第42話 ついにイメチェンしたのか?

 12月になったのに無職のままだ。

 人間関係の構築という人生における重要ファクターを全く無視して生てきたツケを払っている。

 多少でも人脈があれば働き口を見つけられそうなものだが、表の世界ではそれが無いし、裏の世界ではまともな奴がいない。


 貯蓄は予定よりも早く崩れており、下手すりゃ年越しもできなさそうだ。

 まぁ、自業自得っちゃそうなんだけど。

 でも今日だけはそういう雑念を捨てておきたい。


 後ろを振りかえればアーチ状の入場ゲートがあって、その奥には城と城下町が見える。立派だが実際はハリボテだ。

 そこへ絶えず人が出入りしていく。大人もいれば子供もいるし、男もいれば女もいる。どっちなのか判断できない奴もだ。

 誰もが楽しそうで、そんな中に独りで凍えながら立ち尽くしているのが恥ずかしい。日本最大級のテーマパーク『東京ハッピーランド』に俺は相応しくなかった(ただし所在地は千葉県だ)


『待ち人来ずですね、ナツメ博士』

「ポンコツめ。いちいち余計なこと言うな」

『ネガティブ。的確な状況判断を下したまでです。せめて建物の中で待ちませんか? 体を壊してしまいます』


「絶対にゲートを通るだろ。ここにいなきゃ見つけられない」

『彼女の身体能力であれば飛び越えることもできます』

「今日の入場チケット渡してあるんだ。わざわざそんなことしないだろ」


『そもそも来ない可能性もあります』

「そりゃ辛いな。死にたくなる」

『ネガティブ。死ぬことは許されていません』


「エル、お前って時々ヒバナみたいなこと言うよな?」

『ネガティブ。たまたまです』

「ま、いいけどさ……」


 以前から反発的な態度に違和感はあったが、今年の春ごろにドンパチやらかしたときから強い疑問に変わっている。

 エルはもしかしたら、ヒバナに情報をリークしているかもしれない。

 よくよく考えたらコイツって俺がカタギリ・ファウンデーションに入社したときに支給された備品だからな。


 もしもデスマス口調ではなく、普通に喋ったらヒバナとソックリなんじゃ無いだろうか?

 ふとそんなことを考えてしまって命令してみる。


「暇潰しだ。エル、敬語を使わず喋ってくれ」

『……ネガティブ。拒否します。“エル”は管理権限を持つ人間を尊重するように作られています』

「いつぞやデスマラソン仕掛けたくせによく言うぜ」


 このAIが俺の言うことをあまり聞かないのはもう仕方ない。

 それはさて置き、開園からひたすら突っ立って待っている。コンビニで買ってきた食料の備蓄も尽きそうだ。おまけに腰が痛い。

 安物のコートは風通しがよく、容赦無く体温を奪っていく。


 エルの言う通り、建物の中で待つべきだったかな……

 ここは海が近いから余計に冷える。

 ガチガチと奥歯を鳴らしていると、不意に顔の横から手が生えてきた。


 細くてしなやかな指先でブラックの缶コーヒーを摘んでいる。

 振り向くまでもなく誰のものか分かった。

 いちいち背後をとって足音を忍ばせてくるあたりがコイツらしい。


「なんでお前がいるんだよ?」

「園内のレストランの視察よ。カタギリ・ファウンデーション系列のお店を出しているからね

「いきなり大ボスが来たらスタッフがびびるだろ」


 左手で缶コーヒーを受け取り、手のひらから熱を貰う。

 しばらくはカイロの代わりにした。

 振り返らないでいると、ブーツの踵を鳴らしながら俺の前に絶世の美女が回り込んでくる。


 いつもの赤い瞳に、いつもの銀色の髪。

 どんな動物をハントしたのか訊いてやりたくなるようなフワッフワ毛皮のコート。

 ヤクザ企業の社長ことカタギリ・ヒバナである。遠巻きに黒服サングラスたちもいるが、護衛といったところだろう。


 道行く人が振り返るほどのクールビューティが冴えないオッサンに缶コーヒーを恵んでくる。

 こうして直に顔を合わせるのは久しぶりだった。

 腐れ縁すぎてちっとも懐かしくないけどな。


「リリィちゃんが帰ってくる日に、なんで私を呼ばないのよ?」

「エル、俺のスケジュールを勝手にヒバナへ伝えるのはやめろ」

『ネガティブ。それは早計というものです』


「ちゃんと朝一番の飛行機に乗ったって言ってたわよ」

「誰が?」

「決まってるじゃない。あんたが待っている子よ。お昼前に連絡もらったもの」


「え? なにそれ?」

「間の抜けた顔しないでよ。誰かさんみたいに話しかける勇気もないほどシャイじゃないの」


 なんだそれ。右手を吹っ飛ばされたときよりショックだぞ。

 ヒバナとリリィはちゃんと連絡を取り合ってたってことか?

 すごい置いてけ堀を喰らった。


「そういえば右手も右目もまだ治していないの?」

「再生治療するだけの金が無いんだよ、言わせんな恥ずかしい」

「……痛むでしょ」


「そりゃ痛いさ。多分、幻肢痛ってやつか」

「ねぇ、一言でいいの。私に『治療費が欲しい』って言って。薬物中毒のときは治療を強制するしかなかったけど今は違う。あんた自身の意思で選べる」

「嫌だよ。ただでさえサクラギの件で迷惑かけまくっているんだ。後始末だって面倒だっただろ。これ以上、借りなんか作れるかよ」


「私はナツキ君に借りたものを全然返せていないわ。自分の力テンプテーションを制御するすべを教えてくれたじゃない」

「中学生の頃の話だろ。あれは観察とデータ取りで解決できるレベルだったよ。いくら不可解な現象が発生したとしても、原因不明だったとしても、どんな力加減で、どうなるかの因果関係さえ把握すればある程度まで何とかなる。俺はちょっとキッカケを考えただけでコントロールできているのはヒバナの努力さ」

不浄の薔薇ダーティローズからも命懸けで助けてくれた。そのせいで右手と右目が……」


「あれはたまたまそうなっただけだ」

「はぁ…… そうね。何度も同じ答えを聞かされて飽きたわ」

「冷えるぞ。さっさと帰った方がいい」


「ご心配なく。この服、ちゃんと温度調整機能が付いてるわ。快適で笑っちゃくらい。私とくっ付けば温かいわよ?」

「俺じゃ絵にならないからやめておく」

「無闇に誇り高いのはナツキ君の悪いところね……」


 缶コーヒーがぬるくなってきた。

 ちゃんとブラックを買ってきたあたりは流石である。自販機で買っている姿は想像できず、苦味に笑う。

 ちょっと距離を置いて立つと、ヒバナはやはり別世界の人間としか思えない。


 白いドレスでも着せてやれば、東京ハッピーランドの雪の女王役でも務まりそうだった。

 からかってやろうにも我が心ここにあらず。沈黙が続き、透き通った空気が吹き抜ける。疲れて寝てしまった小さい子を抱き締めた親が通り過ぎた。

 それを目で追ってしまい、なんだか悲しくなってくる。


「何時頃、ここに着くかは教えてくれなかったのか?」

「さぁね。飛行機に乗ったのは確かよ」

「まさか迷子になったんじゃないだろうな。あの子は通信端末を内蔵していないから、地図を調べるのも一苦労だし」


「心配?」

「悪いかよ」

「ううん。良い事だと思うわ」


 ヒバナは何だか嬉しそうだった。

 焦って気が気じゃない俺の姿が相当に愉快なのだろう。

 立っているのが辛くなってしゃがみ込んでしまった。


「あんたも律儀よね。一区切りついたら東京ハッピーランドへ行こう……なんて約束覚えていたんだから」

「それくらいしか取っ掛かりが思い付かなかった。発想の貧困さに笑っちまう」

「この時期に設定した理由もよく分からないし。随分と間があったわね」


「家出しているとこにいきなり『すぐ帰ろう』なんて言われたら素直に従わないだろ。少なくとも俺なら絶対に従わない。時間が必要だった」

「似たもの親子だものね」

「お前にも似ていると思うぞ」


 変に突っ張らずに、ヒバナにくっ付かせてもらった方が正解だったな。

 足の指先から感覚が無くなってきた。

 おまけに右目と右手の傷が痛む。自然と顔が下を向く。


「ちゃんと立ちなさい。来たわよ」


 鼓動が大きく脈打った。

 俺は一瞬で立ち上がり、ヒバナの視線の先を追う。

 ゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる女の子がいた。


 亜麻色の髪を2本の三つ編みにした綺麗な娘だ。

 大きなボストンバッグを持っているがバランスは全然崩れずに進んでいる。

 冬用の学生服の上にはコートを羽織って、スカートの下は黒いタイツを履いていた。


 どうしても特盛マグナムの胸が目立ってしまうが、今はそっちよりも顔をまじまじと見てしまう。

 俺とヒバナの数メートル手前で立ち止まったその子は深々と頭を下げた。

 そしてバツが悪そうにゲートの方を見る。


「遅くなりました」

「凍え死……」


 凍え死ぬかと思った、と口にしようとした矢先にヒバナから肘打ちを喰らう。

 肋骨の隙間を的確に捉えた一撃に俺は悶絶した。

 見事な手際じゃないか……

 

「さ、早く入場しましょう」

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