第15話 謎かけは程々にしておけよ?

 リリィの特盛マグナムサイズのバストが実は放熱性を考慮したボディ設計だと気付いたのはかなり後のこと。

 小柄な体格に力率の高い人工筋繊維を詰め込んでいるせいで内部から発生した熱が篭りやすく、2系統ある神経系の膨大なデータ処理が状況を悪化させているのだ。

 だから体の表面積を稼いで少しでもクーリングしなければならない。


 身長と重量に制約があり、致し方なくアンバランスに大きな胸にしたのだろう。

 ヒュージ・バストは、熱交換器の役割を果たしていたのである。

 この変態的な設計を思いついた技術者を表彰してやりたい。


 勿論、クーラント(人間で言うところの血液だ)が体を循環しているから稼働している分には大丈夫だ。

 

 こう表現する以上は、普通ではない稼働状態もあるわけで。

 それはいずれ話すことになるだろうから、今は置いておく。


………

……


「ナツメ博士、どうかしましたか?」

「いや、なんでもない」


 視線に気付かれたので咄嗟に目を逸らした。

 ここは実にありふれた一軒家で、古き良きホームドラマの舞台になりそうな雰囲気である。


 リビングのソファは俺が住んでいた墳墓のものと違い、スプリングが飛び出ていない。

 テーブルに至っては満漢全席を乗せても余るほど広い。


 掃除ロボットに任せればいいものを、リリィはわざわざ膝をついて床の雑巾掛けをしている。

 セーラー服の上にエプロンを当ててなお、特盛マグナムの胸が目立つ。

 俺が枯れたオッサンだからいいけど、血気盛んな若者を近付けたくはない。


 機械だと分かっていても間違いを起こすだろう。

 生憎と俺は、その若さ故の過ちを見過ごせるほどの年寄りじゃない。

 

