第31話 泣くのはやめて前を向かないか?

 アンカーに絡め取られたリリィが拐われていく。

 強化外骨格スーツを吊り下げたバーティカルジェットが高度を上げ、一瞬で外装をパージした不浄の薔薇ダーティローズがこちらの建物に向かって走ってきた。

 完全にしてやられている。


 突撃アサルトタイプを選んだのは機動力を保つため。

 駐車場を選んだのは逃げ回るだけのスペースを確保するため。


 リリィに触れられれば潜水艦の圧力隔壁だって歪む。

 それを知っていて最初から時間切れを狙っていた。

 推進力で一定の距離を保ち、決して近づかせないようにワイヤーとアンカーを絡めた牽制攻撃を続けていたのである。


 仮に俺が飛び出していったところで、あんな武装相手じゃ一発で殺されたに違いない。

 背面には小型のミサイルポッドも確認できたし、適当に狙うだけで用は済んだと思う。

 というか、ヒバナに強く止められていた。「ここで出ていっても的になるだけだし、リリィちゃんの足を引っ張る」と。


「ねぇ、エルの管理者権限を持っているのってアンタだけ?」

「いきなりなんだよ、今それどころじゃないだろ」

「ローカルモードのエルにアクセスがあったわ。『ナツメ博士の居場所』をリクエストされて、それに答えてしまったみたい」


「は? いやいや、何言ってんだ? リリィにはゲスト権限与えてたけど、管理者権限は俺以外に持ってない。つーか、どうしてお前がそんなこと察知してるんだよ」

「道理で。あの女がこっちに向かって一直線に走ってくるわけね」

「ちゃんと説明しろ。ただでさえ頭がいっぱいなんだよ!」


 ここからバーティカルジェットを撃ち落とす方法は無い。仮にあったとしても、実行したらリリィが無事では済まなかった。

 ならば敵の身柄を押さえて人質交換に持ち込むか?


 おおよそ現実的でない案ばかりが浮かび、自分でも激しい苛立ちを抱えているのが分かる。

 なのにヒバナは変わらず涼しくて真っ赤な瞳をしていた。


 実はジャケットの下に護身用のスタンガンを隠し持っている。

 射程距離はせいぜい10メートル程度、グリップを握ってトリガーを引けばワイヤー付きの弾丸が飛び出す。

 相手は100万ボルトの制裁を受け、心からの反省を求められる。


 だが俺の反射神経で黒薔薇の女に当たるだろうか?

 あいつは「スーツがなければ無力」などとうそぶいていた。

 それを信じるつもりはない。


「端末を捨てて。ネットワークを遮断されてから気付くなんて我ながら情けないわ。内通者はエルだった。とっくにハッキングされていたみたい」

「いいから早く! 下がるわよ!」


 完全に気圧された俺はポケットからペン型の端末を取り出し、放り投げてしまう。

 宙を待ってクルクル回るのがスローモーションに見えた。

 AIに裏切られていたという事実を呑み込むことができない。


 車椅子のヒバナは俺の手を引き、駐車場へ続く入り口から遠ざかっていく。

 既にフロアには野次馬しか残っていない。きっと生命の危機に無頓着な人種だ。

 揃いも揃って外を気にしていて逃げようとしない。


 その中を搔き分け、フードコートを抜け、吹き抜けで足を止めた。

 天井からは能天気な光が差し込んでいる。花壇に囲われてかなりの広さがあり、ベンチがいくつも並んでいた。買い物客の休憩所代わりなのだろう。


 俺が振り返ると同時にガラスの割れる派手な音が響いた。

 あの女、自動ドアが開くのも待てなかったらしい。


「私の後ろに隠れて」

「相手は殺し屋だぞ!?」

「たまには飼い主の言うことを聞きなさいよ!」


 モーゼの如く、人混みが割れる。

 その間から体重を前にかけた姿勢で疾駆する不浄の薔薇ダーティローズが現れた。

 強化外骨格の下に着るボディライン丸出しの白スーツで、やはり胸元には薔薇を模した黒い図形が描かれている。


 両腕を曲げて金髪の中を弄ると、小さな拳銃が2丁出てきた。

 その辺のホームセンターでも売っていそうな安物である。

 だが至近距離で喰らえばロクでもない結果が待っているだろう。


 対するヒバナは車椅子の角度を微調整していた。左右のホイールが真逆に動き、敵を正面に捉えている。


 次の瞬間、肘置きの真下あたりから黒い影が射出された。

 細い線の両端を丸い球体で繋いだ形の物体……狩猟道具のボーラだった。

 非殺傷兵器として珍しくないが車椅子にそんなものを内蔵していたらしい。


 ひどく客観的で他人事のようだが、俺はリリィのことで頭がいっぱいだった。視界に入る情報を分析もせず受けれてしまう。


 胸の下あたり目掛けて飛来するボーラを不浄の薔薇ダーティローズは不自然なほど姿勢を低くしてかわす。

 そこへ第二射が投じられると、今度はジャンプして回避してみせた。


 忌まわしそうなヒバナの舌打ち。

 嘲るように敵は銃口を向けてくる。

 空中に飛んだまま命中させるつもりだ。


 今度は車椅子から高周波のような音が聞こえた。

 圧縮された空気が弾け、敵を拳銃ごと吹っ飛ばす。

 自分を中心に衝撃波を飛ばす武器……そんなものまで搭載しているとは!


