第21話 情けない話はこれきりだぜ?

 臨時で避難したラブホに戻るとリリィは既に起きていた。

 ベッドの端に座って膝の上に手を置いている。

 オーバーヒートで痛んだ服は脱がせてガウンを着せておいた。


 特盛マグナムの胸が谷間を作っているし、瑞々しい太腿ふとももこぼれている。

 場所が場所なので流石の俺も少し気恥ずかしかった。

 新しく印刷したセーラー服は枕元に置いたあったが、触れた様子はない。


「ナツメ博士」

「よかった。意識が戻ったか」


 思わず安堵の息が漏れた。

 一方でリリィの大きな瞳から困惑の色が窺える。

 亜麻色の髪が乱れたままだ。


「わたしはお役に立てたでしょうか?」

「ん? あぁ、勿論。あのデカい戦車を倒したんだ。それよりも駆体をチェックしたいんだが……」

「わかりました」


 いつものニュートラルな表情に戻り、立ち上がったリリィはガウンを脱ぐ。

 下着すら付けていない。

 柔らかな肌が露わになると、二の腕の分割線パーティングラインと脊椎のコネクタが余計に目立つ。

 

 いやまぁ……見慣れているっちゃいるんだが、その……雰囲気ってのは重要だと痛感する。

 こんな部屋で脱がれると、枯れたオッサンでも惹きつけられてしまう。


 それからリリィを触診して(いつもより気を遣った)、人工筋繊維や樹脂骨格に異常がないことを確認する。

 決していやらしいお触りマッサージではない。ないったらないぞ。


 例の粒子が放出されたコネクタもチェックした。孔には残留物こそ無いものの、周辺の皮膚が熱で焼けている。

 何か残っていれば成分分析にかけられたんだが……


「どこか痛まないか?」

「今は痛くありません」

「……ってことは、あの光を出していた時は痛かったんだな」


「先ほどは体の内側から骨が飛び出そうでした」

「他にいつもと違うと感じたことは?」

「相手の動きが正確かつ立体的に読み取れました」


「センサ類の拡張機能もあるのか。そういえばドローンの装甲も簡単に破ってたな」

「触れれば圧壊させられるとが言ってきました」

「リリィの中にもうひとりのか?」


「そう感じます」

「そいつが表に出てきて戦った……というわけだな」

「いえ、話しかけてくるだけでした。戦いの意志はいつもわたしの手の中にあったと思います。もうひとりではなくコインの裏と表と表現するのが的確です」


「詩的な表現だ。エル、ここでの会話は記録してメモに起こしてくれ」

『了解』

「ありがとう、服を着てくれ。じゃあ情報を整理する前にシャワーを浴びてくる。頭が冴えないからな、このままだと」


 ヤクザハウスから脱出して動きっぱなしだった。

 肉体労働が辛い年齢に差し掛かっているし、汗を放置しておくと臭いがな……オッサン特有の……


 というわけでサッパリしてベッドの前まで戻る。妙にバスルームが広かったり、色々な健康器具が置いてあるのは捨ておこう。


 体を洗って戻るとリリィは未だ服を着ていなかった。

 裸のままジッと俺を見ている。


「ほら、服を着ろって」

「行為に及ばなくてもよろしいでしょうか?」

 

 知らないところでまた学習が進んでいる。

 いや、愛に関する書物を解禁してからかな?

