第29話 まんじゅう怖いってホントか?

 キャッシュレス端末の決済履歴から居場所が割れてしまう可能性があったため、jungleの通販が使えない。他のサイトに関しても同様だ。

 マイナンバーと紐付けされたアカウントがなければ買物もできない。反社会勢力への取り締まりを強めた結果、国民が持つべき利便性すら奪っている。


 それとは関係なくヒバナは自分で料理を作りたがる。


 多分、リリィは「お父さん、コロッケを美味しいって言ってました」と報告してしまったのだろう。

 幸いなことに油物は続かなかったものの、ここ数日に渡って趣味の料理に更なる気合が入ってしまったのは仕方ない。


 美味いからいいんだけどさぁ……

 完食に対して強いプレッシャーを感じるのでもう少し手加減してほしいものだ。

 これじゃ本物の嫁さんである。


 さて、そんな理由から(偽りの)我が家は自然とジャスコへ足が向く。コミュターではなく自家用車である。

 ヒバナの車椅子が乗り降りしやすいようにスライドドア式のボックスカーが用意された。


 坂口が運転していた高級車には静粛性や内装の面では見劣りするが、特に文句は無い。

 書類上は一般家庭が所有していることになっているのだから、このくらいのランクでちょうどいいかもしれない。


 話を戻そう。


 ジャスコは1度、滅びている。熾烈な企業戦争に巻き込まれて最期はイオンに吸収され、親指を立てたまま溶鉱炉に沈んだ。

 だがフェニックスの如く蘇り、現代日本の小売業を支配するに至る。


 指先に決済用端末を埋め込むのを拒否した旧人類が熱烈に支持しているからだ。今でも日本銀行券を使った買物ができるのはジャスコか、こじんまりとした個人商店だけだろう。

 ちなみに秋葉原のジャンク屋・タカツキ商店ですら現金は使えない。


 ウォレットではなく文字通りの財布を使う機会なんて希少だ。わざわざその体験がしたくてジャスコを選ぶ人間も多いと聞く。

 しかもポイントカードという100年近く前のサービスが今も生きている。


「お母さん、今日の夕飯は何にするのですか?」

「う〜ん、酢豚とかどうかしら」

「すぶた? 豚を酢で煮込むのですか?」


 制服姿のリリィは何回か来ているにも関わらず物珍しそうに食品フロアを見回している。横に並んで進むヒバナは夕食のメニューを組み立てるのに思考のリソースを振っていた。

 俺はというと、金属製のカートにカゴを積んで2人の後を追いかけている。


 今時、モータもバッテリーも積んでいない手押し式だ。

 経費削減なのかノスタルジーを重視したのか、ジャスコの経営陣に質問してやりたい。


「野菜コーナーの面積の半分が落花生だ」

「そりゃ産地だからね」


 来る度に家の冷蔵庫をいっぱいにするほど食品を買っていく。

 おかげで体重が増えてしまった。


 それはまぁ許容するとして、ヒバナは外に出ると嫌というほど目立つ。

 主婦スタイルのコーディネートなのに如何せん中身が派手すぎる。


 横に立つことの多い俺にも少し配慮してくれ。

 民草の視線から「不釣り合いな男」という声にならない言葉がグサグサと刺さってくるのだ。


「ねぇ、今晩は何が食べたい?」

「ん。なんでもいいぞ」

「あんた本当にそういうトコがダメね」


「メシを作ってくれるだけで十分なんだ。リクエストまでしたらバチが当たるかもな」

「もっと根本的なところで遠慮するなら分かるけど、食事くらい構わないわよ」

「じゃあハンバーグ」


 パッと思いつかなかったことも見通されている。

 けれど「はいはい」と頷いて合成肉コーナーへ向かった。

 脳も神経も持たない動物モドキをミンチにしたピンク色の肉が、白いトレイにずらっと並んでいる。


 リリィはいつの間にか姿を消していた。

 途中のお菓子売り場でしゃがみ込んでいるのを見かけたので、特に心配はいらないだろう。


「そうそう。アマワとの交渉が始まったわ」

「ジャスコの食品売り場で話す内容じゃないだろ」

「坂口から連絡があったの。予想通り、向こうは下部組織に責任転嫁しているみたいね」


「責任者にケジメでも付けさせるか」

「昭和のヤクザムービーじゃないのよ?」

「似たようなモンだろ、お前の会社」


 豚足モドキを手に取ってみたがこれはハンバーグの材料にはならない。

 合成肉と骨を組み合わせて緻密に本物を再現したようだが、そんなコストがあるなら形を崩してでも安く売るべきだろう。


 挽肉を選び終えたヒバナは迷う様子なくパン粉と卵とタマネギをカゴに放り込んでくる。

 意外とジャスコは客が入っていて、料理に情熱を傾ける主婦がこんなに多いのかと感心させられた。


 いや、よく見るとお惣菜コーナーに張り付いているので半額品狙いか。

 割引の値札を貼りに来る店員には同情する。猛禽類の中に飛び込む気分だろう。


「蜥蜴のの方はまだ動いているのか?」

「本体であるアマワが止めに入っているわ。少なくとも補給はもう受けられないでしょうね」

「別の組織と手を組むかもしれない」


「あんた、古巣アマワ以外からも恨みを買ってるの?」

「ちょっとおっかない想像でさ。ウィルス・プログラムの使い道をアマワ以外の企業……つまりBLACKのうちB社やK社が思いついちまったら同じことするんじゃないかなって」

「カタギリファウンデーションとアマワですらアリとゾウみたいな差なのよ? 他の5大独占企業が出てきたらお手上げね。それこそ関東陸軍を相手に喧嘩する方がマシだわ」


「もしもそうなったら饅頭まんじゅうにしてくれ」

「どういう意味よ?」

「荒ぶった河を沈めるために俺の首を放り投げてくれってことだよ」


「もしもそうなったらアメリカとフランスと中国とドイツに飛んでBLACKのお偉いさん全員に誘惑術テンプテーションかけてくるわよ」

「海外じゃ役員の半分は女性がやるって決められてるだろ。お前の力は女には効かないし、距離と時間で減衰する」

「半分ということは愚かしい多数決なら勝つ見込みがあるってことよ。定期的に相手と喋れば減衰は最小限に抑えられる」


「やめてくれ。お前がエリート面の金持ち爺と年中話しているトコなんか想像もしたくない。もっと自分のことで時間を使えよ」

「ヤキモチかしら?」

「まさか」


 ハンバーグの食材がカゴに揃う頃にリリィが戻ってきた。

 節目がちに「これを買ってもらってもよいでしょうか?」と玩具のおまけ付きのガムを差し出してくる。

 アンドロイドだから食べ物は喉を通らない。けれどガムなら大丈夫だ。

 買い物の度に強請ねだってくるので、リリィが密かに集めているオマケのコレクションが充実してきている。


「そんなに遠慮しなくても大丈夫。一緒に会計するから」


 カゴをレジにセットしてスキャンする。どれだけゴチャゴチャに詰めていても読み取りに不備は起きない。

 その上で表示された金額を確認し、わざわざ財布から取り出した紙幣を投入口へ入れた。


 びっくりするほどのアナログ具合である。

 決済端末なら指をかざすだけで済むのに、この手順に発生するコストをどうしても理解できなかった。

 まぁ、俺が他人のニーズを汲めないということかな。


「あ」


 食材の買い出しが終わり、あとはクルマに積み込んで帰ろうという時だった。

 リリィが声を上げてイートインスペースの方を見ている。

 口角が下がっており、明らかに嫌そうな顔をした。


 こんなに露骨な反応するなんて初めてじゃないだろうか?

 不浄の薔薇ダーティローズを相手にしても割と平静だったのに。


「どうしたんだ、リリィ?」

「なんでもありません」


 買い物袋を半分持ってくれたリリィは足早に出口の方へと去ってしまう。

 俺とヒバナは顔を見合わせた。

 一体、なんだというのだ。


 不審に思ってイートインスペースの方を確認すると……茶色い髪の女の子がこちらを睨んでいる。

 例のクレーム少女だった。

 俺はエルの記録映像でしか見たことがなかったが間違いない。


 そりゃそうか。生活圏が同じなのだから、同じ場所で買い物をしていても何ら不思議はない。

 反応に迷った俺と違い、ヒバナは軽く微笑んで会釈している。


 当然、相手は無視してきた。

 友好的でないのは分かりきっているので、これ以上は関わらない方が無難だろう。


「リリィの後を追わないとな」

「そうね」


 先にクルマに戻っているだろう。

 あぁも不快な感情を露わにするとは想像もしていなかった。

 俺が考えているよりもずっと複雑に心が発達している。


「あぁいうの苦手だな俺」

「私はもう麻痺しちゃった」

「どうするのが正解だと思う?」


「世界は広いわ。嫌いな相手と無理に喋る必要もないし、まして攻撃する必要もないの。関わらないのがベストね」

「正論だな。けど、あの子の中でリリィを目の敵にすることが帰属意識アイデンティティになっているかもしれない」

「それは向こうの問題ね。つまらない敵対的依存で自分の時間を擦り減らしても何も生まれない」


 電子光彩の赤い瞳を伏せ、ヒバナは大きな溜息をつく。

 車椅子はオートで進んでゆき、ジャスコのガラスドアを潜って駐車場方面へと出た。


 今日はよく晴れている。

 最近、日差しを浴びるのにも慣れてしまった。

 ちょっと前の俺なら地上に出ただけで陽光に焼かれていただろう。


 人間の適応力とは大したものだ。

 つくづく健康的になったもんだなと空を見上げると、真っ黒いが浮いていることに気付く。


 落花生畑に農薬を撒くドローンではない。

 プロペラが風を切る音ではなく、燃料を燃やしたときのチリチリした音だ。

 それだけで巨体を浮かせているのだと分かる。


 ビルの多い都内ではよく見かけるが、千葉に来てからは初めてだ。

 バーティカルジェットがジャスコの駐車場上空で静止している。

 買い物客たちも珍しそうに見上げていた。


 ちょうど真下あたりに亜麻色の髪の女の子が立っている。

 機体から拭き下げる風でスカートを揺らしていた。

 ここからではどんな顔なのかは見えない。


 きっと不快な色を消せないままでいる。


「すげぇ嫌な予感がする」

「エル、坂口に連絡して」

『ネガティヴ。ネットワークが遮断されています』


「どこから情報が漏れたんだろうな」

「これで内通者はかなり絞られるわ。トウドウですら私たちの居場所は知らないんだもの。敵は自棄ヤケになっている」

「俺には、残り時間と準備の兼ね合いがあってこのタイミングで仕掛けてきたように思える」


 空から一輪の黒い薔薇が降ってくる。

 強化外骨格スーツを纏った金髪の女……しかし、今回は偵察タイプではなかった。


 前回のものよりも肩から腕まわりが明らかに太い。

 無塗装の白は同じで、胸のフレームだけ黒く塗っているのも相変わらずだ。

 どんな拘りがあるのか知らないがスクリーンヘルメットを今回も着用していない。


突撃アサルトタイプ持ってきやがったぞ、あいつ」

提案サジェスト。ナツメ博士、ヒバナさん。避難してください』

「エル、その前にローカル通信でジャスコの館内放送をジャックしてくれ。これだけアナログな商用施設だ。お前ならできるだろ」


『了解。責任問題が発生した場合はナツメ博士にとっていただきます』

「私も連帯責任でいいわよ」

「南側駐車場でテロが発生……ってな」

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