第27話 泡沫の夢だと言わないでください
直近の行動によって蓄積したストレス値や疲労値によってスリープモードの時間が決定されます。
人間の場合でも疲れていれば睡眠は深くなり、長く続くものです。
アンドロイドはそれを模していました。
勿論、わたしは立ったままでも眠れますし、そもそも休眠を挟まなくとも活動ができます。
ですがそれを許容していくといずれは精神的な部分に歪みが生じる……というのがナツメ博士の弁でした。
人格をプリインストールされなかったがために起こる弊害だと思います。
だからわたしはちゃんとお風呂に入り、パジャマに着替えて寝ていました。
眠りにつく前にはいつもナツメ博士の姿が浮かんで消えます。
千葉に引っ越してきてからはヒバナさんの姿も浮かぶようになりました。
あと声だけですがエルのことも自然と考えます。
家の掃除はわたしの仕事で毎日同じようにこなしました。
空いた時間は読書端末を開いて勉強します。
散歩も日課になっていて、お願いすればナツメ博士も一緒に来てくれました。
繰り返しなのに毎日が新しいのです。
その新しさは与えられるものもあれば、発見するものもありました。
とにかく自分が満ち足りていると感じました。
空っぽだった花瓶に水が注がれ、花が生けられるような。
あるいは新月から徐々に三日月、半月、満月と変わっていくような。
わたしはこんな日々が永遠に続けばいいと、そう願うようになっていたのです。
目が覚めればお父さんがいて、お母さんがいる。
特に、3人で公園の桜を見に行った日のことは決して忘れません。
あの日は春先らしく深夜から天気が変わり、強い雨が降ってきました。
わたしはヒバナさんに公園の桜が綺麗だったので見に行きましょうと提案しました。
………
……
…
車椅子にはエアシールドがありました。
ヒバナさんは「情緒がない」として、それを使わず傘を3本用意して出かけました。
水溜りで靴が濡れても構いません。
道中、わたしは自然と歌を口遊んでいました。
同じ日の朝、エルにこっそり教えてもらった『あめふり』です。150年も前に作られた歌だそうです。
あまり上手には歌えなかったかもしれません。
歌詞と音程がズレている気がします。
そして桜は……綺麗な色を濁った地面に散らしていました。
悲しいという気持ちをあらためて理解しました。
ナツメ博士は「春先は天気が変わりやすいから」とだけ仰っていました。
わたしは、昨日の夜にあったものが次の朝には失われていることに耐えられず質問をしてしまいます。
「なぜ、桜の花がもうないのでしょうか?」
「雨に打たれれば花は散ってしまう」
「なぜ、雨が降ったのでしょうか?」
「前線とか気圧とか色々ある」
「わたしたちがここに来るまで待ってくれてもよかったのでは?」
「自然現象を擬人化するのは太古に芽生えた人類の知恵だ。人間の頭をお供えすれば荒ぶる河川が静まる……とかな」
「ヒトの頭部と川の氾濫には因果関係があるのでしょうか?」
「それは現在の科学技術じゃ観測できていないし、存在しないとを証明もできない。けどな、
「まんじゅう?」
「帰って、エルの記録映像を見よう。代わりのもので埋められる。昨日の夜の桜は確かに綺麗だったな」
「不思議です。わたしはどうしても3人で見たいと思いました。それは映像ではありません」
「誰かと一緒に体験するというのは強く印象に残るものよ、リリィちゃん」
ヒバナさんは優しく笑いかけてくれました。
けれど悲しみは晴れません。空もわたしの心も同じ曇天だと思いました。
「もう少し、ここにいてもよいでしょうか?」
「近所だから平気だとは思うが、あまり長居するなよ」
「わかりました」
車椅子のヒバナさんと一緒にナツメ博士は先に帰っていきます。
クルーザーに乗った時以来、白衣ではない普通の服なので後姿に違和感がありました。
近いうちに白衣を着なくなった理由を尋ねてみたいと思います。
わたしはしばらくの間、雨粒に打たれる桜の枝を眺めていました。
花弁が何度も上下に揺れ、やがて重さに耐えきれなくなって地面へと落ちていきます。
1枚、2枚、3枚……
観察していれば法則性が見つかるかもしれないと考えました。
けれど散りゆく花とは別のものに興味を惹かれます。
公園の敷地の外で立ち止まってこちらを凝視している人物がいたのです。
15歳か、16歳くらいの女の子でした。
明るい茶髪を結え、わたしに好意的でない視線を向けています。
「敵性意志を確認」
武装はしていないと推測できました。
立ち姿はやや猫背であるものの左右でバランスが取れています。
重い武器を隠し持っているということはないでしょう。
傘に着目します。
持ち手に異常な箇所は確認できず、トリガーが仕込まれていることもなさそうです。
服装もいたって普通で、ジャケットにジーンズにブーツに……取り立てておかしな箇所はありません。
勿論、人間です。体温の検知からもアンドロイドではないと断言できます。
それでも敵意を感じるのは何故でしょうか?
少女は大股でわたしの方へ歩み寄ってきました。目は釣り上がり、肩は怒っています。
「おまえ、こんなトコで何してんだ? ソレどこの制服だ? つーか始業式なんてまだだろ?」
掠れた低い声でした。
わたしがセーラー服なので学生だと勘違いしたようです。
背丈はわたしよりも頭半分ほど高く、しかし華奢でした。
目力だけは威圧的な状態をキープして吊り上げています。
ジッと眺めていたら、その子は舌打ちして「なんだ、機械かよ」と顔を逸らします。
これはわたしの虹彩で判断したのでしょう。
アンドロイドと人間の違いが最もわかりやすいのは目の部分です。
ナツメ博士は「完全に人間に擬態できるモデルもある」と話してくれましたが、わたしはそうではないようです。
「どこのポンコツか知らねぇが、誰の許可得てこんなところをウロウロしているんだ?」
「お父さんとお母さんから了解を得ています」
「は? バカか」
「知性を客観的に判断する材料がありません」
「まともに会話もできねぇのかおまえ」
『お嬢さん、失礼いたしました。この躯体は試験運用中なのです』
突然、エルが割って入ってきます。
どこからともなく指向性のある声が届き、少女はビクンと体を震わせました。
驚かせてしまったようです。
その代わり、正体がAIだと分かった途端に鼻を鳴らしました。
『主人に代わり非礼をお詫び申し上げます。さ、戻りましょうリリィさん。2人とも心配しています』
「もしかしてお前、最近引っ越してきた夫婦の養子か? わざわざアンドロイドなんか買って子供代わりにしているって噂の」
『お嬢さん、重ねて申し上げます。この躯体は試験運用中なのです』
同時にわたしの中にも黒いものが渦巻いてきました。
つい先ほどまで感じていた悲しさが塗り潰されていきます。
「あれだろ。子供ができなくて仕方なく買われたんだろ、おまえ」
「わかりません」
「どっちがダメだったんだ? 種無しなのか? それとも妊娠できねぇのか?」
『お嬢さん、どうぞお構いなく。あなたも雨に濡れてしまいます』
「ボーッとした間抜け面だな。目障りだから家から出てくるなよ?」
「お父さんに命令されれば家からは出ません。あなたの命令は、わたしの中では優先されません」
「気持ち悪い愛玩人形が口答えするな」
『お嬢さん』
「エル、帰ります」
こういう人物と本の中で何度も出会っています。彼あるいは彼女は物語を動かす主人公に敵対し、足を引っ張り、貶めてきます。
わたしは物語の主人公にはなれないタイプですのでそもそも関わる必要性がありません。
ですが少女の横をすり抜けようとした瞬間、ブーツの爪先が行く手を遮りました。
足を絡められると倒れます。地面は濡れていて、制服が汚れるでしょう。
するとナツメ博士に迷惑がかかります。クリーニングが必要になるからです。
わたしはその足を最小限のジャンプで飛び越えました。
少女は「待てよ、ポンコツ!」と背後から肩を掴んできます。
構わず歩を進めると、その子はバランスを崩して雨の中で倒れてしまいました。
「エル、帰りましょう」
背中に向けて大きな声がかけられます。
罵声に分類される内容でした。
エルは何も言ってきません。
わたしはこれでいいと判断したのです。
………
……
…
夜になって雨が止むと、ナツメ博士は誰かに呼び出されました。
出かけ際、わたしは白衣を着なくなった理由を尋ねましたが「謝りに来た相手がそんな格好してたら余計に怒らせちまうだろ?」とだけ返されます。
ヒバナさんも同行したがっていましたが、ナツメ博士は1人でいいと仰いました。
わたしの浅慮な行動が迷惑をかけたのだと知ったのは、ずっと後のことです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます