第18話 悲しいという気持ちを理解しました

 四角い箱を蹴り、上昇。その先にある別の四角い箱に手を付き、降下。

 近くには避難していた家屋があり、庭が広がっています。

 できるだけ距離を離しておくべきでしょう。


 重力は行ったり来たりして、足の向こうに地面が見えることがあれば、空と太陽を踏むこともありました。

 一瞬、視界の中にナツメ博士の姿が入りましたが過度に意識しないように努めます。

 これだけ駆体を稼働させているとリソースに余裕がありません。


 聴覚は空気を裂く物体を捉えています。

 わたしの一手先を読んで飛来してくる箱でしょう。


 空中で姿勢を変える術を持たないこの駆体では回避できません。

 力加減が全てです。

 全身で衝撃を受け流し、バネのように柔らかく流します。


 この所作を繰り返すこと数百回。

 縦横無尽に飛び回る箱は729個あり、徐々に追い詰めらているという自覚が芽生えてきました。


 1個だけ、男の顔とそれをガードするバイザーの付いた箱があります。

 近づこうとすれば他の728個が邪魔をして、一定以上の距離を確保してきました。


 集中力=クロックを高めたせいで時間の流れが遅いと感じます。

 これは主観であって実際にスピードが変わったわけではありません。


 そのせいか、わたしの中の焦燥感がどんどん大きくなってきました。

 いくら殴ったり、蹴ったりしたところで効果が薄いように思えます。

 箱は衝撃を受ければ吹っ飛び、そのあとでまた戻ってきました。


 あたりに散らばっている武器を拾って試しても通用しません。それらの使い方をどうして知っているのか自分でも不思議です。

 


 交戦開始から300秒。729個の箱のうち、機能停止させた数はゼロ。


 このままでは……わたしは役立たずだと、そう判断されるのではないでしょうか?

 『不浄の薔薇』ダーティローズを相手にしたときもそうです。

 辛うじて退けられたのはナツメ博士の機転があったから。


 今回の敵は極めて相性が悪く、押される一方です。

 どれだけ速く動けても攻撃力が足らなければ意味がありません。


 わたしの駆体でもダメージを与えられそうな箇所……燃料の排気ガスを放出しているパイプくらいでしょうか?

 本で読みました。原動機と繋がったあのパイプに石を詰められたがために壊れてしまった機械の話を。


 しかし、それは接近できればという前提です。

 箱同士が相互に通信しあってわたしの動きを制限してきます。

 次第に幅が狭められ、ついには回避しきれず体に当たるようになってきました。


 ダメージこそ小さいものの蓄積していけば人工筋繊維が痛み、最悪はその下の樹脂骨格が折れます。

 痛みは信号となって伝わってきますが、それによって動きが鈍ることはありません。失速するとすれば損傷が原因です。


 あとどれだけ敵の攻撃を許容できるか予想が立ちました。


 早ければ400秒経たないうちに右脚が壊されます。箱は上体にぶつかる素振りを見せて、わたしの機動力を削ごうと動いていました。

 下肢に集中攻撃を受けています。特に膝よりも下です。


 一旦、離れて体制を立て直します。

 背は向けずに後退すると同時に庭の芝生が何箇所もせり上がりました。

 緑の隙間には灰色の銃身が連なり、無機質なモータ音と共に照準を合わせます。


 わたしの聴覚は反射的に保護システムが働き、音量を下げました。

 十字砲火が始まって箱が撃ち落とされていきます。

 銃座でしょうか。手持ち火器ハンドウェポンとは威力が違いました。


 敵はそちらに注意を向けて箱を飛ばします。

 それらは互いに連携を取りながら、ある箱は盾として使い捨てて、ある箱は体当たりで砲身をあらぬ方へ曲げます。


 エルか、ナツメ博士が支援攻撃をしてくれたのでしょう。

 続けて発電設備の地上部分がクルリと裏返り、ロケット砲が現れます。

 すぐさま発射された弾頭に反応し、可能な限り敵から遠ざかりました。


 命中。敵のキャタピラ部分が大破します。

 死んでいる人の体も高く跳ね上がり、この葉のように落下しました。

 無用の長物と化した彼らを見て考えてしまいます。


 今、もっとも恐ろしいのは……ナツメ博士から役立たずの烙印を押されること。

 この家に引っ越してきてから数日しか経っていないものの、前よりも優しくしてもらっています。

 エルともさらによく話しました。


 だから、わたしはとも会話できるようになったのです。

 帰属意識アイデンティティをどこに求めるのかを自分自身に問うのです。


 この駆体にどれほど価値があるのかは本を読んでも、エルに調べてもらっても、わからなかったのです。

 けれどわたしはその価値に見合う存在でなければなりません。


 わたしは。

 その証明を。


 力を貸して。内なるわたし。



………

……



 プリントアウトされたトウドウの指を物置に隠されていた端末に押し付ける。

 火器管制はローカル接続で即座にエルが掌握し、複数の提案サジェストがなされた。

 残りの人生で2度とオッサンの指だけを運ぶ仕事なんてしたくない。

 ヤクザのケジメじゃあるまいし。


 まずはからファイア。

 芝生の下に埋まった固定式の機銃で、豆鉄砲は立方体ドローンを何個か蜂の巣に変える。

 流石に人間が携行できる武器とはワケが違う。


 醜い豚アグリーピッグは驚異度の判定を変えたのだろう。

 リリィにかまけていたドローンを何個か機銃への攻撃に充てた。


 その間にを調整する。

 こっちは実のところロケット弾だった。

 ほぼほぼ無防備だったブルドーザーのような土台部分にヒットし、履帯を粉々に破壊する。


 轟音と振動がビリビリと伝わってきて、変な笑いが出てしまった。

 端末の画面に映し出された醜い豚アグリーピッグは車体を傾け、みすぼらしいエンジン音と共に後退を始めている。


『火力の低い武装から使用しています。予測通りリリィさんは退避してくれました。影響は出ていません』

「流石に賢いな。で、ここの設備で全弾発射すれば飽和攻撃サチレーションアタックできる……って寸法かな? 急造でよくもこんな家を用意したもんだ」

『カタギリファウンデーションの威信というやつでしょうか』


「ヤクザのプライドだろう。さて、第二波と行こうか」

『戦闘慣れしてますね、ナツメ博士』

「断じてそんなことはない。ヤケクソによる危機感の喪失と、ゲーム感覚だ」


 ポケットからピルケースを取り出したが、中身がカラだった。

 思わず舌打ちする。


 デカい的と、たくさんある的だ。

 七面鳥撃ちにはちょうどいい。

 やや調子に乗ってしまったが、みるみるうちに敵は数を減らしていく。


 ドローンは装甲が厚いとはいえ、一定時間の斉射を受けると表面がひしゃげて地に落ちた。

 散り散りに逃げながら砲塔を潰してくるがあちらの損傷も大きい。


警告アラート。残存するドローンの大部分がこちらに向かってきます』

「流石にバレたか」

『こちらの火力を十分に削いだという判断でしょう。それにナツメ博士がこの家に逃げ込むのを目撃されています』


「壁はどのくらい持つ?」

『一発で穴を開けられる程度の厚さしかありません』

「ちっとは防御力にもステータス振っとけってんだよ、ヤクザどもが!」


 毒付いて端末を離れた瞬間、物置の壁が粉砕された。

 細かい破片が顔に降り注いでくる。

 砂煙が止むと、よりにもよって太った男の顔付きのドローンが突っ込んでいた!


 丸いガラス越しにそいつがな視線を送ってくると、鳥肌が立った。

 死んだ魚だってもう少しシャキッとしてるぞ!


