成形課の序列

 あたしの所属する課には、二人の係長がいる。

 一人は皆から好かれており、もう一人は皆から嫌われている。

 そして、この二人の出勤時間が被ることはない。



 場の空気が急にピリつき始める。


 言うまでもなく、後者のご出勤なのだ。


 下野係長

 影で皆に “たこ焼き” と呼ばれている50歳過ぎの万年係長。(顔が似ているからと言う理由らしいが、それはそれでたこ焼きの方が気の毒である)


 嫌われている理由も典型的なパターンで、一般社員たちよりも仕事が全くできないくせに、立場を利用して常に的外れな説教ばかりしてくるからだ。

 その為、常にこの係長と他社員とのトラブルが絶えない。


 大声での言い争いも既に何度も見てきた。


 まだ、3か月しかいないあたしですらこの人は苦手と言うより嫌いだった。


 監視室内が急に静かになる。


 誰も口を聞きたくないどころか目も合わせたくないのだ。


「は~~い。みんな、おはよー」


 そう言うと、ズケズケと輪の中に入ってきた。

 皆、まだ長い煙草を乱暴に揉み消し始める。

 そして、まるで蜘蛛の子を散らすようにその場を離れると、そそくさと自分の席に着いていった。

 きっと、自分が嫌われていると言う自覚がないんだろう。

 こういうタイプにはよくあることだが。


 逃げ遅れた波瑠が捕まった。


「若林さん、おはよ~」


 そう言うと、深いシワが刻まれた手で波瑠の右肩を後ろからガシッと掴む。


「ひっ!あっ⋯⋯お⋯⋯おはようございます、係長。私、先に席着きますね」


 そう言うと、逃げるように空いている席に向かう。

 必死に笑顔を作ってはいたが、その表情はあきらかに引きつっていた。


(チッ!この、セクハラじじい)


 あたしは、そうは思いつつも直接言うことができない自分にやきもきしていた。



 ガチャ

「おはよう」


 再び空気がピリっと張り詰める。

 ただ、先ほどとはまた異質な緊張感の乗った空気だった。


「課長、おはようございます」


 下野係長は、そう言うとすごすごと自分の先に着く。


「おはよう御座います」

「おはよう御座います」

「おはよう御座います」


 皆が、席を立ち一例しながら挨拶をする。

 あたしも、慌てて手を拭くと皆に倣う。


「はい。おはよう」


 そう言うと、課長は静かに自分の席に座る。


 それに合わせるように、皆も座った。


 高橋課長。

 身長は170cmを超え、体重は恐らく100kgを優に超えるであろう大柄な男性。

 あたしが、面接の時に特に印象にある、あの鬼瓦の様な顔をした課長だ。

 その顔の印象に負けない程、発言力は非常に強い。

 声は野太くドスが効いていた。

 工場長も、高橋課長の発言には二つ返事だという噂も聞く。

 第一印象から、”怖い” と思わせるには十分。

 まさに、見た目通りの人だ。


「じゃ~、下野係長報告してっ」


 課長はそう言うと、奥歯で噛むように煙草を加える。


 パキーン


 と、いつもながら甲高い音を立てるジッポー。

 きっと、いいお値段はしているんだろう。


 スモーカーぞろいのうちの課だが、このときばかりは誰も吸わない。

 室内に、一筋の紫煙が昇るだけだった。


「え~、本日の生産は⋯⋯」


「今日の予定の事はいい。昨日の状況を報告して!私が帰った後のをだ」


 いつも以上にピリピリと⋯⋯イライラしているのが感じ取れる。


「え~、昨日はですね。え~、定期整備もある中、別件で機械を止めておりまして稼働率の方が⋯⋯えっと、主任ちょっと数字教えて」


 バーーーン!!


 課長は、大きく机を叩くと烈火の如く怒鳴り出した。


「不良が出たんだろう!!なぜ、把握しとらん!!もう、いい。主任、報告して」


 秋吉さんが立ち上がる。


「はい。昨日、16時頃14号機にて口元成形不良が出たと検品作業員より報告がありました。タンクより、10,000本ほど抜き取りを行うと同時に、製造2課のラインにリーダーを向かわせ不良品の流入がないか確認していただきました。現在のところ不良の報告はありません。本日も引き続き確認にあたらせます。

2台定期整備の中、14号機を停止したため稼働率が70%ほどまで落ち込みましたが、タンク残に余裕がある為、次工程ラインに影響は出ておりません。遅れは、遅番に2時間ほど残業してもらいカバーしております。

昨日の定期整備が終了しておりますので、作業予定を変更して本日14号機の整備に入ります。以上です。」


「はい。原因がわかり次第また報告して。係長は、報告書をすぐに提出するように」


 それを聞いた秋吉さんは、眉間にシワを寄せながら不思議そうな顔をする。

 そして、口を開いた。


「課長、本件に関しての詳細は私が報告書にまとめ既に提出済みのはずですが」


「なに?係長⋯⋯その報告書は?」


「え~、それは、私が今⋯⋯」


 課長は、その報告書を取り上げると素早く目を通す。


「馬鹿者!!なぜ、これを直ぐに上にあげん!!この紙があれば、今のやりとりは一切必要がなかっただろうが!お前が持っててもしょうがないだろっ!

