第28話 SMって単語は子供の前で使うなよ?
「あんた、いつまで爆弾付きの腕輪してるつもりなの?」
敢えて本題に触れてこないのは気遣いか、あるいはジックリと責めるための布石か。
ソファでグッタリと項垂れていると、車椅子から降りたヒバナが隣に腰かけてくる。
風呂は済ませたらしく、パジャマ姿で髪を結えていた。
まだ痛むので歩くのが億劫らしいが、全く歩けないわけでもないし自力で入浴もできるらしい。
本人の弁なのでどこまで信じるかは置いておく。
無理はしないでほしい。
なのに俺は手助けを申し出ない。とんだ矛盾だが、ヒバナの性格を考えるとそうすべきだと思った。
「指摘されないと忘れるんだよなぁ……完全にアクセサリーと化している」
肩が触れるくらい近い距離だ。甘い匂いがするし、柔らかい。
俺の顔を覗き込んでくる様子は悪戯っぽかった。お前本当に30歳半ばかよとツッコミを入れたくなる。
夫婦ロールプレイをここまで頑張らなくてもいいだろうに。
「危機感ないわね。外せないの?」
お前んとこの会社と契約するときに、俺のことを信用できないからコレ付けるって話になったんだけどな。
当人がどういう仕組みか忘れているのは笑えない。
いや、ヒバナにとっては些事か。
「無理に外そうとすると爆発して手首が吹っ飛ぶ。そもそも墳墓の入り口にしか解除装置が無いんだよ。別に実害がないんだからいいだろ」
「私が横に座っているときに暴発するかもしれないでしょ」
「お前がスイッチ押さなけりゃ平気だよ」
「そう? だったら絶対服従。逆らったらドカンよ」
「はいはい」
女王様モードのスイッチが入ってしまったようだ。
面倒くさいので両手を上げて降参のポーズをとっておく。
話し合いの結果が気になるのならいっそ素直に質問してくれ。
けれどヒバナは黙ったまま子猫みたいに頭を擦り付けてくる。
こんな姿、リリィに見られたらなんて説明する気なんだ?
スリープモードに入っているから朝までは目を覚さないだろうけど、内心ではヒヤヒヤしてしまう。
俺の忍耐を試すならもっと別の方法を使ってくれ。
「どういう結果だったのか知りたいんだろ?」
「神経が擦り減ってるみたいだから聞くのは遠慮したんだけど」
「よく分かっているじゃないか」
「昔から変わらないわね」
「……これだから嫌なんだ。近所付き合いなんて面倒だし、いちいち隣人に気を使うなんてバカらしい。地下生活してりゃこんなことなかった」
「引き籠り中年らしい愚痴」
「ちゃんと説明したよ。エルが映像も音声も記録していたからそれも見せた。おたくのお嬢さんはうちの子に突き飛ばされたわけじゃないんですよって」
「はいはい。えらいえらい」
「転んで鼻を打ったのをどうしてもリリィのせいにしなきゃ気が済まないらしい。その前に話していた内容は都合よく無視ときたもんだ。痛み分けが受け入れられない体質だなありゃ」
ご近所さんから「お前の家のアンドロイドに子供が怪我をさせられた」と電話があったのは何時間前のことだったか。
物凄い剣幕で一方的に謝罪を要求された。
エルに状況を確認したところ、明らかにリリィには非がない。
しかし、身を隠しているので揉め事は避けたかった。
穏便に説明して済ませようとしたのである。
だからヒバナは連れて行かず、俺は1人で相手の家に行ってきた。
けどまぁ……うん。
我が子が大切だという気持ちは理解できる。
俺にだって娘がいたからな。
「あんた、進歩してるわよ」
「やめてくれ。変なこと言うな。あと頭を撫でるな。日本以外の国じゃ、他人の頭に触るのはタブーなんだぞ」
「千葉県って日本でしょ」
「でも群馬県は海外だぜ。海は無いけど」
「怒られるからアンダーネットのネタやめなさいって」
「俺の現実はネットの中にあるんだよ」
ヒバナは俺の頭をラグビーボールの如く掴み、無理矢理倒して太腿の上に乗せる。
強引な膝枕のせいで脳が揺れ、血の供給が追いつかず目眩がした。
頬がヒバナの弾力で押し返されてしまう。
それにしてもムッチムチだなおい。
「リリィが起きてきたらどうするんだよ」
「お父さんが疲れているから慰めているだけ」
「ハードなロールプレイだよなぁ」
疲れた。ひたすら疲れた。
熱い湯船に肩まで浸かって、冷たい牛乳飲んで、さっさと寝たい。
けれどヒバナは離してくれそうになかった。
いっそ、このまま寝落ちしてやろうかと思う。
「珍しく頑張ったわ」
「そうだな。極めて珍しい。娘の名誉を守るために必死だったよ」
「進歩してる」
進歩……ね。
仮に昔の自分なら……どうしていただろうか?
血の繋がった娘が同じことをしたら?
多分、余裕が無かったから適当に相手の親に謝って済ませたと思う。
仕事が忙しく、家も買って、自分で割り振ると決めた以上のものを家族に与えなかった。
我が子の名誉ですら損得感情で計算し、人生におけるロスが少ない道を選んだに違いない。
聞く耳持たない相手に何時間も使うほど俺はバカじゃなかった。
けど、親への期待を裏切られた娘の気持ち(当然、庇ってほしいと思うだろう)を想像できない阿呆だった。
「生きていく以上、他人との軋轢は絶対に生まれるわ」
「それが嫌だから引き籠りやってたんだよ俺」
「あのままリリィちゃんと2人だけで暮らしていたらどうなっていたと思う?」
「俺のエゴがうまくいかずに何回も何回も、繰り返しリリィをリセットしていただろう。そのうち飽きて分解槽送りにしていたな」
「そんな現実と今の現実、どっちがいい?」
「殺し屋に命を狙われて東京から逃げ出しているんだぞ。そりゃもちろん……」
アンドロイドの蘇生という過去の栄光と失敗にしがみ付いて、哀れな存在を世に送りだし続けてきた。
俺は最低最悪の科学者である。
いや、
自己満足の呼び名で最期は腐ったまま死んでいったと思う。
死ななくても発狂はしたかもな。
「もちろん? どっち?」
「引き籠りのままひっそりと死にたかったよ」
「素直じゃないわねぇ」
「なぁ、いつまでこの生活が続くんだ?」
「
「そんなうまくいくのか?」
「失敗続きなんだもの。一部の暴走と主張して、落とし所を提案してくるでしょう。こっちだって黙っているわけじゃないもの」
「あまり追い詰めると強硬手段に出るかもしれない」
「そもそもの話よ。あんたが命を狙われる理由って何? アマワにとってかなりクリティカルな弱味を握っているんでしょうね」
「経営陣ならいざ知らず、いち技術部門の職員だぞ? たかが知れてる」
「う〜ん、それならウィルス・プログラムかしら?」
「完全な蘇生はできていない。俺が有罪になった後で研究データは全部削除されてるし、
「でもここに残っているじゃない」
「そりゃ残ってるけどさ」
額にひんやりとした手が触れてくる。
脳に溜まった熱がスッと抜けて気持ちよかった。
自慢じゃないが何百万行のプログラムだって頭の中に収まっている。主要な部分は
歌を覚えるのに似ている。
適当にハミングしたって大丈夫ってことだ。
どうして動いているか分からないプログラムなんて世の中にはごまんとあるのだから。
「きっとSM以外に有効な使い方があるのよ」
「SMって単語は絶対にリリィの前じゃクチに出すなよ?」
「そういう愛もあるってことよ」
くそっ、女王様気質め。
わざわざ「進歩している」と持ち上げてから叩き落とす作戦だったか。
「分からないな。もう3年も経っているんだ。アマワにとってマズい存在ならとっくに殺されている筈だろ」
「過小評価されていたんじゃないの? 研究データさえ消せば大丈夫と思ったのに、あんたがまたウィルス・プログラム作って悪さしてるってバレちゃったのよ」
「
「
「あ……」
「可能性あるでしょ?」
いやいやいや、そんな偶然があってたまるか。
娼婦街に出入りしている中には、そりゃあ色々な奴がいる。
1ヶ月の給料を数時間に全部突っ込む会社員から、土地を貸すだけで遊んで暮らしている羨ましい野郎に、果てはお忍びの政治家まで。
その中にたまたまアマワの関係者がいて、たまたまフレッドの店に入って、たまたまゾンビ化したアンドロイドが相手をして、たまたま俺の存在を察知した。
ゼロとは言い切れなかった。
畜生、なんてこった。
「ガードが甘かったわね」
「反論できない」
「ま、そうなると間を取り持った私にも責任があるわ」
「身から錆が出まくってるのは俺の方だ」
「ゾンビ相手のSMは会員制だったわね。敵の尻尾を掴むのにフレッドの店の顧客名簿が役立つかもしれない。そっち方面からも当たるように指示を出しておく」
「悪い事してきたツケが全部回ってきている感じだな……」
「さっさと払い終えてね」
「どうせお前には一生、頭が上がらないよ」
「飼い主だもの。あんたの」
「腕の爆弾、無理矢理外して自害するしかねぇな」
「やめてよ。寝覚が悪くなるわ」
もう頭が活動限界を迎えていた。歳を取ると徹夜が辛くなる。
それでも俺は考えてしまった。
仮に、ゾンビ化に有効な使い方があるとしたら……アマワがどうしても俺を消したくなるような活用ができるとしたら……一体なんだろう?
SM以外で。
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