第6話 第二章 偽りの説教者は、タブレットを所望する。(1)

 第二章 偽りの説教者は、タブレットを所望する。


【五月四日 東京 神田神保町 国立学芸院大学】

 古書街で有名な神田神保町の神保町交差点から、白山通りを北上し、神田川に至る手前の東側に、国立学芸院大学がある。芸術家の育成と共に、芸術品や考古学的遺物の管理手法・修復技術を研究している学府となっている。

 日本に持ち込まれる美術品や遺物の管理方法についてのコンサルタントや、実際の修復なども手掛けている。

 その大学院、つまり研究科過程に、俺、『西郷平八郎』が学芸員として在籍している。

 自分でハッキリ言うがかなりの鬼才だろう。もっとも周囲の誰も気付いていないが。

 年齢は二十歳。

 痩せ形で、顔付きにも少し鋭いところがあるが、全体的には印象の薄い青年だろう。

 着ている服装も、ポロシャツにくたびれたジーンズでパッとしない。

「あーだるい。今日も依頼された彫像の修復だな・・・」

 ついモチベーションの欠片もないセリフを吐いてしまう。

 だが、それでも鬼才なのだ。

 中学時代から飛び級(スキップ)を重ねて大学院まで進み、若干十六歳時点で理論物理の博士号(Ph.D)を取得した。その後突如アメリカのボストン大学の大学院課程に進学し、生命科学と数学の博士号を取得。

 しかし大学院で出来た友人の紹介から、子供の頃に興味があった考古学に触れる機会を得て、今度は考古学にのめり込むこととなった。

 結果、日本人の普通のキャリアに比べれば、頭脳明晰でありつつ、極めて多方面に才能を発揮する鬼才と言えよう(自分で言うのもなんだが)。

 いっぽう『自分の気持ちや欲求に忠実な男』でもある。

 結局ボストン大学の大学院で考古学を学び、文化人類学の博士号も取得。この時まだ十八歳。(ちなみにアメリカでは、文化人類学・考古学・言語学の三分野をあわせて広義の文化人類学と称するのが一般的である)

 その後、ボストン大学在籍中に海外に赴き、遺跡の発掘・研究に打ち込んできたが、今年になって実家の都合で急遽帰国することとなった。

 しかし日本での就職はなかなか厳しかった。

 日本の職業慣習というのはなかなか変わらず、新卒から一直線で就職しない場合、つまり卒業後のブランク期間などに対し極めて不寛容なのだ。

 それが学位を持って、海外でキャリアを積んできた場合でも例外ではない。

 また、考古学というジャンル自体に極めて職のパイが少なかった。

 それは日本において考古学はまだまだ裾野が狭く、予算も少ないからである。

 さらに付け加えると、俺自身の元々のキャラクターも災いしたと思う。いつも『我が道をゆく』んで、周囲の空気を読むなどもってのほかだからだ。

 まあ、そのようなさまざまな理由で、日本での就職は困難を極めた。

 結局数か月かかって、ようやく現在の学芸員のポストを得た。

 考古学的遺物に接する機会について、僅かな望みを託した苦渋の選択だったんだが。

 実際は、給料はえらく安い、仕事も美術品の修復ばかり、いつクビになっても不思議は無い・・・という考古学とは接点の無い、満足度ゼロパーセントの職場であった。

 つまりは、日々の糧に過ぎないのである。

 これでも米国時代は、新進気鋭のシュメール文明研究者として活躍していただけに無念さが募った。

 その様な背景もあり、今の俺は日々輝いている状況とは程遠かった。

 学芸院大学のビルは三棟あり、どのビルもかなりくたびれている。この外観からも、あまりおカネが動いていないことを示している。

 そのくたびれた一棟の二階の一角に、学芸員達の研究室があり、各自担当となっている修復業や保存技術の開発に専念している。

 最近、その中の一部屋を割り当てられ、関西の美術館の彫像を修復していた。

「きょうは、オシマイにして帰るか」

 夕暮れ、彫像の汚れを落とす薬剤を置き、片付け始めた。

 この仕事はコアタイムを持つフレックス制勤務が基本で、あとは成果(俺の場合は修復した物品数)に応じて報酬が支払われる。よっていつ帰ろうとあまり問題は無いし、飲みに行くような親しい同僚もいなかった。

 シンプルな一日だ。

 大学の研究室に出勤後、月次スケジュールを確認する。

 通常は、絵画や彫刻の修復の仕事なのだが、修復し終えるまでには何週間もかかる物が多い。よってその日に作業をどこまで進捗させるか、という目途を立てるのだ。

 あとは、朝から昼休みを挟んで夕方まで黙々と修復作業に打ち込む。

 近隣の部屋にも学芸員がいるが、皆似たような感じで作業に取り組んでいる。ゆえに、普段は他の学芸員との交流は無く会話もほとんど無い。

 いつもどおり研究室を退出し、大学の敷地から白山通りに出て、自宅に向かう。

 そのまま白山通りを南下し、靖国通りと交差する神保町交差点を超える。

 超えるとすぐに再開発にて出来た高層ビルがいくつも現れるが、そうしたビルたちの合間にひっそりと、昔からあまり変わらないエリアがある。

 俺は、その中の古い雑居ビルに暮らしている。

 その雑居ビルはもともと零細企業ばかりが入居していたのだが、ここ十年で倒産が相次いだため、家主は個人向けに若干の改造を加えたうえで貸し出しているらしい

 当然ビルは、改造により風呂・トイレが付いたものの、相当に年季の入ったモノであり、部屋もそれなり、というか汚い。

 だが千代田区にしては格安の家賃と、なにより大学への近さが重宝している。

 途中スーパーで食材を買って、自宅のある雑居ビルに向かう。

「・・・?」

 いつもどおりの日常のはずなのだが、なにかおかしい。

 具体的にその違和感はなんだろうかと思案していると、誰かに見られている感覚がある。

 些細な感覚だが、中東の発掘で現地の盗賊やテロリストなどに狙われた経験から、自らの感覚に自信を持っている。

「誰だ?」

 まあ、発掘で赴任していた中東の僻地じゃあるまいし、この日本の首都に盗賊が出るとも思えないが・・・急に何かしらの気配を感じて、振り返る。

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