第41話 永遠の灰色なんて望みません
「もう大丈夫よ。出てきなさい」
キヅキ婦人に声をかけられ、クローゼットから顔を出します。
家の中には私の他に気配がひとつだけしかありません。
どうやらナツメ博士は帰っていったようです。
胸を撫で下ろすと、笑われてしまいました。
心中を見透かされているようで恥ずかしいです。
もしも私に心臓があったのならとうに爆発していたと思います。
「会いたいのなら素直に会えばいいのに」
「どんな顔をすればいいのか分かりません」
「私の見立てでは、さっきの人も同じことを考えていたわね」
「きっと勘違いです」
「似てるわよ、あなたたち」
「やめてください。わたしは博士とは違います」
とてもよい人なのですが、こういうところは少し苦手です。
キヅキ婦人にからかわれながらまた仕事に戻りました。
ベランダから日本海の見える部屋をあてがわれたわたしは、そこで彫刻の練習をしています。
まずは自分の首筋に触れ、金色の粒子を纏わせました。
それを作業台の上に置かれた金属の塊に近づけて意識を集中すると、ブロック状だったものが耳障りな音を立てて変形してゆきます。
目を細めてイメージを紡ぎ、頭の中と現実をすり合わせます。
しかし、金属の塊は星のように尖ったかと思うと勢いを失い、内側から爆発した形で止まってしまいました。
やはり上手くいきません。
この作業にはかなりの反復練習が必要となるのでしょう。
「あら、最初の頃よりも大分良くなってきたわ」
「わたしになる前のわたしはもっと上手だった筈です。この力に壊す以外の使い道があると知ったからには、必ずマスターしてみせます」
「向上心は大切ね」
果たして、これを彫刻と呼んでいいのかは分かりません。
けれどキヅキ婦人が「彫刻ね」とおっしゃったので、わたしも同じ様に考えています。
廊下にある置物や絵画は全て、わたしになる前のわたしの作品だそうです。
「でも、いくら上手に作れてもあなたは以前のあなたになれないのよ。それだけは覚えておいてね」
「理解しています」
「記憶を全消去される前の自分と比べてしまうと辛くないかしら?」
ゆっくりした足取りでベランダへ出るキヅキ婦人に向かって、わたしは無言で首を振ります。
そして何度も何度も尋ねた疑問を、また口にします。
次は違う回答になるのではないかと儚く期待しながら。
「以前のわたしは、どんなアンドロイドでしたか?」
「臆病で繊細で泣き虫だったわ。お友達が亡くなるたびに、深く傷ついていたの。どうして自分だけが同じ場所に残り続けるんだろう……って」
「その心があれば、この家に飾ってあるような作品を作れるのですね」
「今日は違うことを言うべきね。あなたにはもうあるわ。だって、トボトボと帰っていくナツメさんに心を痛めたんだもの」
「分かりません」
「そう? じゃあ、私からも質問。どうして主人は
「知性機械は人間を殺傷できません。それが可能な存在を望んだのでしょう」
「残念ながらハズレよ。あの人、病気で生殖能力を失くしていてね。どうしても自分の子供が欲しかったのよ」
「ごく普通のアンドロイドでも代替できたと思います」
「ヒトに対して従順なシステムが気に入らなかったのよ。だからセーフティもリミッターもない知性を作った。でも変わり者のやることだから理解してはもらえなかったみたいね」
「……それがわたしになる前のわたしということですね」
「科学者の生き方は熱狂的なの。『あれがしたい』とか『これが欲しい』とか、自分の欲にとても忠実よ。それが法や倫理に触れるとしてもね」
「そういうものなのでしょうか?」
「ナツメさん、若い頃の主人にそっくりだったわ」
「顔がですか?」
「いいえ。顔は私の夫の方がかっこよかったかしら」
「やはり、よく分かりません」
「ナツメさんも熱狂的だったのでしょう。死んでしまったアンドロイドを蘇らせる研究をなさっていたんでしょう?」
「あれは悪いことです」
「じゃあ、ナツメさんがどうしてそういう研究をしてたのか尋ねたことはあるかしら?」
「理由……ですか。自分が閃いた構想に対し、実現性を見出したことが原因だと推測されます」
「それは根っこの部分じゃないわ。もしかしてあの人、誰か大切な人を失くしてたんじゃないかしら。ヒトを蘇らせることはできないから、せめてヒトが作った人工知性は復活させたい……なんて願望を抱いたのかもしれない」
「それも分かりません。わたしは」
「ごめんなさい。喋り過ぎね」
また作業に戻ります。
金属の塊はなかなか形になってくれません。
イメージしているのはネズミでした。どういうわけか、ネズミを作ろうと考えたのです。
耳は丸く、顔も丸く、コミカルでかわいく……
けれど実像を結んだのはせいぜいハリネズミに見えなくもない何かでした。
これにタイトルを付けてくださいと頼まれたら「ばくはつ」と答えるでしょう。
「やはりあなた、彼のもとに帰った方がよさそうね」
「わたしはここにいてはいけないのでしょうか」
「そうじゃないわ。ずっと居るべき場所がここでないというだけ」
「今のわたしがナツメ博士と過ごした時間より、この『祈りの家』で過ごした時間の方が長い筈です。もう3ヶ月以上も住んでいます」
「それは理屈ね。だからこそ、あなたは割り切れないでしょう」
「自分の気持ちに素直に従えということでしょうか?」
「それはなかなかできないものよ。年齢を重ねると余計にね。知性はだんだん意固地になっていくの」
「キヅキ婦人がこの家から離れられないのと同じ話ですね」
「失くしてからじゃ遅いわ。でもよく悩んだ方がいいの。複雑で矛盾しているけど、そういうことを考えるためにヒトは心を持った」
手を止めると作業机の上に、封筒が置かれました。
開けてみるとチケットが入っています。
「あなたに通信端末が内蔵されていないから、紙で用意してくれたようね」
「わざわざこれを渡すために来たのでしょうか。わたしをずっと探して……」
「そうらしいわ。東京からだいたい600kmくらいあるのに」
チケットを封筒の中へ戻して、わたしは部屋の隅の木箱を開けます。
そこにはクシャクシャの手紙がたくさん入っていました。
香りは殆ど無くなっていますが、以前は百合の造花だったものです。
封筒を静かに置いて蓋を閉め、庭の方を向きます。
角部屋の小窓からは大きなイチョウの樹が見えました。
あれが散ると冬になり、この辺りは雪に閉ざされます。
「わたしは東京で再起動しました。その時のスーツケースに詰めて葬儀したのは、あなたですか?」
「大変な作業だったわ。けれど他に誰もいなかったもの」
「では、造花を作ったのも……」
にこやかにキヅキ婦人は頷きます。
本に出てくる「優しいおばあちゃん」のイメージが具現化したなら、彼女のようになるでしょう。
けれどどこか寂しくて不自然にも思えます。
「以前のあなたが自分宛に送った手紙をそのまま入れるのは無粋かなと思って。花の形にしたのよ。時間もタップリとあったから」
「全部、開いて読みました。わたしは自分だけが生き残ってしまう現実に絶望していたのですね」
「今のあなたが絶望しないことを祈るわ」
「しばらくは絶望できないと思います。わたしはそれを知るほど長く生きていません」
「とても幸福なことよ。いずれ知ったとしても乗り越えられるかも知れない」
「努力します」
百合の造花は全て手紙でした。
過去のわたしが描いたものです。
目を背けたくなるような悩みや不安・悲しみに満ちた日々を綴っていました。
口癖のように「祈る」という単語を使っていて、ペンを握りながら実際に祈っていたのだと想像できます。
失うことはそれほどまでに恐ろしいのでしょう。
作品作りに没頭していたのは逃避だったのかもしれません。
「わたしが東京へ帰ってしまったら、キヅキ婦人は独りになってしまいます」
「寂しくなんかないわよ。もう慣れっこ」
「恩があります。わたしはまだここにいます」
「私、もう長くないわよ。自分で分かるの」
「若年化治療というものもあります」
「望まない。もう失うのはたくさん。あの人の待っている場所がいいわ」
「それでも最期までお側にいても良いでしょうか?」
「えぇ、勿論」
「ありがとうございます」
………
……
…
キヅキ婦人が亡くなったのはその1ヶ月後でした。
眠るように穏やかな死でした。
きっと、旦那さんの元へいけたのだと思います。
ナツメ博士からもらったチケットの有効日は年末で、期日が近かったのですが私はその時もまだ迷っていました。
屋敷の外のイチョウは葉が落ちて白い粒が曇天に舞っています。
これが失うことなのかなと自覚すると、あの手紙を綴った以前のわたしの気持ちが少しだけ理解できました。
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