第25話 落花生畑でつかまえて……?

 千葉県では米の代わりに落花生を炊いて食べるという定番ネタがある。味噌に使うのも大豆ではなく落花生だそうだ。

 勿論、この手のジョークを真に受けるわけもない。

 なおアンダーネットでは群馬県が日本国外とされるが、これは本当なので注意が必要だ。キミたちのリテラシーが試されている。


 さて。2077年4月1日。

 物騒な殺し屋に狙われる俺は、住み慣れた(と言っても地下生活だったが)東京を離れて千葉県船橋市に来ている。


 殺伐とした都心と違いこちらは長閑のどかだった。

 見渡す限りの落花生畑である。いや、もしかしたら違う作物かもしれないが葉っぱだけで見分けがつくほど明るい分野じゃない。


 走っているのはシティコミュターではなく自家用車ばかりだ。

 その殆どは軽トラであり、3世代ほど前のAIを搭載して自動運転化されている。

 勿論、動力はモータとバッテリーだ。内燃機関なんてものは公道上に存在しない。


 そんな新天地でも早速、恐ろしい目に遭った。

 ひどく高カロリーなロールプレイを強いられたのである。

 ヤクザ企業のカタギリファウンデーションはシェルターとして一軒家を用意してくれた(こうもポンポンと物件を準備できるのは建築業もやっているかららしい)。


 そりゃ社長のヒバナから指示が飛んだのだから仕方ないな。

 足跡を辿られないように千葉県へ上陸してから(覚えているだけで)11回も乗り物を変えている。

 建物の中でタクシーからタクシーへ移ったり、道の駅でトラックの荷台に入ったり、手を尽くした感じが伝わってきた。


 クルーザーですら襲撃されたのだから内通者がいることはほぼ確定しており、俺の所在は最高機密として扱われている。

 おかげで連日の騒がしさは鳴りを潜めていた。


 しかし、問題なのはシェルターの方だ。見た目はただの一戸建てで周囲には他にも民家があり、ちょっとクルマで足を伸ばせばジャスコが建っている。

 アナログな買物には全く困らないだろうがセキュリティ面に不安があった。

 何よりも中身だ。中身が


「お父さん、ご飯ができたそうです」


 書斎のドアの向こうから亜麻色の髪の女の子が顔をのぞかせる。

 断っておくが実の娘ではない。見た目の年齢は近いが、本物は元妻と同じ明るい茶髪だ。

 だからといって偽物でもない。複雑な関係なので説明に窮する。


「ん、わかった。だがその呼び方はやめてくれ」

「敵に察知される可能性を極力排除すべきだとエルは言っていました」

「おい、エル。妙な提案してくれたせいで大変なことになっているんだぞ」


『ネガティブ。安全側に考えた場合の作戦です』

「俺の精神が危険側に転がり落ちそうなんだよ」

「お父さん、ご飯ができたそうです」


 このまま問答をしていても埒が明かない。

 体重をかけていた椅子から立ち上がり、読みかけの読書端末をデスクの上に投げる。

 料理が冷めてしまえば


 に案内されてリビングに入ると、揚げ物のいい匂いが漂ってきた。

 流石に合成肉を使っているものの夕食は手作りのコロッケである。


 エプロン姿の妻は鼻歌混じりに炊飯器からご飯をよそっている。

 幸いなことに落花生ではなく米のようだ。


「ここまで警戒する必要はないだろ、ヒバナ」

「いいじゃない。好きでやってるんだから」


 長い銀髪を1本の三つ編みに束ね、完全に奥様役を演じているカタギリ・ヒバナは実に楽しそうだ。

 車椅子(クルーザーの時よりも数段、安っぽくて一般的なやつだ)が変形して立ち姿勢を補助している。

 まだ体が痛むだろうから料理なんてキツいと思うのだが……


 その一方で娘役のリリィは入り口で立ったまま待っている。

 俺が座らないと、着席しないつもりだろう。


「いきなり引き籠り中年が一軒家に引っ越してきたら怪しまれるでしょ? そこをフォローしてあげているの」

「だからってエルの提案通りに家族のフリしなくてもいいだろ」

「もう近所には挨拶してきちゃったわ。あんたは小説家、私はその妻、リリィちゃんは養子代わりのアンドロイド」


 なんだその設定。凄まじいハメ技だ。

 それはそれとして旨そうな香りがする。

 料理ですらプリントできる時代に、わざわざ油を熱して揚げ物をするなんて物好きなもんだな……


 プロセスを楽しむ気持ちは理解できても、情熱が食へ向くのはよくわからない。

 ヤクザ会社とはいえ、大企業の代表者の手を煩わせた晩飯だ。時給換算するととんでもない値段になる。


「また失礼なこと考えているわね」

「エスパーかよ。いや、手作りの料理なんて子供のとき以来だなと思ってさ」

「前の奥さんは作ってくれなかったの?」


「そういうとこにドライな相手だから結婚できたんだ。聞かないでくれ」

「悪かった。さぁ、冷めないうちに食べて。リリィちゃんにはドリンクを用意してあるから」

「ありがとうございます」


 皿に敷いてある細いキャベツもわざわざ包丁で切ったのだろうか?

 派手な容姿に似合わず器用なモンだ。

 まさに古き良きホームドラマのような食卓である。


 そういえば天然肉のステーキとアルコール入りのワインまで用意してくれたことがあったな。

 本当に物好きで、どうしてなんだろう……


 考え事はほどほどにして3人で「いただきます」をした。

 それから「ごちそうさまでした」までが長く感じる。

 他愛のない会話を挟んでの食事だった。


 リリィは丁寧な口調だが自然と受け答えできるようになったし、ヒバナも食は細っていない。

 微笑ましい時間だ。そのせいで俺の心の内側へ刺が刺さる。

 気付かれたくなかったから話題を切り替えた。


「いつまで船橋にいればいいんだ?」

「食後のデザートとしては面白くない話ね」

「墳墓に。預かっているアレを処分して書類を受領しないと面倒なことになるんだよ」


 ヒバナと並んで座るリリィに気を使い、表現はボカしておく。

 トラップを仕掛けておいたけどどうなっているか確認していなかった。

 何か引っかかれば流石にエルでも報告してくれるだろうけど。


「もう少し待ちなさい。敵を囲い込むのに時間が必要らしいの」

「次もわたしが倒します」

「頼もしい宣言だ」


 帰属意識アイデンティティを戦闘行為に託しているのは、もう止めようがない。

 状況が状況だけにクリーンに育てるのは無理だけど、リミッターもセーフティも無い駆体だからあまり暴れん坊になっても困る。

 まぁ、俺自身の方針がフラフラしているのが悪かったんだが……


「カタがついたら帰るって方針でいいんだよな。それなら囲い込みとやらが終わってから東京ハッピーランドでも行ってみるか」

「本当ですか、お父さん」


 ロールプレイの呼称に本心からの笑顔が組み合わされる。

 リリィの目がこれだけ輝くのは初めてかもしれない。


「あんたにしては気の利いた提案サジェストね」

「お前を連れて行くんじゃなくてリリィを連れて行くんだよ」


 ロールプレイをすっ飛ばしてヒバナがすごい顔をする。

 般若かよ、お前は。


「お母さんも一緒にいきましょう」

「リリィちゃんは本当にいい子ね」

「わたし、ハッピーマウスを見てみたいです」


 俺もこの茶番に付き合うべきなのか迷うところだ。ぶっちゃけ、結構疲れるんだよ。演劇の才能なんてゼロだし。


『親子3人だとファミリーチケットがお得です』

「でもアトラクションで並ぶのは時間のロスね。丸ごと貸切にしましょう」

「すごいです」


 やっぱ、金持ちの考えることはわからん……

 このノリだと本気でやりかねないから釘を刺しておいたほうがいいかな?

 でもまぁ、会話に花咲いた女子2人にそれは野暮ってモンだろう。


 リリィの学習には(勝手ではあるが)エルも関与しているし、そこにヒバナが加わったところで計算外のまま推移して行くに違いない。

 足掻いたり、気を揉むだけ擦り減る。


 だから決定的に何かを間違える前にができればいい。

 踏み外してしまった自分と、無邪気なリリィを重ねてしまわないように。


 嫌な大人だ。

 失敗をなかったことにするために若者を育てている。


「ナツメ博士」


 極めてつまらない独白はリリィの声で中断された。

 礼を言いたくなる。落ち込んだまま戻れなくなる寸前だった。


「お父さん、一緒に散歩に行きませんか?」

「こんな夜にか? 家の周りには何もないぞ」

「月が綺麗なので」


 やれやれ。今度は何の本を読んだのだろうか?

 ヒバナからは「行ってやれ」と目配せが飛んでくる。

 最も頼りになる戦力が一緒ならば安全性はシェルターと変わらない。


「少し休んでからな」

「わかりました」


 間違えなかった自分は、こんな景色の中で生活できただろうか?

 しょうもないことに頭を埋め尽くされるのが嫌で、俺は食べ終わった皿を重ねて食洗機の中へ放り込んだ。

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