「なんで顔面付きが来るんだよ!? 1/729の確率だろ! 狙ってやったとしか思えない!」

『撃破のチャンスでは?』

「カラテでもやれってのか!?」


 冗談じゃない。

 中学生相手だって喧嘩に負ける自信がある。

 太った男の顔面をカバーしているのが飴細工だったとしても、パンチかましたら俺の方が怪我をする。


 潔く火器管制は放棄し、廊下へと逃げ出す。

 するとすぐ横の壁から別のキューブが突っ込んで穴を開けてくる。


 間一髪かわして走ると、またもすぐ後ろで衝突音。砕けた破片が背中に降り注いできて痛い。

 まるでクラッシックアーカイブで遊んだアクションゲームだ。


「エル、もっとも生存確率の高い方法の提案サジェスト!」

提案サジェスト。敵への投降をおすすめします』

「話が通じる相手か!?」


『何事も対話が重要です』

「ポンコツめ!」


 今度は進行方向の壁が破裂した。

 裂け目から顔を覗かせたのは、1/729の大外れ。

 またも太った男の視界に入ってしまう。


『シェルターはこの先です。行く手を塞がれました』


 続け様にキューブが廊下へ雪崩れ込んできた。

 窓ガラスは滅茶苦茶に破壊され、この世の終わり見たいに煌きながら雨と降る。


 死にたくない一心で俺はすぐ真横のドアを蹴り、文字通り前転しなが中へと転がり込んだ。

 リリィが使っている寝室で、ベッド以外には何もない。

 そこを横切って窓を開け外へと飛び出る。


 ちょうど前方にセーラー服姿の女の子が立っていた。

 背後は振り返りたくない。真っ黒なキューブが溢れているに違いなかった。


「リリィ、逃げるぞ! 逃げ切れるかは知らんが!」


 駐車場には黒塗りのヤクザカーが何台か停まっている。

 緊急時にとイグニッションキーも渡されていた。

 鍵とは名ばかりで実際は非接触の端末認証式である。俺が指をかざすだけでドアロックが解除され、モータが動く。


 時速はシティコミュターの3倍ほど。鈍間なタンク相手なら余裕で逃げ切れるだろう。空飛ぶドローンには微妙なところだ。


 カーチェイスに一縷の望みを託そうとしたら、リリィの様子がおかしい。

 猫背で腕をだらんと垂らし、前髪で目が隠れている。顔や腕の周囲からは蜃気楼が立ち昇り、奥の景色が歪んでいた。

 俺の声に反応がなく、ひたすら不気味なオーラを醸している。


「リリィ!」


 走る方角を微修正し、リリィの元へ向かう。もしかしたら機能停止しているかもしれない。

 リリィを抱えて走れないだろう。

 でも俺だけなら逃げ切れる可能性が残っている。

 それでも……放っておくなんて選択肢に無かった。


「おい、エル! リリィの様子がおかしい! どうなっている!?」

『駆体温度が上昇しています。強い力場を観測。正体不明』


 あと10メートル。

 そこまで近づいたとき、リリィは顔を上げた。


 いつもなら穏やかな目が据わっていた。

 瞳の色も金色に変わっている。

 動物的な勘が訴えてきて俺は両足を踏ん張って急停止した。

 そのすぐ横をドローンたちが通り過ぎてリリィへ体当たりを仕掛ける。


 ほっそりとした少女の首筋から、蝶の鱗粉りんぷんに似た物質が噴出していく。多分、頸椎にあるコネクタからだろう。

 そのカラーリングは瞳と同じ金色だ。


 続けて二の腕の分割線パーティングラインが開き、隙間に詰まった機械部品が輝く。


戦闘人格バトルフェイス、オープン」


 リリィの冷たく澄んだ声に応じて黄金の粒子がはためき、彼女の首の周りをマフラーのように覆う。

 否。単なる繊維ではなく、その端部は龍の首のように揺れ浮いていた。


 あとは……俺は立ち尽くしているだけ。

 謎の粒子と強い力場を操作したリリィは紙の小箱を潰すくらいの労力で次々とドローンを撃ち落とし(素手だが、実は素手じゃなかった。説明が難しい)、逃亡を図った土台を八つ裂きにし、最後はオーバーヒートして地面に倒れ込んだ。

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