最終話 恋歌を唄いたくなりました

 新しくて懐かしい日常が始まりました。

 ヒバナさんはカタギリ・ファウンデーションの会長職に就いて、以前よりは時間を取れるようになったそうです。

 だいたいは家に居て趣味的に家事をしていますが、たまに仕事の用事で出かけていきます。


 ナツメ博士は周囲に説得されて再生治療を受けました。右手と右目は元に戻っています。

 一方で就職活動はうまくいっていないらしく、短期で働いては転職を繰り返していました。

 そのことでプレッシャーを感じているみたいなのであまり触れないでおきます。


 わたしはというと、アトリエをもらって創作に励んでいます。

 殆どの時間は『光の帯』を使って金属を加工した彫刻を作っています。

 コントロールは初期よりも格段に緻密となり、なだらかな立体だけでなく細かいモールドも自在に刻むことができるようになりました。


 鳥やネズミなどの小動物の立体映像を見ながら模倣します。

 材料は黄銅やアルミが柔らかくて使い易いのですが、他のものも試してみたいと思います。

 モデルからアレンジを加えてみても面白いかもしれません。


 ただ、みたいに絵は描けません。

 彼女は(というと他人行儀ですが)、小さなキャンパスを選んで小さな絵を描くのが好きだったそうです。

 わたしはキヅキ婦人からそのうちの1枚をもらい、ボストンバッグの中に入れて持ち帰ってきました。


 アトリエの入り口に飾ったその絵に描かれているのは桜の枝……綺麗な色合いでした。

 千葉にいた頃を思い出します。けど、今の方がずっと幸福です。

 ではないからです。


「休憩しましょう」


 たまに自身に言い聞かせないと、全く手を止めません。

 集中していることに間違いないのですが、離れて作品を眺めてみないと分からないこともあります。


『リリィさん、夕方からは雨になるそうです。散歩は早めに済ませた方がよさそうです』

「わかりました、エル。その前に昨日までに仕上がったものを出品しておいてください」

『了解。値段はどういたしましょう?』


「エルに任せます」

『ではそのように」


 作業机の上にスキャナーの光が走り、完成した彫刻を読み取っていきます。

 すぐに立体画像ができてアンダーネットに開設したわたしのお店に並べられました。

 幸いなことに、生活費の足しにはなっています。もっと勉強しなければいけないとは思いつつ、嬉しいことでした。


『今月はナツメ博士よりもリリィさんの方が稼いでいますね』

「そんなことを言ってはダメですよ、エル。お父さんはナイーヴですから」

『ネガティブ。“エル”の見立てでは単なる負けず嫌いです』


「そうでしょうか?」

『はい。一時期は自己評価が低かったのですが、現在はそのような状態ではありません。もう内向的とは表現できないでしょう』

「良いことなのかは判断できませんね」


『そういえば、リリィさん。3人で暮らし始めて大分経ちますがナツメ博士からとやらを教えてもらいましたか?』

「まだです」

提案サジェスト」。催促しておきましょう』


「大丈夫です。時間はまだまだありますから。それになんとなく分かります。むしろ最初から一貫しているのでしょう」

『失敗したときは……というくだりですか』

「そうです。ずっとお父さんが自分自身が言い聞かせていますし」


『ですが不安要素および不確定要素は残っています。例えばサクラギ・タイガのことです』

「髑髏の人ですね」

『はい。リリィさんの中には、ビックサイトで植え付けられた彼のメッセージが残っているのでは? それはナツメ博士には伝えていないでしょう』


「カタギリ・ファウンデーションでメンテナンスしてもらった時に、お母さんへ報告されていると思います。でもお父さんには伝えていないようです」

『危険はないのでしょうか?』

「坂口さん達が、お父さんを秘密裏に護衛しています。アンダーネットを通じたの動きも把握しているそうです」


『リリィさんは戦わないのですか?』

「必要に駆られない限りは」

『理解しました。ところで、ナツメ博士はカタギリ・ファウンデーションの幹部達にはかなり嫌われていると仰っていました。その相手を信用できるかが問題です』


「お父さんは鈍感なところがあります。みんなの女王様を独り占めした上、ずっと焦らしていたから嫌われていただけです」

『尚更、危ない気がしてきました』


 わたしは「心配しないで」とエルに微笑みかけます。天井の四隅のカメラは表情を読み取ってくれたらしく、エルはそれ以上の進言はしてきません。

 もう少しだけ休憩を続けたいと思ったので、別のことを話します。


「エル、どうすればわたしはお母さんに恋で勝てると思いますか?」

『泥棒猫はよくありません。ナツメ博士を奪うのは不可能です』

「それはエルの思考ベースがヒバナさんだから?」


『ネガティブ。父親に恋をする娘はいません』

「でも。温かい気持ちが内側から湧いてくるんです」

『心を表現する方法は様々です。絵でも彫刻でも良いですし、詩や物語でも構いません。ヒトの宇宙は世界よりもずっと大きいのです。広げてみれば形を成します』


 表現ですか……

 己を表すもの。

 とても難しいですね。


 戦い。家族。ヒトではない機械。

 グラデーションのように曖昧な境界を経て、わたしの帰属意識アイデンティティが作られていきました。


 消えた過去の自分も、この駆体ののことも。

 制約を取り払った知性がどこへ向かうのか、きっとまだ誰も知らないのです。

 あるいは悲しみに行き詰まって止まるか。


 百合の造花の手紙の一節を思い出します。『みんなが わたしから 去っていく』という嘆きです。


「エル、歌を唄うというのはどうでしょうか? それもまた表現になると思います」

『構いませんが、“エル”の前で実際に歌ったことがあるのは唯一人です。あれは歌ではなくメロディを口ずさんでいただけで音痴でした』

「それなら本当の意味での歌はわたしが初めてでしょうか。聞いてもらえますか?」


『はい。レパートリーをお持ちでしたか』

「いいえ、即興です。でも歌ってみたいんです」

『それはどんな歌でしょうか?』


「恋の歌です」




 

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マグナム・リリィは恋歌を唄う 恵満 @boxsterrs

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