第39話 別れと呼ぶのに相応しい日でした

 昇降機から降り、鉄扉を破壊すると懐かしい匂いがしました。

 わたしはここを毎日掃除していたのですが、まさか自分で散らかす日が来るなんて想像もしていません。

 飛び散った破片をパンプスで踏み、前へ進みます。


 明かりは点きません。ですがわたしの目は暗闇の中を的確に捉えていました。

 右へ行けば応接室で、左へ行けば工作室と安置所があります。

 もしかしたら……と思い声を出してみました。


「エル、ライトアップしてください」

『ネガティブ。管理者の許可が出るまでOFFにしています』


 ハッキングされていたとはいえ、エルは汎用AIとしてこの家の雑事を任されていました。

 不浄の薔薇ダーティローズは、ナツメ博士の位置情報と会話の内容にしか興味がなかったのでしょう。

 墳墓のコントロールに関しては放置したままで、オンライン上のエルが握っていました。


 ふと、暗がりで何かが動きました。

 手足があってヒトの形をしています。

 呻き声をあげながらよろめき、極めてゆっくりとわたしに向かってきました。


 多分、安置所から出てきたのでしょう。

 機能停止したアンドロイドを一時的に蘇らせる……ウィルス・プログラムです。

 同じ症状を髑髏の人に見せられました。


 あんな嫌悪すべきモノが、わたしが本を読んで掃除をしていたのと同じフロアに何体もいたのです。

 事実は否定できません。わたしは唇を噛み、駆け出します。

 新調したばかりの学生服のスカートがフワリと揺れました。


 下着も身につけていない女性型のアンドロイドです。顔は髪に隠れてよく見えません。

 いえ、見たくありませんでした。

 首筋のコネクタへ軽く触れたわたしの指は金色の粒子を纏います。


 そっと相手の額に触れ、内部を最小限に破壊しました。

 頭部にある回路部品を軽く折るイメージです。それで十分でした。

 糸を切られた人形のようにその場に1体が崩れると、奥からまた1体がやってきます。


 ナツメ博士は、侵入者を想定して警戒モードにしておいたのでしょう。

 狭い通路で絡まれれば動けなくなります。拳銃程度の武装の強盗だったら、それで事が足ります。

 けれどわたしは止められません。


 同じように繰り返して彼女たちを無力化していきます。すぐに死体が山のように積み重なりました。

 もしかしたら、わたしもあちら側にいたかもしれません。

 そう思うと胸が締め付けられました。


 ここにわたしが残しているものなんてもう無いのです。ただ確かめに戻っただけであり、その結果として失望が深まりました。

 彼を唯一の帰属先として考えていた自分が浅はかで恥ずかしくなります。

 もしもあの日、ヒバナさんの家に連れて行かれなかったら……こんな風に考える機会はなかったでしょう。


 ヒトではない、ヒトに似せた機械。

 結局、それを強く思い知った日々でした。

 外の世界を知らないままここで過ごした方が幸せだったかもしれません。


 あとは目についた機材を『光の帯』で破壊してゆきます。初めて服を印刷してくれた3Dプリンターや、天井の隅に設置された立体映写機、それに計算端末……触れるだけで中身はグシャグシャになります。

 全部の作業が終わるまで10分とかかりません。不思議なことにエルは止めてきませんでした。

 わたしは引き返そうとして向きを変えます。すると……


『給湯室の箱の中に忘れ物がありますよ、リリィさん』

「えっ?」


 不意にエルが声をかけてきました。

 そして思い出します。わたしがここへ運ばれた時、百合の造花に埋もれていたことを。

 それらを箱に入れて大事に給湯室にしまっておいたことを。


 わたしは言われるがまま、応接室の隣にある手狭なスペースに入ります。棚の中の箱はちょっと埃をかぶっていました。

 蓋を開けてみると甘い花の香りがします。造花の花びらに香水でも染み込ませていたのでしょう。

 真っ暗な中で一輪を摘み上げ、顔に近づけてみました。


 ひどく懐かしい、遠い出来事が形になったかのようです。

 でもこれを持っていくべきかは分かりません。造花は何十本もあるのです。

 たくさんの花を抱えて出ていくなんて変な気分です。

 

 そういえば博士と一緒に桜を観たことがありました。

 今となっては本当にあったことなのか自信がありません。

 あんなことをするヒトが花を愛でるなんて思えないのです。

 

『悩み事があるのなら相談に乗ります』

「いえ、大丈夫です。わたしはこれでさよならをしますので」

『そうですか。行く宛はあるのでしょうか?』


「ありません。けれど、ここにはもういたくないんです」

『反抗期でしょうか?』

「分かりません」


『子供は成長すると、自分の親が万能ではないことに気付いてしまいます。すると失望するのです。これまで築いてきた信頼とは何だったのか、と』

「エルはわたしを引き留めたいのでしょうか?」

『ネガティブ。“エル”は“エル”なりにナツメ博士の気持ちを理解しようとします。出ていくリリィさんを止めることは、その理解を捨てることになります』


「今までありがとうございました」

『こちらこそ。リリィさんが来てから、ナツメ博士は随分と明るくなりました。あなたのおかげです』

「そうなのですか?」


『こんな場所に引き篭もっていたら誰だって暗くなります。いえ、その暗い状態ですら“エル”がナツメ博士と初めて会った時よりずっとマシでした。リリィさんは新しい刺激を運んできたのです』

