第26話 桜の花が咲いているのか?
夜道を歩いているのにモヒカン&刺付き肩パットをした連中が襲ってこないから、茂原市は治安がいいと評価できる。いや、船橋市だったココ。
薄明るい空を灰色の雲が流れ、月明かりを遮る。
街灯はポツポツとどこまでも疎らに並んでいた。
都内と違って緑化政策がハマっているのか、あるいは本物の畑しかないのか。
どちらでもいいけど民家とグリーンの面積がちょうどいい比率だ。
ジャスコの「この先4キロ」という案内看板だけがピンク色なので調和をぶち壊しているが、ジャスコだから許そう。
中年になっても心の広い俺バンザイ。
こういう些細なところで自己肯定感をキープしておく。
「月が綺麗ですね、お父さん」
「詩的だな」
隣を歩くリリィの眉が少し持ち上がった。不満の色だろう。
いささかスマートさに欠ける返事だったので反省しつつ、機嫌取りにどんな話題を切り出そうか考える。
けどまぁ、若い感性(生後2週間と経っていない!)を程よく刺激するトピックが思いつかなかった。
話の引き出しはあってもリリィ向けじゃないな。
迷っていると娘の方から質問が飛んでくる。
「お母さんのコロッケ、どうでした?」
一瞬、誰のことか分からなかった。
すぐに三つ編みにしたヒバナの姿が思い浮かぶ。
「美味かったよ」
「それはよかったです」
リリィの駆体には食事の機能が無い。舌はあるし、味覚のセンサが備わっているのも確認済みだ。
けれども胃袋に該当する機関は相当特殊なアンドロイドでなければ持っていない。
どう特殊なのかは想像に任せる。
いくら
けど飲み物であれば少量飲めるから、ヒバナはリリィ用にお茶を用意してくれた。
それをチビチビと嬉しそうに飲んで食事を共にしたわけである。
「今度は、お母さんの目の前で『美味しい』って言ってあげてください」
「……うーん、どうだろ」
「喜ぶと思います」
「あいつ、すぐ調子に乗るからなぁ……褒めたら1週間くらい延々とコロッケが続く可能性が高い」
「言ってあげてください」
「わかった、わかったよ」
圧が妙に強いな……
家族ロールプレイが余程、気に入ったのだろう。
むさい男と2人で地下生活して、読書と掃除ばかりの日々よりはずっと楽しい筈だ。
『リリィさん、お父さんは油物が胃にきて辛い年齢なのです』
「そうなのですね」
「おい、やめろ。AIにお父さん呼ばわりされる覚えはない。あと俺の胃袋はそんなにヤワじゃない」
人工知能の反乱に、そろそろ本気で争ったほうがいいかもしれない。
威厳もクソもあったもんじゃないな。
少しでも知的な立ち回りを見せておかないと、揚げ物で調子を崩すオッサンという烙印を押される。
それだけは避けたい。
「そういやエル、収集しておけって指示したテロ関係の情報はどうだ?」
『現状、ニュース以上の有効なものはありません。カタギリファウンデーションのウォーターフロント開発に反対する過激派自然保護団体の仕業ということになっています。東京湾の生物に悪影響が出るという抗議文にテロを
「あんな場所、浄化装置と湾内のカーテンがなけりゃヘドロ沼と一緒だろうに」
『ネガティブ。アサリやシジミが採れます』
「海洋汚染について議論するつもりはない。テロ犯の裏は取れているのか?」
『ネガティブ。しかし、被害者であるカタギリファウンデーション側によって半ば断定された模様です。該当団体は今後の活動が難しい状態に追い込まれています』
「トウドウがやりそうな手だな。ついでに潰しておこうって腹だろう」
『引き続き情報収集をいたしましょうか?』
「重要度を下げてくれ。犯人が確定したら報告してくれればいい」
『了解。ところでこの散歩には目的地はありますか?』
「特にありません。ある程度の運動をしたら帰るつもりでした」
『
「とりあえず行けってことか? わざわざ夜の公園に?」
『ジャスコであれば24時間営業ですが、そこまで歩いた場合はお父さんの脚に深刻なダメージを及ぼす危険性があります』
「お父さん呼ばわりするな、ポンコツめ」
意地になって歩いてやろうかとも考えたが、筋肉痛で動けなくなるのは想像に固い。
そんなことになったらヒバナに爆笑される。
『今宵は散歩日和です』
「お父さん」
「わかった、わかったってば。公園まで行こう」
まずいぞ、どんどん押しに弱くなっている。
嫌だと突っぱねるほどのことじゃないが要求を呑むだけというのも態度としては良くない。
エルはわざわざ立体映像で矢印を出して案内してくれた。
ほぼ一直線だったので景観を邪魔するだけで無意味である。
こいつ、嫌がらせでやってるだろ……
「わぁ……」
目的地にはアッサリ着いた。
1辺が20メートルほどの正方形の土地の四隅に木が植えられ、小道が中心を通っている。
近代の公園はゲートボール太極拳という玉を使った武術(主に100歳くらいの老人が使い手だ)を披露するためだけのステージだ。
昔は子供が遊べるようにと砂場や鉄棒が設置されていたそうだが、過度な安全を求めるPTAの意志によって全て排除されている。
それでも手足を思い切り伸ばしても怒られない場所というのが最大の美点か。
リリィの目を引いたのは満開の夜桜だ。
濃紺の闇と微かな灯に浮かぶ、薄桃色のブーケである。
ここまで逃げる際は窓の外の景色を見る余裕がなかったし、物理的に遮蔽されているケースが多かった。
まじまじと桜を見るのはリリィにとって生まれて初めてだろう。
勿論、再起動してまっさらになってからという意味だ。
「おっ、綺麗に咲いてる。そういうシーズンだもんな」
桜保護条例によって花見文化が滅亡して久しい今でも、日本人的な感性は変わっていない。
誰もがコッソリと眺めて目で愉しむ。文化を超えて本能ですらある。
それで満足できない輩が枝を折ったりするから毎年、逮捕者が出るけどな。
何でもかんでも禁止されてバカらしい世の中だとは思う。
「お父さん。明日、お母さんも連れてきませんか?」
「あいつ、自分の家の庭に桜並木あるぞ。このくらいじゃ珍しがらないな」
「そうなのですか?」
いや、そんな露骨にガッカリしないでくれ。
俺がすごく悪いことしたみたいじゃないか。
「で、でもまぁ……リリィが一緒なら喜ぶかもな」
あまり気の利かないフォローだったが、リリィの顔は明るくなる。
初期よりもかなり表情豊かになってきたものだ。主にポジティブな方面で。
ついでにネガティブな感情は極力見せないように努めているようだ。
なお、リリィが一緒ならば喜ぶというのは間違いない。
ヒバナは男にしか効かない
一般的な女性の立場からすれば、恋敵製造装置がとびきりの美貌で歩いているのだから仕方ない。
その反動もあってか、拒否反応を示さないリリィにはかなり好意的だ。
「お母さん、頼めばお弁当を作ってくれるでしょうか?」
「うーん、桜保護条例があるからなぁ…… 花が咲いた桜を見ながら屋外で食事すると逮捕されるぞ」
「では、この公園に近いお家に引っ越して窓から眺めるというのはどうでしょうか?」
「提案したら本気でやってしまうだろうからやめておきなさい、リリィ」
「わかりました」
あるいは、今住んでいる家の庭に植えるかもしれない。
この公園は近所だからここまで出向く方が健全だ。
「さ、帰ろうか。あまり遅いとお母さんが心配する」
「はい」
セリフにするとむず痒いなぁ……
「明日、必ず」
「あぁ、忘れないよ。エル、リマインダーに登録しておいてくれ」
『ネガティブ。ご自分で記憶すべきだと思います』
メモ帳以下かよ、このAIは。
………
……
…
けどまぁ。
そんな他愛のない明日が来ることなんてなかった。
俺の人生なんてそういうものだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます