第35話 悔恨と呼ぶには烏滸がましいと思いました
失敗したとき、振り返って分析する必要があります。
ナツメ博士はわたしにそう教えてくれました。
けれどそれは生きていればという前提が抜けていることに気付きました。
わたしは生きているのか、それとも生きていないのか、自分では分類できません。
生命の定義に則れば生物ではありませんが、魂の定義に則れば生物になれるかもしれないのです。
できれば。偉大なる存在や大いなる存在が赦してくれるなら……わたしは生きていたいと願います。
そうすればナツメ博士やヒバナさんの側にいられるからです。
もしかしたら本当に2人の娘になれるかもしれません。
あの家で過ごした短い時間は幸福でした。
だから
最初は自分の
わたしはそのために生まれてきたらしいからです。
しかし、戦いはわたしに失敗の記憶ばかり植え付けてきました。
あのとき……わたしにいじわるをしたあの子が、死んだ母親の側で泣いた時……わたしはあの場所で戦ったことを心から悔やみました。
わたしはあの子の心の中へ想像を巡らせました。
例えば、もしも自分の前でナツメ博士が死んでしまったら。
その原因が目の前にいたら。
謝っても赦してはもらえないでしょう。
わたしがあの子だったなら、わたしを殺しています。
怒りと悲しみは計り知れません。
ですが感情は個々の人格が持つものであって、決して自分は他人になれないのです。
自身への問答でそれに気付いた時には敵に捕まっていました。
がむしゃらに追いかけたせいでエネルギーが尽きてしまったのです。
情けなくて悔しくて消えてしまいたいと思いました。
けれど意識は現実に引き戻され、目蓋の向こうに光が差しています。
わたしはゆっくりと顔をあげました。手足は消えてしまったかのように動いてくれません。
「強制スリープは解除したぞ、5号機」
広い空間でした。床も壁も灰色で天井には何本もの鉄骨が橋渡しされています。
ここを掃除するアンドロイドはいないのでしょうか?
埃が溜まっていました。
それにこの人は誰でしょうか?
不思議な服装で、顔はマスクで覆われています。よく目にする死のモチーフ……人間の頭蓋骨をデザインしたもののようです。
わたしはというと服が熱で溶けて、裸の状態でした。
身体中にワイヤーが巻きついていています。
背後には駐車場で戦った巨人のような機械式のスーツが膝をついて、マリオネットのようにわたしを吊るしていました。
「あなたは誰ですか?」
ちゃんと声は出ます。しかし体は動きません。
神経が焼き付き、訴えてきます。
この人からは決定的な敵性意志が感じられました。マスク越しの視線は恐ろしく冷たいものです。
「僕たちは誰でもない」
「ナツメ博士はどこでしょう?」
「あぁ、アレか。今頃はここに向かっているだろう。なぁ、喜べ5号機。お前は愛されている」
男の人の声です。
マスクのせいでくぐもっていました。
けれどハッキリとしていて聞き取り易い声です。
「わたしが?」
「そうだ。アレはお前を取り戻すためにここへ来る」
「あなたはナツメ博士をどうするつもりなのですか?」
髑髏のマスクをした人は小さく頭を振り、考え込むような仕草で手を組みます。
本当に何かを迷っているとは思えませんでした。
わたしの反応を伺っているのは明らかです。
「アレとは古い知り合いでなぁ。大人の話し合いがしたいから来てもらうんだよ」
「大人はこんな場所で話し合いをしないと思います」
「国際展示場跡じゃ不満か? まぁ、カタギリファウンデーションによるウォーターフロント再開発が始まればもっとマシにはなる。それまで我慢だ」
「敵性意志を感じます。誰よりも強いです」
「折角の高性能なセンサを感覚レベルまで落とすことはないだろう。敵だとか意志だとか曖昧じゃないか。なぁ、5号機」
「わたしの名前はリリィです」
「その名前はアレが付けたのか?」
「アレではありません。ナツメ博士からいただきました」
「傑作だ。傑作だなぁ、
身を捩って髑髏は笑います。裾の長い服が地面に擦れて埃がついても気にしないようです。
わたしが読んだ物語にもこういう悪役がよく出てきます。
彼らは主人公に倒される運命にあるのです。だから脇役のわたしは黙っておくことにしました。
「アレの子供の名前を知っているか? そうだな。親権を持っていかれて別れた娘のことだ」
「ナツメ博士にお子さんがいたことは知っています」
「百合子という名前だった。
「わたしは自分の名前が気に入っています」
「健気に振る舞って代替品から昇格するんだな。僕たちはこれで失礼する。メッセージはお前の中に残しておいた。あとは勝手にやってくれ」
「待ってください。あなたはナツメ博士とどんな関係があるのですか? どうしてこんなことをするのですか?」
背を向けた髑髏はピタリと動きを止め、また考えるような仕草をしてからわたしを振り返ります。
途端に早足になって近づいてきた彼はわたしの顎を持ち上げ、マスクに覆われた顔を近づけてきました。
吐き出される息が荒く乱れています。
「あの愚図のせいで俺の人生は台無しになったんだ。最悪の投資だったよ。あんな研究、失敗すると分かっていれば協力なんてしなかった」