 エルに対して積極的に本を要求しているようだし、俺の方は余裕がなくてチェックがおざなりだ。


「愛ってのは簡単に言い表せない。行為に及ぶのが愛ってのも真理だ。けどな、それだけじゃない。男女の愛、親子の愛、無機物に対する愛、宇宙への愛、摂理との愛、色々ある」

「申し訳ありません。出過ぎた真似をしました」


 硬く目を瞑って背を向ける。衣ずれの音がして、それが終わった後で向き直るとリリィはいつもの制服姿になっていた。

 明らかに落ち込んでいる。

 プリインストールされた人格であれば、こういうのはオミットされるのだが。


 俺だって事例を知らないわけじゃない。

 初期状態から懇切丁寧に教育したアンドロイドが、極めて人間的に振舞うというのは論文で読んだことがある。


 それが利することは、実のところあまりない。

 求められるのは従順な労働力だ。

 稀にタカツキの爺さんみたいに、アンドロイドに人間性を欲しがる奴もいる。


 モモの場合は「可愛く見えるように」計算し抜かれたプログラムだけど、今ならそういうのを組む気持ちが理解できた。

 面倒になったらリセットすればいい。

 そんな風に考えてリリィを起こしたことが、いかに愚かだったか思い知る。


 多分、勇気を振り絞って「行為」のことを口にしたのだろう。

 これ以上、はぐらかしたり誤魔化したりするのはリリィという人格への敬意を欠く。


 この子に助けられた。それは十分、尊敬に値する。


「なぁ、リリィ。唐突だが俺の話をしてもいいか?」


 余程珍しかったのか。一瞬、ポカンとした顔をする。

 けれどすぐに真面目な表情へ戻った。


「ナツメ博士のこと、知りたいです」

「愉快な話じゃないぞ」


 ベッドに腰を下ろし、リリィと並ぶ。

 ある筈のない彼女の鼓動が聞こえた気がした。


「実はな、俺は博士号なんて持っていない。その前に子供ができて博士課程への進学を諦めたんだ。自称博士ってトコだな」

「奥さんと、お子さんがいるのですか?」

「過去形だ。別れた。親権も無い」


 苦笑いしてみせると、自分の内側に刺が食い込む。

 この話を知っていて今も付き合いがあるのはカタギリ・ヒバナだけだ。

 エルも知っているがAIだからカウントから除外しておく。


「昔はすげぇ調子に乗っててさ。自分が天才だって信じて疑わなかったよ。学生の時に発表した論文が世間に注目されてニュースにもなった。気分が良かったよ。生活費のためにアマワって大企業に就職しても、すぐに成果を上げて給料もボーナスもビックリする額を貰った」

「優秀なのですね」

「過去形だぞ? 今は……カタギリファウンデーションのいち部門でひっそりとやってる」


 天罰なんて信じちゃいないが、それによく似たものがある。

 出過ぎた杭は打たれるのだ。

 そういうのが平衡を保とうとする自然の摂理かもしれない。


「アマワに在籍していた時のことだ。俺は、BLACKが枠組みを決めたアンドロイド寿命システムの欠陥を発見した。10年で停止するように法律で定められ、それに従うために組まれたハードとソフト両面からのタイマーさ」


 駆体もプログラムも学べば学ぶほどアイデアが浮かび、それを実践していた頃の話だ。

 思い出す度に口の中に苦い味が広がる。

 けれど続けた。リリィは神妙な顔になっている。


「何百人もの天才たちが時間と金をかけて苦労したシステムだが、突破する自信があった。テロメア・セルという意図的に組まれた物理部品は時間経過と共に劣化し、信号伝達を妨げてアンドロイドのコアシステムを停止させる。断裂した従来の回路を捨て、統計的に構築した仮想回路を辿ることで『再起動』させる」

「……設定寿命で死んだ駆体を蘇らせることが可能ということでしょうか?」

「そうだ。これの回避策を講じることでセキュリティアップにもつながる。けど、研究費予算申請で却下された。よく考えりゃBLACKにとっては対応の手間を増やすだけの内容だ。やりたがるわけもない。けど、これまで負け知らずだった俺は自分自身が否定された気分になったんだ」


 10年近く前のことだけどな、と付け加えておく。

 有頂天で大馬鹿な自分。タイムマシンがあったら殺してやりたい。


「落ち込む俺に、同僚が声をかけてきた。『予算が付かなかった研究でも結果さえ出せば上の連中に事後承認させることができる。やってみよう』と」

「蘇生の研究を続けたのですね」

「あぁ、自分の素晴らしいアイデアにしがみ付いた。機材を勝手に流用し、経費を誤魔化して材料を買い、勤務時間外で闇研究に没頭したよ。新築の家で嫁と子供が待っているのに会社から帰らなかった。完成さえすれば周りは認めてくれる……って信じてな」


「その後は……どうなったのでしょう?」

「一緒に闇研究していた同僚に内部告発されたよ。『再起動』は完璧じゃなかった。動くには動くが、知性は失われてゾンビのようになる。それが判明した途端に裏切られたんだ。そいつは告発が認められて減刑された」

「それでアマワ社から解雇されたのですね」


「有罪判決というオマケ付きさ。犯罪者が身内にいるのが嫌だからと、女房は娘を連れて出て行った。刑期を終えてシャバに戻ってきた俺には何も残っていなかったんだ。ぶっちゃけ全部自分が悪い。裏切られたと思っているが被害妄想だ」

「では、ヒバナさんの元で働いているのは……」

「よくわからん。あいつ、薬漬けで現実逃避している俺の前に突然現れて『雇ってやる』って啖呵きったんだ。そのあとで中毒者の治療キャンプに放り込まれた」


 まぁ、サラリと流せるほど楽な日々じゃなかった。

 そのおかげで出所したての頃よりはマシになれたと思う。


「ヒバナは昔から綺麗だったけど、さらにすげぇ美人になってて驚いた。天使がお迎えに来たのかと思ったよ。目元に小皺こじわを消した跡が残っていたけど」

「ナツメ博士は、ヒバナさんに愛されているのですね」

「愛なわけないだろ。気に入った野良犬に餌付けしているだけさ」

「では主人が動物に抱く愛ですね」


 咄嗟に否定できない。

 リリィの例えは的確な気がしたからだ。


「話はこれだけだ……その……」


 女の子につまらない話をしてしまったと後悔する。

 厄介なオッサンムーブをするまいと心掛けていたのに。


 こういうのを自己開示って呼ぶんだ。

 より深い関係になるために必要なことらしい。

 再起動したときから、過去の無いリリィはずっと自分を曝け出すしかなかった。

 隠し続けてきた俺自身を白状することで、いくらかは示しを付けられたと思う。


「ナツメ博士」


 リリィが肩を寄せてくる。触れた瞬間、心地よい電気が走った。

 ガキじゃあるまいし何を過剰反応しているんだ俺は!


「話していただけてとても嬉しいです」

「ん、そうか」


 照れ隠しに天井を仰ぐと、亜麻色の髪がピタリと俺の肩にくっ付いた。

 右腕が抱きこまれて特盛マグナムの胸が押しつけられて変形する。


「あー、ちょっと寝たい」

「わかりました」


 変な気を起こす前に意識を切ろう。その決意が伝わったのかリリィは素直に離れてくれる。

 だが、いつだって余計なことをしてくれる輩はいるものだ。


『ナツメ博士、カタギリファウンデーションの坂口氏からメッセージが入っています』

「絶妙なタイミングだな……一体、なんだって?」

『ヒバナさんがナツメ博士をお呼びだそうです。手錠爆弾を爆破されたくなければすぐに指定場所に来いとのこと』


 ヒバナが?

 ある程度の時間、会話できるまで回復したのか?

 それにしてもいちいち爆弾の件をチラつかせる辺りに坂口の怒りを感じる。


 ヤクザハウスから勝手に逃げ出して(襲撃を受けたんだから仕方ない)、連絡していなかったから仕方ないか。

 問答無用で手首を吹っ飛ばされるよりはずっと好意的だと思いたい。


「指定場所が病院じゃないな。晴海埠頭か」

『船を用意しているそうです」

「エル、発信位置が特定されないように工作してから返信だ。時間を置いてから向かう」

『了解しました』

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