「それは知りませんでした……」

『おっと。引き留めてしまいましたね。それではさようなら。いつかまたお会いしましょう』


 それ以後、エルは一切話しかけてきません。

 わたしは箱を抱えたまま後ろ髪を引かれ、昇降機に乗り込みます。

 墳墓へ続く通路の外は荒れ果てた街並みで人はいません。


 遠くでシティコミュターが走っていくのが見えました。あれもナツメ博士と一緒に乗ったことがあります。外に見える景色がとても新鮮だった記憶があります。


「満足したかしら?」

「はい」


 外でわたしを待っていたのはカタギリ・ヒバナさんです。透き通った赤い目と、銀色の髪のとても美しい女性です。

 作り物のアンドロイドよりもずっと綺麗な顔をしていて、優しい笑みを浮かべていました。

 千葉にいた時とは違ってスーツ姿で、仕事中のように見えます。


「わたしを助けてくれたこと、駆体をメンテナンスしてくれたこと。とても感謝しています。それとここに連れて来てくれたことも」

「メンテナンスできたのはたまたまよ。タカツキさんがを持っていたからね。でも、ちゃんとお礼を言えるだけリリィちゃんは偉いわよ」

「ナツメ博士はお礼を言わないのですか?」


「照れ臭くて言えないのよ。いつも不貞腐れた態度してるけどね、すごくナイーヴなの。でも意地っ張り。無茶苦茶な性格しているわ」

「ヒバナさん、本当はナツメ博士の恋人ではないですね?」

「そうよ。いつ頃から嘘だって気付いていたの?」


「千葉では同じ家に住んでいたのに、行為に及ばなかったからです。わたしが確認している中では1度も」

「……あいつのデリカシーの無さを真似しちゃダメよ」

「わかりました」


 眉間にシワを寄せて苦笑いされました。失礼な発言だと理解していても、当て擦らずにはいられなかったのです。

 こんな感情が沸いてくる理由は不明でした。

 あとで分析する必要があります。


「その花、リリィちゃんの入っていたスーツケースの中にあったものね」

「どうして知っているのですか?」

「飼い主の特権よ」


 ヒバナさんは箱の中から1本を手に取り、手の中でクルクル回して眺めます。

 まるで絵画から切り出したワンシーンのようでした。見惚れてしまいそうです。

 あぁ、わたしが抱いている感情がどんな色なのか自覚してしまいました。


 これは嫉妬。わたしはずっとヒバナさんのことが妬ましかったのを、気付かないフリをしていたのです。

 この人は自分が持っていないものを、あまりに多く持っているのです。


「本当に家出するつもり?」

「はい。気持ちの整理がつきません。このままナツメ博士と顔を合わせたら自分を保てないと思います」

「その動機だけでマスター・スレイヴ・システムですらキャンセルできるわけね……呆れた」

「わたしは、セーフティがありません、形式上の従属であれば人間と同様に破ることができるようです」


「リリィちゃんは清廉潔白な人間しか好きになれないタイプかしら。私はそういうの気にならないわ。ま、それぞれね」

「わたしは帰属意識アイデンティティを戦いに持とうとし、次に家族に持とうとしました。けれど結局は『ヒトではない』ことがわたしの帰属意識アイデンティティではないかと考えるようになりました」

「それを踏み躙られたってこと?」


「うまく表現できません。ですが、ナツメ博士のしてきたことを認めたくないのは確かです。それにヒバナさんが加担していたのも認めたくありません」

「若者らしい潔癖さだわ。何十年も生きていると、そういうのに鈍感になるのよ」

「わたしもいつか慣れてしまうでしょうか?」


「さぁね。それは自分次第じゃないかしら。あなたは寿命が設定されていないアンドロイドなんでしょう?」

「そうらしいです。けれど以前の記憶を失くして消えようとした理由が分かりません。はどうして溶解処分を選んだのでしょうか?」

「私には答えられない疑問ね。それこそ自分自身でルーツを辿るしかない」


「……難しい道ですね」

「案外、近くにヒントがあるかもしれないわよ。ほら見て。この百合の造花、花弁にうっすらと筋が見える。透けた文字のようね。何か書いてある紙で作ったんじゃないかしら」

「えっ……?」


 手にとった1本を指先で解いて、ヒバナさんは開いてみせました。

 花弁だった紙には確かに文章が綴られています。

 それを目にしたわたしは息を呑みました。


 造花の入った箱を地面に置いて、百合の造花を1本ずつ開けていきます。

 全部、手紙でした。


「愛を確かめる良い機会になるわね。追いかけてきた距離と時間が多ければ多いほど愛されている証拠だもの。せいぜい遠くへ行きなさい」

「どうして、そのことを知っているんですか?」

「さぁね。引き留めたらナツキ君に怒られるだろうから、あとは自由にしてちょうだい。


 一言一句、エルと違わぬ挨拶をしてヒバナさんは背中を向けました。

 近くに路上駐車していた黒い大きなクルマに乗り込んで去っていきます。

 運転席にいたのは坂口さんです。何度か会っていますが、ちょっと怖い人でした。


「祈りの家…… そこにがいた……」


 わたしは……行かなければならない場所がわかりました。

 たくさんの手紙を握り締めて。

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