第38話 職探しはめちゃくちゃ辛いんだぞ?

 排気ガスを出す自動車が街から消えて半世紀が経つというのに、東京の空は相変わらず汚い。

 呼吸するのを躊躇う。けど、ここで息を吸って吐かなければ生きていけなかった。

 薄い灰色を見上げて俺は全体重をベンチに預ける。大変残念ながら視界は半分しかなかった。


 包帯が巻かれた右目がどうなっているのか鏡で確認したが、残った左目は現実を拒否している。

 ついでに右手は手首から先がポッカリと欠けていた。

 今でも指があるような気がして力をこめてみるが特に意味をなさない。


「エブリディハッピー……か」


 アホか。

 幸せってのは相対的なモンだ。それが毎日続いたら幸せなわけがない。

 中学生の理屈で立ち向かおうとしても誰も取り合ってくれなさそうなので、俺はひとり胸の中で文句を垂れている。


『ネガティブ。幸福は絶対的なものではありません。毎日が幸せというのは認識の過ちだと推測されます』


 白衣の胸ポケットに挿したペン型の端末が生意気な口をきく。

 コントロールを取り戻した後でさらにクリーニングまでかけた汎用AI のエルだ。

 一時的にハッキングされていたが今は俺が唯一の管理者として接している。


「俺の思考をトレースするな」

『ネガティブ。一般論です』

「そんな品性のねじ曲がった一般論があってたまるかよ」


 海沿いだから湿度が高い。

 桜もとっくに散って緑色の季節がやってきた。

 いや、1ヶ月も寝てたから下手すりゃ梅雨に入っちまう。


『ナツメ博士、職探しはしなくてもよいのですか?』

「前科者を雇ってくれる会社なんて滅多に無いぜ。アンダーネットで名前を検索されたら一発でバレる。どんなに愚鈍な人事担当だってそれくらいはするさ」

『このままのペースでお金を使った場合、1年後には蓄えがゼロになる計算です』


「しょうがないだろ、ヤクザ会社のアングラ部門だったし。健康保険どころか退職金も失業保険も無いとか流石だぜ」

『墳墓の修理費用を請求されなかっただけマシということにしておきましょう。前向きな心は成功を呼びます』

「自分の会社の持ち物が、自分の会社の持ち物を壊したんだ。俺に請求してきたら突っぱねてやったさ」


『博士の監督責任という考え方もあります』

「ナイナイ。そりゃ無しだぜ。誰が暴走アンドロイドを止められるってんだよ」

『子供が非行に走るのは親の責任です。リリィさんがをしたのは、博士の悪業が露見したからですよ』


 エルの指摘にぐうの音も出ない。

 不浄の薔薇ダーティローズが倒れ、サクラギのが事実上瓦解して騒動は収束した。

 手錠爆弾という非人道兵器のせいで俺は右手と右目を失って入院し(皮肉にも黒薔薇の女の最期と一緒だ)、その後で何が起こったのかを坂口から聞かされた。


 カタギリファウンデーションはアマワと和解したらしい。

 副社長のトウドウが積極的に和平交渉したそうだ。あれだけイキって「やり返す」とこぼしていたのに、格上が相手と分かった途端に弱気なものである。

 おかげで俺も命を狙われる心配がなくなったので文句は言うまい。


 退職したナツメ・ナツキなる元研究員がアマワの機密を社外に漏らしている……というのが髑髏マスクの用意したシナリオだった。

 その内容があまりにも後ろ暗いので秘密裏に処理することを選んだという。

 だが精査すれば書類は偽装だらけで個人的な恨みが丸出し。あらためて採択するに値しないと上層部が判断を下した。


 なお、姿を消したサクラギ・タイガは追われる身となっている。あいつのことだから海外にでも高飛びしているだろう。貨物に揺られてフィリピンあたりにいるかもしれない。

 まぁ、それは放っておこう。

 最大の問題はことだ。


 エルの話では(ビックサイトでもリリィの側で監視していたらしい)、サクラギのクソったれが「所持しているだけで逮捕されるようなポルノ」をリリィに見せてしまったらしい。

 例のSM風俗の盗撮動画で、ゾンビ化したアンドロイドを作っているのが俺だとバレた。


 リリィはメンテナンスを受けた後で、あろうことか粒子兵装で墳墓を破壊して家出している。

 出入りを禁止していた工作室や安置所の中も見てしまったのだろう。あの子はエルを経由して俺に伝言を残し、姿を消した。「あなたは最低です」だそうだ。

 どう考えても全面的に俺が悪い。

 失望して当然だろう。


死霊術師ネクロマンサーは引退ですね』

「設備丸ごとリリィに壊されたからな。頭の中にはソースコードが残っているがもう組む気はない。自分の考えにしがみ付いて悪いことやってたんだ。この右手も目も罰が下った結果だろ」

『罰とは神が下すものです。この世界に神はいないと仰ったのはナツメ博士です』


「最近は、案外いるんじゃないかと思えてきた。それにしちゃ監視体制が甘くて悪がのさばっているけどな」

『ネガティブ。それは神が万能であるという前提に基づいた発言です。そうでないものと推測されます』

「どっちでもいいさ。つーか、呼び出しておいてまだ来ないのかよ」


 毒づいてエルに愚痴っていると、2人組が近づいてくる。

 お台場は廃墟だが無駄にベンチがたくさんあるので座る場所には困らない。

 わざわざ大観覧車の真正面を選んだのは意図があってのことだろうか?


 ひとりは禿頭でサングラスのアロハシャツの爺さん。

 もうひとりは褐色肌の少女型アンドロイドだ。

 タカツキ商店のメンバーはにこやかに近づいてくる。


「ナツメおじさん、こんにちは」

「おう、こんにちは。モモ」

「カタギリファウンデーションをクビになったんだってな?」


「くたばれジジィ」

「ワシには挨拶なしかい」

「開口一番に他人の雇用状況を笑う奴は人間じゃねぇよ」


「おじいちゃん、挨拶はちゃんとしなきゃダメだよ」

「はいはい。よう、引き籠り無職中年」

「よう、棺桶に片足突っ込んだ死にかけめ」


 くそっ、時間の無駄だった。呼び出しに応じたのは失敗だったかな。

 タカツキの爺さんは俺の隣に腰掛けると、手に持っていた紙コップを差し出してくる。

 湯気が立っていて目が覚めるような香りがした。


「随分と刺激的な匂いのコーヒーだな」

「本物のカフェインじゃぞ。この近くにある地下カフェのオススメでな」

「そりゃいい。角砂糖あるか? 2個」


「ブラックで飲まないんかい」

「缶コーヒーはブラック派だけど、そうじゃないコーヒーには砂糖入れるぞ俺」

「面倒臭いヤツじゃのう」


「あっ、テイクアウトの時に貰ってきたのがちょうど2個あります」

「流石はモモだな」

「えへへっ……」


 この時期ならアイスコーヒーにしてほしかった。

 けどまぁ、ありがたくもらっておこう。左手で受け取って角砂糖を落とし、チビっと唇を付けるとそれだけで高揚してくる。

 素晴らしい苦味だ。


「そういや、あんたも裏切り者なんだよな」

「ジャンク部品の仕入れ先がたまたま殺し屋をやっていただけの話じゃろ?」

「どう考えても逆だろ。殺し屋が副業でジャンク屋を営業していたんだろ。やってることに至っては殺し屋を通り越してテロリストだったぞ」


「……あの女はこの辺りが縄張りだったからなぁ。カタギリが主導するお台場の再開発計画に反発があったのかもしれんよ」

「爺さんも1枚、噛んでいたのか?」

「まさか。ワシは壊れものの修理を依頼されていただけじゃ」


「そっちの方面でも裏切り者だった。粒子兵装の話をしても知らんぷりしやがって」

「お前さんが余計なことに首を突っ込まないように配慮した。アレの話をしたからてっきり不浄の薔薇ダーティローズ絡みだと勘違いして口を閉じたんじゃ。それだけは信じてもらいたいのう」

「半端に当たってたんだよな。それであの女のアジトから火事場泥棒したんだろ?」


「人聞きが悪いぞい。報酬を貰い損ねていたから現品でいただいたまでのことじゃ」

「やっぱ泥棒じゃねぇか」

「うるさいわい」


 モモの不安そうな顔を見てしまうと、責める気も失せる。それを狙って連れてきているからタチが悪い。

 70年も生きていると知恵が回るようになるもんだ。

 俺はこんな風に歳をとりたくないけどな。


「それでも事が終わった後でもちゃんとお前さんに白状したワシは正直者だと思わんか?」

「1ミリも思わないな。けど、アンドロイドのチューニングであんたが凄腕なのは納得できたよ。まさか『White』ホワイトの製造チームにいたなんて」

「あのチームで天才はひとりだけだった。ワシはたまたまその場にいた凡才に過ぎん」


「世間話しているほど暇じゃないんだよ、俺。さっさと再就職先を見つけないと餓死しちまう。それとも爺さんのトコで雇ってくれるのか?」

「年金暮らしの年寄りが趣味でやってる店にそんな余裕があると思うのか?」

「こっちから願い下げだ」


 モモほどのカスタム品なら相当な金額で売れるだろうが、そんなことはクチに出さなかった。

 前の俺なら軽口を叩いていたと思う。もう違っていた。

 もしも爺さんがモモを手放したとしたら、それはもう死んだも同然になる。


「金に困っているならヒバナちゃんを頼ればえぇじゃろうに」

「これ以上、迷惑かけられるわけないだろ。あいつ、俺のとばっちりで何度も殺されかけたんだぞ」

「それを命懸けで助けたのもお前さんじゃろうに」


「たまたまだよ。俺の被害は軽微で右手が吹っ飛ばされただけだ。たんまり稼いで再生治療してやるんだ」

「わかった、わかったよ石頭め。用件だけ伝えてやるわい」


 あからさまに大きな溜息をついて、爺さんはアロハシャツの胸ポケットから何か取り出す。

 クシャクシャの造花だった。白い花弁と緑色の葉は潰れているが多分、百合だろう。

 どこかで見た記憶があるけど……


「これは反則技じゃな。いや、救済措置かのう」

「どういう意味だ?」

「プリインストールもしないまま『White』ホワイトを育てちまったんだ。最後までちゃんと面倒を見るのがお前さんの役目だぞい」


 紙コップを置いて造花を受け取る。プラスチックペーパーに染み込ませた香りが鼻をくすぐった。

 そうだ、これは……リリィが入っていたトランクの中にあった花だ!


「爺さん、あんたどうしてこれを……」

に行け。ワシらはそこの主人と約束をした。あの子が自分のルーツを辿っているのだとしたら、必ずそこにいる」

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