 それにしても丁寧な掃除だ。毎日欠かさず、同じクオリティでやってくれるおかげで塵ひとつ室内には見当たらない。

 手を抜くということを知らないのだろう。

 こういうところは好感を持てるし、清く成長している。


「でも落ち着かないなぁ」


 率直な感想が漏れてしまった。

 ぶっちゃけ、地下の方が俺には似合っている。

 スクリーンから作り物の陽光が差し込む方が気楽だ。

 自然の太陽を有難がるなんて意味が分からない。


『ネガティブ。せっかくの静かな暮らしにケチをつけない方がリリィさんの成長には良い結果をもたらすと推測されます』

「お前の処分をすっかり忘れていたよ、エル」

『ネガティブ。“エル”を放棄した場合、ナツメ博士のスケジュールに相当の遅延が発生すると予想されます』


「フレッドがあんなことになったせいで失注した。顧客ゼロのお荷物社員に成り下がったんだぞ」

『カタギリファウンデーションの売り上げからすれば微々たるものです。どうぞ気を落とさずに』

「やっぱデリートするわ。デリカシーの欠片もない慰め方しやがって」


 汎用AIは相変わらずだ。

 こんな欠陥品をリリースしたメーカーを訴えてやりたい。

 人工知能なワケだから大企業連合たる『BLACK』のうち、アメリカのB社か中国のK社あたりの製品だと予想している。


 俺のいたA社……つまりアマワが作ったというのは有り得ない。

 エルについてわざわざ詳しく調べる気も起きないが、こうもヒマだとトライしてもいいかなと思えてきた。


「ナツメ博士、掃除が終わりました。読書をしてもよろしいでしょうか?」

「おう、ご苦労さん。好きなだけ読んでくれ。ディベートがしたければ声をかけてくれ」

「わかりました」


 テキパキと掃除用具を片付け、エプロンを外したリリィは俺の隣にちょこんと座って読書端末を開いた。

 手のひらに浮かび上がった立体画像の本を一定のスピードでめくりながら読み込んでいく。

 あと10分もすれば手を止めて怒涛の質問タイムが始まるだろう。


 アンドロイドの初期状態のAIが7歳くらいの知能を持つのにはちゃんと理由があって、その年齢になれば文字が読めて他人とコミュニケーションもとれるからだ。

 視界から得た「文字の情報」を頭の中で「絵の情報」に変換できる。


 例えばという文字を読んで欲しい。

 大抵の大人はこの「文字の情報」から、実際に犬が走っている様子を思い描ける。

 これが文字を覚えたての子供では難しく、記号と絵が一致しない。

 逆にAIでは絵を判断して文字で表すのが難しかったらしいけど(猫と言ったらイエネコからドラえもんまでいる。トムキャットも)、今はそんなことない。


 まぁ、プリインストールをすっ飛ばして学習を始めるなんて手間だ。

 面白そうだからとやってみたら……案外、いいものだったけどな。


「ナツメ博士、ヒバナさんのお見舞いには行かなくていいのですか?」

「本の内容じゃないんだな」

「わたしが今、最も気になっていることです」


 パタンという閉じた音まで読書端末は再現してくれる。こういうディテールに拘る製作者の気持ちは俺にも分かった。

 でも自動でしおりが挟まる機能には疑問符が付く。


「回復に向かっているから大丈夫だ。ここに引っ越す前に面会しただろ?」

「たったの3分間だけです」


 おっ、時間に不平を持っていたのか。

 客観的事実として何分かを持ってくる辺りにを感じるけど、いい傾向だ。


「医者が3分だけって指示してきたから仕方ない」

「意識もあまりハッキリしていませんでした。ナツメ博士の名前を『ナツキくん』と間違えていました」

「あれは……まぁ、聞かなかったことに。リリィだって俺の名前を『ヤマメ博士』って間違えたことあっただろう?」


 小さな唇が「へ」の形になった。

 ちょっとだけ反感を抱いたのが伝わっってくる。

 お調子者で気障きざな『ナツキくん』なら、リリィのおでこを指で軽く押したかもしれない。


 生憎とそんなヤツは死んでいる。


「ヤクザの用意したヤクザハウスで、ヤクザにひっそり守られながらヤクザライフを送るんだ。それだけで給料が出るんだから、トウドウさんの家に足を向けて寝られないってモンさ」


 なお、蛇野郎の自宅の場所は知らない。

 あいつと仲のいい人間なんてカタギリファウンデーションの内部にいるのだろうか?


 リリィが『不浄の薔薇』ダーティローズなる殺し屋に狙われているから、トウドウの意向で強制的に引越しさせられていた。

 奴の狙いは餌に食い付いてくるバラの方でアンドロイドの身の安全など二の次だろう。

 だが、俺からしてみればありがたい。


 愛しい我が家こと墳墓(このネーミングは若干、失敗だったと思い始めている)に戻っても守れる可能性は皆無だ。

 結局はヒバナへの直談判も、面会時間とコンディションの問題からやめたのである。

 あんな容態で色々と考えさせるなんてしたくなかった。


「ナツメ博士、わたしはこんなに迷惑をかけてまで守られる価値があるのでしょうか?」

「そりゃグラサン黒スーツの円卓の騎士たちじゃ不満だろうけど、俺ひとりだと使い捨ての盾にもならないからな」

「15億円です。わたしを売れば、ナツメ博士は以後の人生が安泰だったのではないでしょうか? 敵性意志に晒されることもなかった筈です」


 正確にはリリィはカタギリファウンデーションの備品扱いだ。もともと死体だったから、そのうちバクテリア槽で処分して完了書類を受理しなければいけない。

 俺に金を受け取る権利なって一切ない。泥棒すれば話は別だ。


 素直で清らかだと思っていたリリィも、内面が複雑になっている。

 この疑問は帰属欲求や自己顕示欲の現れだろう。

 彼女は俺が「そんなことはない」と言ってくれるのを期待していた。

 これを裏切れば自尊心が傷つけられ、性格に影響が出てくる。


 エルは以前、俺がリリィを愛していないと本人の前で断言してしまった。

 それが一因となって出たセリフだろう。


 どうして俺なんかに好かれようとするんだ?

 思わずそう聞き返してしまいそうだ。

 俺は俺自身の価値を、腹の底からは認めていない。


 もっと正しくて素晴らしい人間が世の中にはたくさんいる。

 そいつらに認めてもらったらどうだ?


「じゃあ、想像してくれ。35年後のナツメ博士だ。リリィを売った金を株式や土地に投資して増やし、若年化手術をしぶとく何回も受けている。内臓も全部取り替えたからあと50年は生きられる。今度は膝の関節を交換しようと画策していたらクロネコ宅急便が届いた」

「わかりました。想像してみます」

「おぉ、久々にワインが密輸できたぞ! ガウンを羽織ったナツメ博士は上機嫌でコルクを開け、口の広いグラスに注いで転がす。いい香りだ。生きててよかった。アルコール禁止法なんて馬鹿げてる!」


「はい」

「そこへ、35年前からタイムマシンでやってきたピチピチで若いナツメ博士が現れるんだ。いつもの白衣、いつものチノパン、見るからに金が無い。若いナツメ博士は、醜く年老いたナツメ博士に会って何をすると思う?」

「タイムマシンの概念は知っていますが……どうなるか想像ができません」


「今度、面白いSF小説を貸すよ。『夏への扉』っていうタイトルだ。可愛い猫が出てくる」

「ありがとうございます。では、若いナツメ博士はその小説と同じことをしたのですか?」

「いや、違う。俺は……『』って捨て台詞を吐いてから元の時代に帰るよ。それだけで未来の俺は全身からワインよりも赤い血を吹き出して死ぬんだ」


「申し訳ありません。わたしには理解ができません」

「情報が不足しているから判断ができないというのが正確なところだろう」

「はい。その通りです」


「未来なんて分からないものなんだよ、リリィ。15億円あったところで豊かになれるなんて……生活は楽だろうけど……分からないんだ。例えば、ヒバナはもっと金を持っているのに自分が幸せだとは思っていない」

「幸福は相対的なものだと、本で読みました」

「それも真理だな。無一文でも幸せな奴はいるかもしれない」


「ナツメ博士は幸福になりたいと考えていないのでしょうか?」

「それについてはいずれ教えよう。俺が言いたいのは不確実な未来のために、今を投げ出す真似なんてしないってコトだ」

「わかりました」


 リリィの口角が少し持ち上がる。

 意味はちゃんと通じたらしい。

 彼女がまた読書タイムに戻ると、俺はウトウトと舟を漕いでしまった。


 半覚醒のままロクでもない幻覚にうなされ、タップリと1時間が経つ。

 古風な壁掛け時計を見上げると、おやつタイムだった。

 ツンと鼻腔をくすぐる香ばしい匂い……これは?


『ナツメ博士、リリィさんがコーヒーをれてくれましたよ』

「リリィが?」


 キッチンの方へ目を遣ると、リリィが湯気の立つカップをトレイに乗せていた。ソーサーには角砂糖がしっかりと2個置かれている。

 ちゃんと俺の好みを把握しているじゃないか!

 気を利かしてくれたことに胸が熱くなってしまう。


「ノンカフェインです」


 法律も遵守している。なんていい娘なんだろう。

 3%くらいの確率で、リリィの自発的行為ではなくエルがそそのかしたとも考えられる。

 そこには触れない。


「エルはコーヒー淹れてくれたことなんてないよな」

『ネガティブ。“エル”には駆体がなく、ドリップができないだけです』

「冷めないうちにどうぞ」


 残念ながら、このコーヒーをじっくりと味わうことはなかった。

 角砂糖をスプーンで潰しながら混ぜていると臨時ニュースが飛び込んできた。


 壁際に立体映像のAIニュースキャスターが現れ、その背後ではモクモクと黒い煙を上げたビルが映っている。

 字幕には「爆発物を搭載したバーティカルジェットがビルに突入。テロの可能性大」とあった。


 カフェインレスでも俺の目はハッキリと覚める。

 破壊されているのはカタギリファウンデーションの本社ビルだ。

 自分の頭を殴って夢じゃないかと確かめてみたが、コブができただけで全くの無駄だった。

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