月と牢獄と可愛いウサギ

大畑うに

ツインテールの可愛いウサギ


 なんだか少し肌寒い気がして、俺はふっと目をさました。


 眠気まなこを擦り、いつもの朝とはまるで違う雰囲気に、おや? と思う。

 慣れ親しんだ布団の温もりがないことに気づくと、覚醒し始めた頭で辺りを見渡す。


「なんだ、これ……」


 異様な光景に目を剥いた。


 自分の周囲を取り囲むように列をなす棺

のようなもの。整然と並ぶそれはずっと奥の方まで続いているようで、目を凝らしても全体を把握できない。

 前後左右に隙間なく並ぶそれらから、自分の起きた場所に視線を移す。

 カプセルだ。

 酸素カプセルのような場所にすっぽり体が入り込んでいる。

 自分はここから目を覚ましたのだ。

 でも、なぜ?

 ぐるぐると考えこむも答えが出ない。

 そこであることに気がつく。


 この、不気味なほど広く異様に静かな空間に際限なく並ぶ無数のカプセル、そのどれにも自分のように人間が入っているのかもしれない。


 ぞっとした。

 自分がなぜここにいるのか、そもそもここがどこなのか、検討もつかない。


 だだっぴろい空間は球体の中のようにも思えた。心なしが弧を描いているように見える天井は、数回しか行ったことがないが、野球ドームのようで、予想できるだけの広さにまた寒気が走った。


 とにかく、状況を把握したい。

 全体的に明るくはないが、非常灯のようにぼうっ足元を照らす明かりで、十分自分の周りは見えた。

 おそるおそる隣のカプセルの中に目を凝らす。

 磨りガラスのように曇っているためはっきりとは見えないが、予想通り、そこには人間が横たわっているようだった。

 じっと見ようとした時、ばち! と大きな音がする。

 途端に、眩い光にあたりが包まれる。

 ライトだ。天井高く吊るされた無数のライトが一斉に点いた。


 眩しさに目を細めるも、カプセルだらけだと思っていた周囲、3つ隣のカプセルの横に、人が数人は通れるだろう通路を見つける。

 そして、その先から、ばたばたと忙しない足音が聞こえてきた。

 どんどん大きくなる音は、明らかに誰かが近づいてくることを意味している。

 わけも分からない状況で恐怖を感じないわけがない。体が一瞬で強張ったが、なすすべなく早鐘を打つ心臓をそちらに向けた。


 眩しさに目が慣れ、その姿がはっきりと見えてくる。

 女の子だ。

 しかも可愛い。

 俺はほっと胸を撫でおろした。

 筋骨隆々の大男や地球外生命体の姿が見えたら、失神していた自信がある。

 自分よりも年下に見えるツインテールの少女は、古めかしいランタンを片手に、反射してキラキラと光る金色の懐中時計を首から下げ、こちらに走ってきた。


「忙しい、忙しい、とっても忙しい!」


 顔がはっきり見える距離にきたところで、少女が忙しいと呟く声も聞こえてきた。

 小鳥がさえずるように可愛らしい声に頰が緩むも、自分の姿が全く目に入ってない状態だろう少女に、急いで声をかける。


「君! ここの人? 俺はどうしてここにいるのか分かる?」


 ぴゅーっと走り去るような勢いだった少女は、急ブレーキをかけて、けれど足だけは動かしながら、首をひねった。


「わたしとっても忙しいの」


 それだけ言って走り去ろうとするので、いよいよ焦る。


「まって! ちょっと! 」


 足踏みを続ける少女は、懐中時計を見てため息をつくと、肩に提げていた使い古されたカバンから、なにやらとり出した。

 小さな部品のようなそれを、少女が右耳にひっかける。

 よく分からないが、四角形の電子機器に見えるものが、イヤーカフよろしく耳に納まる。

 するとすぐ、少女は俺をじぃっと見た後、今度は大げさに首を捻った。


「山本ユキヤさん?」

「え、俺の名前」

「わぁ! あなたがユキヤさん!」


 足踏みもそのままに喜びながらぴょんぴょんと跳ねる姿は、さながらウサギのようで、先程までの不安が少しだけ和らいだのを感じる。

 ひとしきり飛び跳ねた少女は、はっとしたのか、目を見開くと懐中時計に視線を落とした。


「いけない! いけない! 急がないと!」


 言うやいなや、走り去ろうとする。


「えっ!」

 ここで置き去りにされては困ると、俺が声と手を挙げると、少女は思い出したようにこちらを振り振り向き、ジャンプした。

 文字通り跳躍し、俺のすぐそばに着地する。

 満面の笑み。


「ユキヤさんもおいで!」


 俺は可憐な少女に手を引かれた。

 飛び跳ねるように足取り軽く走る少女に、戸惑いつつもついて行く。


 少女の背を追いかけながら、神経だけは辺りに向けていた。

 思っていた以上に広い空間に、唖然とする。

 整然と並ぶ棺桶のようなカプセル。

 右を見ても左を見てもずらりと、ただ整然と並ぶ姿は、圧巻としか言いようがなく、あ、これは夢なんだ、とやっと納得できる答えを見つけた。

 最初に思いつきそうな結論を捻り出せなかった自分自身に、自嘲の笑みを覗かせた。


 息を切らせることなく走りながら、どこか浮足立つような心地で、少女に再度問いかける。

「ここはどこ? 俺は、なんで、ここにいるのか分かる?」


 そういえば、走り始めてから気づいたが、体が少し軽いような気がする。

 夢じゃなければ何だというのだ。


 少女は俺の言葉が聞こえたようで、少し考えるような素振りをする。

 そして、顔だけ振り向きにっこりと微笑んだ。


「ここは宇宙葬を取り仕切る人口月だよ、わたしは墓守のウサギって言うの!」


「宇宙葬? 人口月? 墓守のウサギ? え? なになに分からない!」


 情報が渋滞している。

 斜め上にもほどがある情報に混乱する。

 ここが人口でできた月だって言うのか?


「あー、え、あ、そうか」


 ウサギと名乗った少女が、先ほど付けたイヤーカフに触れながら一人で何やら喋っている。


「ユキヤさんは、ご家族の希望で冷凍睡眠にかけられて宇宙に放出されたんだけど、地球にはもう帰れないから、宇宙を漂っていたところを宇宙葬のカプセルと勘違いされて収容されたみたい、生きている人間久しぶりだからとっても嬉しい!」


「まって、え、なに冷凍睡眠? 俺が?」


 夢にしてもたちが悪い。

 俺は頬を思いっきり引っ張る。

 痛い。痛すぎる。

 訳が分からない。泣きたい。

 立ち止まって下を見るしかない俺を、ウサギが心配そうに覗き込んできた。


「大丈夫? ごめんね、わたし早口だからいつも怒られるの。ユキヤさんに会えてとっても嬉しかったから、ごめんなさい」


 しょんぼりと明らかに落ち込む少女の顔を見て、俺は混乱するだけの頭を大きく振った。


「これは夢じゃないとして、その話をどう信じればいい?」


 ウサギは小首をかしげ、困ったように眉尻を下げた。

 かわいい顔してもだめだ。

 少女は困り果てた末、すぐ後ろに来ていた大きな扉に手をかける。

 衝撃的なことを聞きすぎて、そこが出口だとは気が付かなかった。

 ウサギは慎重に、ゆっくりと扉を開けながら、少しだけ微笑んだ。


「こっちに入って! そしたらここが宇宙だって分かるから」



「うわぁ」

 眼前に広がる完全なる宇宙空間に感嘆の声を上げる。

 プラネタリウムのようにも感じるが、際限が見当たらない。

 星屑が煌めき、最果ては真っ暗でどこまでも黒が広がっている。

 地上から見るよりずっと身近な宇宙はとにかく美しく、そして恐ろしいと思った。


 本当に宇宙空間にいるんだ。

 ガラス張りだろうそれを見るに、人口の星というより窓の大きな宇宙船のように思えた。

 少女が俺に近づいてくる。

 おずおずと俺の耳に、自分のそれからとった電子部品を取り付けた。

 かちっと耳元で音がなる。


「本当は墓守しか見ちゃだめなんだけど、ユキヤさん、泣きそうだからどうぞ」


 彼女がそう言いながら小首を傾げた次の瞬間、自分の脳に直接映像が流れ込んできた。


 友達と遊び騒ぐ高校生の自分。

 泣きながら人類滅亡のニュースを見守る家族。

 宇宙から飛来した謎のウイルスは人間の精神を蝕み、やがて感染者は謎の死を遂げる。

 感染力の強いそれから身を守ることは不可能と判断し、宇宙に逃げる者、地下に潜る者。それぞれが最善をつくした。

 一般家庭のユキヤ一家は、なすすべなく死を待つだけになった。

 そこに、まだ実験段階で被験者という形の冷凍睡眠を受けられる抽選の機会がある知り、両親が応募。

 運よく一人分だけ抽選に受かり、冷凍される自分。


 両親は、笑っていた。


 一気に流れ込んできた映像と、突きつけられた嘘のような出来事に、吐き気がする。


 イヤーカフを投げ捨て、自分の体を抱きしめる。

 膝が震え、立っていられない。


「ユキヤさん、大丈夫?」


 鈴の鳴るような声にはっとする。

 俺は呆然と周囲を見回し、視線を彷徨わせ、やがてウサギを見上げた。

 泣き出しそうなウサギの表情。


 ああ、これが現実なんだ。

 急にすとんと理解できたように、なぜかすっきりした心地になる。

 そして、すべてを思い出した。


「そうか、俺……俺だけ……」

「わたし、本当にごめんなさい。喜んじゃって、嬉しいなんて、ごめんなさい」


 項垂れ落ち込むウサギを見て、俺は冷静になった。

 この子はずっと一人でここにいるのだろうか。

 何百とも何千ともつかない死体だらけの空間で、一人。


「君は、どうしてここにいるの?」

「え? これはわたしの仕事なんだ。宇宙葬に出されたいろいろな星のいろいろな生命体を、塵芥にして星の海に撒くの。そうすると、新しい命になるんだよ」

「たった一人で?」

「わたし、悪いことしたから、ずっとここにいなさいって」

「誰に?」

「わたし、星を創ったんだ、そしたらお母さんの宇宙が少しおかしくなって……。それで、命の大切さを知りなさいって」


 話が壮大すぎて全く頭に入ってこない。

 創造主の娘だというのか。

 この可愛らしい少女が。

 そして、自らも一つの星を作り出したというのか。

 甚だ信じられることではないが、この際、なんでもありなような気がしてきた。


 俺は、いつの間にか笑っていた。


「じゃあ、ここに幽閉されてるんだな」


 俺が笑ったのを見ると、ほっとしたように、少女も微笑んだ。


「冷凍睡眠のユキヤさんが、間違ってここに来ちゃったって、ずっと前に知ってたんだけど、探せなかったの」


 ウサギは頭を深く下げる。

 その拍子に首から下げていたものに視線が合い、文字通り飛び上がった。


「ああ! もうこんな時間! どうしよう!!」


 俺はびっくりして、足踏みを始めるウサギを落ち着かせる。


「そういえば、なにか急いでるんだったな」

「忙しい! ああ、今日はとっても忙しいのに! 宇宙葬に出すご遺体がたくさん来るんだ。それで、ああ、そうだ、火葬星の用意をしていなかった、これじゃ新しい生命の誕生が遅れちゃう!」


 いよいよ面白おかしくなって俺は噴出した。

 だって、なにもかもがあり得ない。

 ファンタジーの世界に紛れ込んだようだ。

 俺は、また自分の頬を力いっぱい捻ると、その痛さに苦笑した。

 大げさに溜息をつく。


「それは、俺も手伝ったら、もっとずっと早くできるんじゃない?」


 俺の提案に、ウサギはぱあっと明るい笑みでブンブンと見えない尻尾を振った。


「ユキヤさん! ユキヤさん! ありがとうございます!!」


 手を握られ、俺は、笑うウサギの後ろに確かに見渡せる宇宙に思いを馳せる。

 ここに留まらなくてもいいと思う。

 どうにかして地球に行くことも何れは叶うかもしれない。


 けれど、とりあえず今は、この不思議な少女の手伝いでもしよう。

 彼女にとっては牢獄に等しいこの場所で。



おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

月と牢獄と可愛いウサギ 大畑うに @uniohata

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