第30話 彼岸の乙女の名のもとに
MCMAXCIXシリーズは全部で5体製造された。
アンドロイド独占メーカー5社から抜け出した科学者たちが、あらゆる法的な束縛を無視して設計した最高傑作である。
スポンサーとなったのは中東のオイルマネーで、BLACKを有するアメリカ・フランス・日本・中国・ドイツに対抗したいという思惑があった。
知性機械は人間を傷つけられないように厳重なプロテクトがかけられているが、MCMAXCIXシリーズにはそれがない。
東京戦争で勝手な爆撃をした
その伝説やレアリティの高さからコレクター垂涎の品となっていた。
あたしの
半身を失ってなおも稼働して修理を待っているのだ。
そして末妹の5号機が今、目の前にいる。
似合わぬセーラー服を着せられ、大きな目でこちらを睨んでいた。
あたしの着地の衝撃で近くに駐車してあったクルマがひっくり返り、アスファルトはひび割れて陥没する。
ただアンドロイドを殺すだけならこんなもの絶対に要らない。それこそ戦車を相手にする時にしか使い道がない。
ツタのように絡み合ったフレームオーバー式の補助アームはトラックでも軽々と持ち上げられるし、推進剤を爆発させる延長脚部はホバーリングによる高機動を実現する。
MCMAXCIXシリーズを相手にするのでもなければ。
「アーアーアー アアア アアアアア」
あたしは地声で歌う。
気分が良かったからだ。
人工声帯を通さなければ言葉を発することができない。
けれどハミングはできる。
チョーカーに仕組まれた人工声帯にタッチできず、これから戦う相手との会話ができない。
実に惜しい。
だから絶唱する。
「ア ア ア ア」
バッハの小フーガ『ト短調』だ。
あたしの
世界一希少価値の高いアンドロイドは自然体から腰を落として構えを見せる。
亜麻色の髪がなびくと首筋のコネクタからは金色の粒子が溢れきた。
粒のひとつひとつは線で繋がり、マフラーのように彼女の首の周りを覆う。
放出された粒子は物質を透過し、任意の応力をかけて湾曲させる。
驚くべきは指向性の高さで
つまり、爆発を伴わずコンクリートの壁に穴を開けたり、原動機のシャフトだけを折って機能不全にしたりできる。
エネルギーのポテンシャルが上がりすぎると空中での制御経路が『光の帯』となって可視化されてしまう点はネックだろう。
もうひとつの弱点は、
何を考えたのか彼は件の装置をアンドロイドに搭載し、メンタルとシステムのアンロックを紐づけてしまった。
そいつは研究成果全てをこの世から消して戦争で爆弾の降り注ぐ故郷に……東京に帰って死んだ。
芸術家として見るなら上等の最期といえよう。
「
いい。最高のレアリティだ。
この世に存在するのは2号機と5号機だけ。
完全に稼働しているのはこの子のみ。
あたしの名を呼ぶ殺気だった声音すら、至上の調べである。
下肢が疼いて仕方ない。
笑っていないと腰が砕けてしまいそうだ。
惜しむらくは、冴えないナツメ・ナツキとかいう男が
悔やんでも悔やみきれない。
あいつはアンロックされた
もしも彼女がナツメ・ナツキの死を認識してしまったら、装置が初期化される可能性がある。
それはコレクターとして避けたい。あたしが再びアンロックできる保証はないのだ。
喜びと殺意の中であたしは推進剤を吹かして距離を取る。
スーツの肩口の発射口から感電式ワイヤーを打ち出し、蛇の如くしならせて
しかし、
編み込んだ内側に透過する力をかけられている。
知ってはいても直にお目にかかると感動的ですらあった!
欲しい。絶対に!
あたしの2号機を直すため!
興奮を抑え、次は脚部のアンカーを射出して近くのクルマを引っ掛ける。
フックが固定されたのを確認し、ハンマーのように振り抜いた。
重量は軽く1トン超。勢いのついた軽量金属の塊をぶつけられたら樹脂骨格なんて簡単に折れる。
しかし、光の帯に当たった瞬間にクルマは丸めたティッシュのように内側へと圧壊していった!