「……アンドロイドの蘇生の研究」
「おやおや、ご存知だったか。じゃあ俺が誰なのかも分かるんじゃないのか?」
「あなたは、ナツメ博士を裏切った人ですね」
「逆だ。裏切ったのはアレの方さ。なぁ、5号機。『できる』といったものが完成しなかった時の絶望感を理解できるか? 俺はアレのペテンに引っ掛かって人生を棒に振ってしまった。アレの悪行を会社に内部告発したが失敗は取り戻せなかったよ。失職したせいで妻も子供も去っていった」
「同質の苦しみを味わった人がいます」
「アレは違う。刑期を終えてシャバに出てくれば薬漬け。金持ちの女社長をたぶらかして悠々自適の生活だ。俺は失点を取り戻そうとアマワの下位組織で懸命に働いた」
「それがわたしたちを攻撃している理由でしょうか?」
「もっと正当なものだよ。ナツメ・ナツキはアマワ社のレガシーを勝手に使って商売を始めた。あの技術が外に出て一人歩きを始めれば、BLACKが枠組みを決めた『アンドロイドの寿命』がおざなりになる。5社は絶対に生き返らない駆体を作るため、膨大な対策費用が必要となる。その金とナツメ・ナツキの命、どちらが高いかというだけの話だ」
「完全な蘇生はできなかったと聞いています」
「それはアレがボンクラだからだ。だがキッカケになり得るブレイクスルーもしている。5社の外でも組織立った研究が進めばいずれはテロメアが解析され、ゾンビが闊歩する世の中になってしまう」
「ゾンビ?」
顎を掴む手が緩むのが分かりました。
マスクの下で口が歪んでいます。
大きな悪意がわたしを呑み込もうとしていました。
「自分の娘には教えていなかったのか。実にアレらしい。なぁ、5号機。蘇生したアンドロイドはどうなっていたと思う?」
「……それは聞いていません」
「いいものを観せてやろう。アマワの下請け企業の役員が
手を離した髑髏がスッと後ろに下がり、宙を撫でるように人差し指を動かすとわたしの前に立体映像が流れました。
暗い中で白い肌が浮かび上がっています。女の人でした。
透けた下着を身に付けていて絶えず苦しそうに埋めています。
一体、何を喋っているのでしょうか?
わたしには聞き取れません。
歩くのもままならないようでフラフラし、表情は悍しく、正気でない様子です。
さらに再生が進むと、男の人が現れました。
こちらも殆ど裸に近い格好です。
その人は金属の棒を握り締めていて……
「あ……」
見たくないのに目を見開いてしまいます。すぐにでも視界の信号が途絶してしまいそうでした。
男は、フラつく女性を金属棒で殴り始めます。手加減などありません。ですが女性は悲鳴ひとつあげず呻くだけです。
やがて女性の肌が裂けて中に機械の部品が見えます。彼女はアンドロイドでした。
殴打は止まず、女性は顔が変形していきます。
わたしの唇は震えていました。暴力という言葉は知っていますし、わたしも敵に対して暴力を振るいます。
それなのにこの映像へ底知れない嫌悪感を覚えました。
ピクリとも動かなくなった女性はその後、男に犯されました。
髑髏は首を傾けて笑っています。
映像が途切れた時、わたしの頭の中は真っ白になっていました。
本で読んだ世界とはまるで違います。
わたしが体験した世界とはまるで違います。
ぽっかりと穿たれた穴を覗き込んで落ちてしまった気分です。
「ポルノムービーは初めてか? 無垢というのは困りものだな。フリーズしてしまうとは」
「……」
「なぁ、5号機。ショッキングなデザートもお見舞いしてやる。プリンのように甘くて苦く柔らかい真実だぞ? あの女のアンドロイドを用意したのはナツメ・ナツキだ」
「……嘘です」
「アレのプログラムじゃ完全な蘇生はできない。だから廃棄予定のアンドロイドを使って、特殊プレイを望む
「嘘です。あなたはわたしを騙そうとしています」
「俺なりの情報網で追ったよ。ナツメ・ナツキの元に着く前に、お前は『祈りの家』という施設にいた。驚け。神に仕えるシスターだったんだぞ? だがそこの連中は学がなくて
黙ってください。もう聞きたくありません。
わたしはナツメ博士のもとで始まったのです。
それを否定されたくない!
「処分先で、お前は勝手に売られた。そしてナツメ・ナツキの元に送られたんだ。さっきの映像で殴られて犯されたアンドロイドは、もしかしたらお前だったかも知れない」
「ナツメ博士はそんなことしません」
「運が良かった。なぁ、5号機。最低愛悪の科学者のもとにいて未だに分解されていない。素晴らしいことじゃないか。後は本人が来たら聞いてみるといい。俺からのメッセージもお前の中に入れておいた。伝えてやってくれ」
一体、これ以上のことをわたしが言えたのでしょうか?
髑髏の背を睨みつけるしかできないわたしが。
胸の内側に深く食い込んだトゲが心を真っ二つに割ってしまいそうです。
あんなのは嘘に決まっています。
ナツメ博士はわたしに優しくしてくれました。
だからあれは嘘なんです。
もし。
そうでないならわたしは。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます