第37話 自爆は男の憧れだよな?
ボロボロになった白衣を脱いで、丸めてヒバナにトスする。
シャツの1番上のボタンを外して首を左右に1度ずつ振った。
ゴキゴキっと鈍い音が耳の裏に響く。相当に凝っているなこりゃ……
呆れ顔のヒバナは「あんた状況わかってんの?」と呟く。
奥歯が震えるが辛うじて音は出していない。
ぶっちゃけ、高速道路を走るクルマから飛び降りるよりも怖い。
黒薔薇の殺し屋はひどい傷を負っていたが眼光は鋭く、失笑を押し込めていた。
あぁ、生物的なプレッシャーはちゃんと感じるんだ俺。
ライオンの前に放り出されたらこんな気分だろう。
革靴でステップを踏み、短く息を吐いてワン・ツーからのコンビネーションを披露してやる。
いやもう全部が全部、見様見真似の付け焼き刃だが勘弁してほしい。
ちょっとでも威嚇しておきたかった。
「喧嘩なら結構強いぞ。やめるなら今のうちだ」
【スポーツをやっていた体付きではありませんね】
「根っからの引き籠り体質だものね」
くそっ、余計な茶々を入れるな!
お前だって状況わかってないだろ!
押せば倒れそうなほど疲弊しているが、それはこちらも同じだ。
ヒバナはどうにか立っているが怪我が治りきっていない。車椅子は吹っ飛ばされて粉微塵となった。
それでも気丈に敵を睨んでいる。
【ほんの僅かでもミサイルの発射が早ければ仕留められたのですけど、よく気付きましたね】
「お前の使っていた
【コントロールを奪うのに手間取りました。やはり打ち合わせは重要ですね】
「サクラギと仲間割れしたのかよ」
【名前までは知らされていませんが髑髏のマスクのことですよね。行き違いがあったのは認めます。彼はビックサイトに踏み込んだあなたたちを爆殺するつもりだったのでしょう。高みの見物を決め込む素人らしい考えです。現実的じゃない】
「性格悪いからな、あいつ」
危ない、危ない。
着弾点観測をしてきた黒薔薇の女に気付けてよかった。
サクラギの詰めの甘さが露呈すると同時に、こいつの危なさが身に染みる。
「そういや俺を殺したらリリィの特別な状態が解除されるんじゃないか?」
【ここまで追い込まれると致し方ありません。駆体が手に入るだけでもよしとしましょう】
「そこは拘れよ。」
【さて。チョーカーから手を離すと会話ができなくなります。今のうちに遺言なら承りますよ?】
「優しいこった。じゃあ命乞いさせてくれ。リリィはお前にやるから、殺さないでほしい」
【棒読みですね。捻くれたヒトだ】
「俺はとっくに終わってるんだ。けどこいつが死ぬのを許してくれない」
「私が飼い主なんだから当然でしょ」
【仲良しですね。安心してください。カタギリ・ヒバナも一緒に地獄へ堕として差し上げます】
「モタモタしてるとこっちの増援が着くぞ。まさかあんな短時間で全滅させてきたわけじゃないだろ」
【ご忠告、痛み入ります。お察しの通りですね】
「それじゃ、おっ始めようか」
腹は括った。ズボンのポケットからピルケースを取り出し、残った中身を手のひらですくって一気に口へ放り込む。
1発分くらいなら痛みに耐えられるかもしれないし、もしかしたら千鳥足で敵の懐に潜り込めるかもしれない。
今くらいは楽観的な男になっておく。
嫌になるくらい酩酊感はやってこない。
仕方なく運動不足の脚がアスファルトを蹴る。
靴底からのキックバックですぐにふくらはぎが痙攣しそうになった。
敵は右腕が使えないし、右目を怪我して閉じている。
考えなしよりマシだったので
パッと見で飛び道具は持っていない。
しかし生身の人間が強化外骨格スーツに掴まれたら、大腿骨でも簡単にへし折られる。
近づき過ぎると悲惨な方法で死ぬ。
なので右からさらに奥へ向かって走った。
人体を拡張しているフレームが時計回りに動く。
このままマラソンをしてもいいが、500メートルを過ぎたあたりで俺はギブアップしてしまうだろう。
死にかけの殺し屋と、腰を打ったオッサンのどちらが速いか勝負する気はない。
急ブレーキから転身しておっかない黒薔薇の女へ向き直る。
これまで見た中で1番、動きが鈍い。
けれど左腕を振りかぶっている。リーチは生身の時よりも、延長されたアームの分だけ伸びている筈だ。
勘に任せて右に転がると50センチ横を機械の拳が抉っていく。
金髪の女は忌々しそうに顔を歪めている。
なんて痛快なんだ! 引き籠りにパンチを避けられた殺し屋の顔ってのは!
