理に追求することはせず、一転して優しく笑った。


「言いたくなったら言ってね。相談のるから」

「……すみません」

「悩み事は誰かに話せば軽くなる場合もあるし、自分で考えるのもいいし、そこらへんは東堂さんのしたいようにすればいいと思うわ。それじゃあ、猫ちゃんに会いに行こっか」


 きびすを返して清水は奥へと移動する。

 その背中を追いかけながら、薫は午前中にあった出来事について考えていた。

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