係長!もっと緊張感を持て。こんな事じゃ、この先とてもじゃないがやっていけんぞ。」


 まだ、半分ほど残った煙草を乱暴にグシャっと潰すと、少しばかり深呼吸し再び話し始める。


「え~、じゃあ、みんな聞いて。これから話す事は、非常に重大なことだから心して聞くように。⋯⋯⋯」

      ・

      ・

      ・


 課長の話は15分ほどで終わり、皆解散した。

 その話の内容は、あたしが想像していた以上に深刻なものだった。


・親会社で非常に深刻な事故が発生した事

・その事故について、本日の昼に記者会見が行われ全国で放送されると言う事

・子会社である我々も影響は免れない(製造数が著しく減る)と言う事


だった。


(それって⋯⋯結構ヤバイんじゃ?)


 社会人3ヶ月目の私にはこの時、事の深刻さがまだいまいちピンと来ていなかった。

 だが、監視室を出て行く先輩達の背中にはこの時酷く暗い影がかかっているように見えた⋯⋯。



 課長と主任以外、皆出払いあたしを含め3人になった監視室。

 後片付けを済ませ、あたしも自分の持ち場へと向かおうとした⋯⋯その時、


「若宮君、ちょっといいか?」


 野太くドスの効いた声。

 課長だ。


 あたしは、思わずビクッと背筋が伸びる。


(やばい!今日の今日でこのタイミング。しかも名指し。⋯⋯マズイ。バレてるの?いや、そんなはず⋯⋯うぅ、今、めっちゃ機嫌悪いよね。 あぁ~、どうしよう)


「はいっ!」


 あたしは、でき得る限りの笑顔で振り返る。


(違う話題。違う話題。お願い。どうか、バレてませんように)


「君、今日初めての6時の早出作業だったみたいだねぇ」


 課長は、シフト表を見ながら話しかけてくる。


(ぁあ~。終わった。遅刻バレてる⋯⋯)


「どうだった?やってみて」


「へっ?」


 あたしは、思わず間抜けな声をあげてしまった。


(どう⋯⋯だった?えっ?遅刻の話⋯⋯じゃない?)


 咄嗟に秋吉さんに視線をずらすあたし。

 すると、ぎこちないウインクが返ってきた。


(大丈夫ってこと?⋯⋯よしっ!)


 あたしは、思い切って乗っかることにした。


「はい。誰もいない現場と言うのは正直緊張しました。スイッチの押し忘れなどがないか不安はあったのですが、秋吉主任がフォローしに30分早く出勤してくださったので、その後は確認を取りながら進めることができ、無事作業を終える事ができました」


 どう?

 我ながら、咄嗟にしては100点満点の返しじゃない??半分以上真実じゃないけど⋯⋯。


「そうかっ!これからも頑張って。君には期待しているから。秋吉、この子は必ず伸びるからこれからもしっかり指導してあげて。よろしく頼むよ!」


 そう言うと、課長はあたしの肩をポンと叩くと笑顔で事務所に戻っていった。


(フゥ~~~。焦ったー)


 小刻みに、膝がガクガクと笑う。

 深呼吸をし自分を少しずつ落ち着かせる。


「おいおい!ちょっと、完璧じゃん!俺の株までついでに上げといてくれるとは、もうナイス過ぎる返しだわ!よ~し、じゃ、今ので貸し借りなしなっ!!」


 ゆっくり視線をずらすと早速紫煙が上がっている。


「もう、めちゃくちゃ焦りましたよ~。けど⋯⋯なんで?」


 課長から、直接そんな事を聞かれる理由がないのだ。

 それこそ、末端の部下の事なんて係長や主任に確認すれば良いだけの事。

 その為の序列ではないのか?


 仕事を教えて頂くのも、先輩やリーダー、主任まで。

 係長に教えてもらう事はない。

 課長となると直接何か話す機会自体、挨拶ぐらいしか基本的にはない。


「あ~、それな。実は、去年の10月頃だったかな?そのくらいの時に、『なかなか面白い子を見つけた。必ずうち(成形課)に引っ張るから!』

って言っとった事があるんだけど⋯⋯多分それがお前だわ!」


「えっ?」


「つまり、課長のお気に入りって事だな。おつかれっ!」


 そう言うと、鼻から煙を出しながら不敵に笑った。

(自分だって人の事言えない癖に⋯⋯)



「そういえば、あの係長なんで報告書上げてなかったんですかねぇ?」


 あたしは、なんとなく察しは付いていたが尋ねてみる。


「あ~、単純に忘れてたか⋯⋯最悪は揉み消そうとしたんじゃねえか?自分の評価に関わるからな。まっ、そんな事はさせんけど!」


(⋯⋯やっぱり)


 テレビドラマで見てきたような事が、当たり前のように目の前で起きていく。


 ホントに現実にある事だったんだな。


「ところで、課長の言ってた事故って⋯⋯」


 あたしが、少し不安げに問いかけると、


「⋯⋯これだな」


 秋吉さんは、自前のノートパソコンからニュースサイトを開くと、一番最初の記事を指さした。


 それは、全国で被害者1万人以上を出す非常に大きな事件だった。

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