相手は体勢を大きく崩している。
残念なことに俺にはまともな攻撃手段が無い。
唯一、護身用に用意しておいたスタンガンは白衣ごとヒバナに渡しちまったからな。
千葉に引っ越してから念のためずっと持っていたが役立たずのままホルスターに収まっていた。
さっき白衣を脱いだとき、留め具ごとそっと外して一緒に丸めておいた。
不自然な重さにあいつなら絶対気付く。
掛け声も合図も要らない。
ちょうど敵を挟む位置で俺とヒバナは立っている。
真後ろに目は付いていないし、ダメージもあるのだ。
いくら生身でボーラを避けるとはいえ、この局面じゃ手はあるまい。
ヒバナは白衣の下から出したスタンガンを両手で構え、トリガーを引く。
飛び出たワイヤーは強化外骨格スーツに突き刺さって紫電が走る。
「やった!」
狙い通り……ではなかった!
思わず声をあげたが次の瞬間には寒気が走る。
凄まじい形相のまま
100万ボルトで絡めとる前に逃げられた。
前傾姿勢のまま左手を金髪の中に突っ込み、中から拳銃を取り出す。
安っぽい鉄塊に穿たれた穴が俺を捉える。
どうする?
どうするもこうするもない?
走ったまま狙えるものか!
結局、間抜けな追いかけっこになる。
ならば時間を稼げば増援が来るかもしれない俺たちの方が有利だ。
そんな甘い考えでいたら殺し屋の脚力を思い知らされる。
弧を描く蹴りが俺の側頭部を捉えてサッカーボールみたいに吹っ飛ばす。
意識が完全に途切れ、気付けば東京の汚い空を見上げていた。
さっき飲み込んだミントのタブレットが胃液ごと吐き出す。
手で触れると髪の毛にベッタリと血が付いていた。
すぐに脳の精密検査を受けたい。1日のうちに何度も地面へ打ち付けたからバカになっている。
あと俺にやれることが残っているのか?
体は動かないし、考えもまとまらない。
追い詰められた後の粘り強さは感嘆する。
たいしたもんだよ、どこからそんな執念が湧いてくるのか。
腕が折れて目も潰されて、なんで戦えるんだ。
「ナツキ君!」
その名前で呼ぶなって。
あれ? 声が出ない?
痛い。もう痛みで全身が塗り潰されてしまった。
片膝をついた金髪の女がすぐ側で笑っている。
俺が殺されたら次はヒバナだ。一緒に地獄に堕とすと宣言したのだから実行するだろう。
それはダメだ。させるわけにはいかない。
自分の意思を飛び越えて体だけが動く。右手を開いて
そこからは自分のイメージ通りに事が運ぶ。
神様がくれた奇跡に違いない。お前はもっと苦しめ、とそう仰っている。
「うわああああぁぁあッっ!!」
みっともなく喚くとトリガーが引かれた。回転する弾丸がうろ穴から飛び出し、空気を割いて身を捩る。
そのまま直進すれば俺の頭のどこかに当たっただろう。
しかし、そうはならなかった。
俺は右手首を差し出して銃弾を遮る。
半ばアクセサリーと化していた手錠にその先端が食い込む。
全ての光景がスローモーションとして脳に刻まれていくのは興味深い。
手錠は甲高い金属音を鳴らし、弾丸はどこかへ逸れた。もしかしたら体のどこかに当たったかもしれない。
けれど痛みはなかった。そんなものと比較にならない衝撃が走ったから、ノーカウントになったのである。
墳墓から外に出るとき、俺は爆弾を仕込んだ手錠をしなければならない。信用のない外様の科学者なんてそんなものさ。
これはカタギリファウンデーションとの契約の一部だ。逃げたら爆死する。
ヒバナは最初から使うつもりはなかったが、俺のことが大嫌いな幹部連中を承諾させるためのパフォーマンスとして今も同じ形態が続けている。
こいつは無理矢理外そうとすれば爆発するのだ。
例えば、銃弾を当てて引き千切ろうとしたり……な。
最低限の防御はできたと思う。俺は目を瞑り、顔を背けた上で左腕をガードに使った。
爆圧ってのは恐ろしいものさ。指が飛んでその破片が体に刺さったり、音よりも速い衝撃で内蔵をズタズタにしたりするんだぜ?
でもまぁ、そういうテロ目的の爆弾じゃない。これは俺の手首を吹っ飛ばして失血死されるためのものだ。
超至近距離で発生した手錠の爆発は
想像なんてちっぽけな領域にはない痛痒が俺の意識を奪った。
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