耳障りな音と、周囲にいたギャラリーたちが逃げ惑う声が重なる。
呑気に端末カメラで撮影していた主婦らしき女が、吹っ飛んだアスファルトの破片の直撃を受けて動かなくなった。
『緊急放送! 南側駐車場にてテロが発生! 南側駐車場にてテロが発生!』
商業施設の放送により混乱は頂点に達し、自家用車が出口目指して逃げ出していく。
実に愉快だった。背面に積んだマイクロミサイルを撃ち込んでやろうかと考えてしまう。
しかし、MCMAXCIXシリーズ相手に無駄弾なんて使っていられない。
破壊せずに回収するのがベストだが、シチュエーションによっては壊してでも止める必要がある。
そのための布石は打ちつつある。
あたしがわざと焦った表情を作ると、
残忍に笑っている。こちらを嘲っている。
それでいい。
推進剤も十分に残っているし、あとはペース配分の問題だ。
エクスタシーを感じて絶頂してしまわない限り計画通りにフィニッシュできる。
反撃と回避のバランスを保ちつつ、距離は詰めさせない。
フレームオーバー式の補助アームでクルマを掴んでは投げていく。
まるで子供の喧嘩だ。
だが接近だけは絶対に許してはいけない。どんなに強靭な装甲があっても油断ならない。
あたしは戦闘開始から頭の中でずっと時間経過をカウントしている。
そう、歌によって。
その限界が近くなっている。
そのうち5号機の駆体の周囲は光の帯だけでなく心綺楼も見えてきた。
次第にプリントされたセーラー服の繊維は熱で溶け、異臭を放ち始めていた。
再起動後に、ちゃんとした戦闘技術をインストールしなかったのは致命傷だ。どう考えても我流で体を動かし、腕力だけで喧嘩している。
あのナツメ・ナツキとかいう科学者はそういった戦いのノウハウを持っていなかったのだろう。
「お母さん!?」
不意に甲高い叫びが聞こえる。
戦闘に集中していたせいか、接近する者がいるなんて気付かなかった。
先ほど撮影しようとして巻き添えを喰らった主婦の側に、茶髪の女の子が駆け寄っている。
どうやら母親らしいが既に事切れているのだ。
いくら泣いても無駄。いや、鬱陶しいだけ。
もしかして知り合いだった?
あたしとしてはどちらでもいい。
力を出させてオーバーヒートするまで時間稼ぎできれば構わないのだ。
ナツメ・ナツキとカタギリ・ヒバナは身を隠すため、敢えて周到な防御を捨てている。
ここで護衛のアンドロイドさえ無力化してしまえば抹殺依頼の遂行は容易い。
嫌味ったらしい髑髏マスクの男もこれで黙るだろう。
「お母さん、しっかりして! 起きて!」
半狂乱で死体の体を揺すっている。それが視界の端に入るから鬱陶しくてたまらない。
最高のダンスを邪魔された気分だ。
あたしは残っていたワイヤーの1本を、その少女目掛けて射出する。
人間相手ならば簡単に貫通し、電流を流すことができた。
けれど悲鳴はやまない。
間に割って入った
やはり少女とは知り合いのようだ。
人質に取れれば有利に傾くだろう。
さらに母娘を狙ってワイヤーとアンカーを撃ち出す。
健気にその場を動かず、5号機の駆体は絡めとられた。
光の帯はタイムリミットを迎えて一気に輝きを失い、同時に意識も途絶したらしい。
ほぼ無傷で捕獲した!
ネットワーク封鎖で通信ができないから、あたしは代わりにグリーンの信号弾を打ち出した。
護衛のアンドロイドを無力化したという合図をバーティカルジェットに送ったのである。
すぐさま強化外骨格スーツをリジェクトし、生身になったあたしは商業施設の建物の中へ走る。
脱ぎ捨てたスーツにはバーティカルジェット側からアンカーが撃ち込まれ、引き上げられていく。
喚いていた茶髪の少女は真っ青になってそれを見上げているが、ここまできたら放置だ。
すっかり細くなった指をチョーカーに当てて人工声帯で話しかける。勿論、ローカルモードだ。
【エル、ナツメ博士の位置を教えてください】
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