 巻き添えで広場のベンチがファンシーグッズの店や靴屋へ飛び込み、吹き抜けから更なる野次馬たちが顔を出す。

 どうしてさっさと逃げないのか俺には理解できなかった。


【お会いするのは2回目ですが、噂に違わぬ美貌ですね。カタギリ・ヒバナさん】


 2階に着地した不浄の薔薇ダーティローズの右腕が不自然な方向に曲がっている。

 左手でチョーカーを押さえて人工声帯を震わせ、ノイズ混じりに【そして厄介な人です】と吐き捨てた。

 埃と汗が混ざって、表情には余裕が無い。


「うるさい。私の飼い犬に手を出すな女狐。その金色の尻尾を毟ってファーにするわよ」

【あのとき心臓に2発、撃ち込んだ筈です。まだ2週間しか経っていませんが、随分と元気なご様子ですね】

「伊達に美容整形にお金をかけてきたわけじゃないわ」


【なるほど。胸腔に防弾皮脂でも仕込んでいましたか】

「言いがかりはやめなさい。この胸は100%天然だから」

【見ているだけで肩が凝りそうです】


 ボーラは当たらない。

 衝撃波は当たるが警戒してくるだろう。

 自分が下手に動くと危険が増すのは目に見えている。


 けれど。

 なんで俺は指を咥えて見ているだけなんだ?

 それがベストだとしても、情けなくて頭痛がする。


 こうしているうちにリリィは遠くへ行ってしまっているのに!


「あんた、雇い主から幾らもらってるの? その倍額を出すからカタギリファウンデーションに寝返らない?」

【実に魅惑的なお誘いです。しかし、雇い主は保険をかけてきました】

「リリィちゃんの駆体を欲しがっているんだっけ。こいつを殺さないと引き換えてくれないのかしら」


【ご明察。あのアンドロイドには、お金には替えられない価値があります】

「右腕が折れてるみたいだけど続ける?」

【えぇ、勿論。手足を千切られてもやめるつもりはありません】


 一旦、敵は姿を引っ込める。

 その直後に吹き抜けの2階からベンチシートが投げ込まれた。 

 あんなものに直撃された骨を砕かれる。


 ヒバナは同じように衝撃波を発生させてバリアの代わりにするが、今度はスチールの商品棚が投げ込まれてきた。

 高さは先ほどより1フロア上……黒薔薇の女はいつの間にか3階まで上がったらしい。

 一見するとくだらない攻撃だが、生身で受けきるには十分すぎる威力だ。


「逃げるわよ」


 再び俺の手を引き、ヒバナは後退していく。

 吹き抜けの下にいなければあんなものは問題にならない。

 しかし、それは敵の狙いでもある。


 最後はベンチでも棚でもなく不浄の薔薇ダーティローズ自身が降ってきた。

 信じ難いがボーラの弾速では足りない。

 かといって吹き抜けと違って天井が近いので衝撃波を使うと俺たちも被害を受ける。


 ヒバナがわざわざ入り口から下がった理由がようやく分かった。

 車椅子に搭載された武器のうち、最も有効な衝撃波を当てるためだった。


 テナントとテナントの間を縫うように間合いを詰めてくる相手に対し、ヒバナの顔が歪んでいく。

 完全な接近戦になったときに切れるカードが無いのかもしれない。

 いや……その手の武器はヒバナ自身が持っている筈なのだが。


「近づかれたら手が無い」

「なんとなくそうだろうと思ったよ」

「先に言っておくわ。軽蔑しても構わないからハンカチ用意しておいて」


「……やるのか」

「最大強度でね」

「ほら、ハンカチ」


 本当に最悪だ。

 その最悪を少しでも和らげようとして、俺は肘置きの上にあるヒバナの手に触れる。

 ヤクザの女王様は震えていた。



 威厳ある言葉がヒバナの口から紡がれる。

 電子光彩の赤い瞳が鈍く輝く。

 それまで状況すら理解せず呆けていた野次馬のうち、が急激に目をギラつかせた。


 誘惑術テンプテーションは瞬時に男たちの自我を奪い、殺意だけの下僕へと作り替える。

 ざっと30人以上の暴力だ。マシンガンでも持っていなければ対処できまい。


 不浄の薔薇ダーティローズにはっきりと焦りの色が浮かび、群がる連中を回避しようと方向を変える。


 カタギリ・ヒバナはその様子を、血の涙を流して眺めていた。

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