第13話 ノーヘルはダメだって習っただろ?

 眩しい陽が差し込む娼館の執務室。

 それなりの規模の商売をしているだけあって広くて立派だが、中には血の臭いが充満して絶え間なく鈍い音が響いている。


 ひとりはセーラー服の女の子で、もうひとりは胸元に黒薔薇を咲かせた女。

 その2人が激突しているのだ。


 もし、ガード用のアンドロイドと強化外骨格スーツを纏った人間のどちらが強いかと訊かれたら俺は迷わず後者と答える。

 理由はシンプルだ。

 アンドロイドは人間を殺傷できないようにセーフティがかけられているし、稼働している限り絶対それは解除できない。

 

 つまり片方が防御するしかできない不公平アンフェアな戦いになる。

 だがリリィはアンドロイドの中でも例外らしく、黒薔薇の女の頭部を狙って攻撃していた。

 この点に関しては問題ない(いや、様々な事情でそういった躯体が存在すること自体が問題だけど)

 

 それでもなお苦戦するのは実力差による。

 スピードは互角、パワーだって負けていない。

 持久力に関しては間違いなくリリィの方が上だろう。


 だが技術の差が絶望的だった。

 否、人間特有の洞察力とでも評するべきか。


 黒薔薇の女は常にリリィの一手先を読んでいるかの如く立ち回っている。

 焦らず、冷静だ。

 見ているこちらが鳥肌を立ててしまうほどに。


 駆体のバランスが崩れたり、人工筋繊維が伸びきったり、視界でカバーできないポジショニングになったり、そういった場面を切り抜いて攻撃してくる。

 本人の身体能力以上にアンドロイドの運動に対する知識と経験を武器としているようだった。


 一方のリリィも体の動かし方自体は心得ている。

 決して鈍いわけでは無い。むしろ、性能的には現代的な戦闘用アンドロイドと同レベルの域にいると思う。


 どこにそんなメモリーが残っていたのか……俺の推測では、2系統ある神経(フレッドはデュアルパルスとか呼んでいた)が関係している。

 それを確かめるのはもっと後でいい。


 ぶっちゃけてしまえば、ムカつく。

 30過ぎてこんな言葉を使うのも稚拙だと自覚しているけど。


 一緒に暮らしている女の子が殴られ、昔馴染みが銃で撃たれ大怪我させられているのだ。それなのに俺自身は棒立ちである。


 恐怖と、怒りと、情けなさと、捨身。

 複雑な感情の掛け算が精神を揺るがし、どうにか自分自身を宥めてチャンスを待った。


『ナツメ博士、このままではリリィさんが危険です。作戦を決行してください』

「わかってる。けど、もう少し待て」


 エルはいつになくボリュームを下げており、俺も合わせて小声になった。

 最大の効果を得られるタイミングがある。


 殴打を重ねられたリリィの皮膚は傷付き、敵のフレームのエッジ部が当たってセーラー服もあちこち破けていた。

 皮肉なことに、この建物は非合法のSM風俗店である。

 時にはこういった見世物が出されていることを俺は知っていた。


 柔肌が裂かれ、暴力が儚い少女を呑み込んでいくエンターテイメントはがある。

 そう考えている輩がたくさんいるのだ。


 俺も、それに提供側として加担している。

 だから余計に胸糞が悪くなった。


 自分の生み出してしまった商品がところを、直に見たことはない。フレッドに誘われたことはあっても断った。

 そんな程度のものを良心だと誤魔化して目を逸らしてきた。


『ナツメ博士』

「……すまん、考え事していた」

『ネガティブ。リリィさんは戦っています』


「なぁ、エル。俺があの2人の間に割って入り、右の頬と左の頬へ同時にパンチを喰らって脳漿をぶち撒けたとしよう。俺の魂は天国へ逝けると思うか?」

『ネガティブ。死んだ後に待っているのは無だ……と“エル”に教えたのはナツメ博士です』

「手厳しい。決意が鈍る。じゃあ、エルはリリィから天国の実在性について訊かれたら何て答えるんだよ」


『リリィさんの清純な魂は、きっと天国に到達できるでしょう。そう答えます』

「ポンコツめ」


 くだらない会話で気が紛れた。強張った体に血流が戻り、多少は動けそうな雰囲気になっている。

 リラックスってのは大事だ。

 こんな命がかかった場面でも。


 辛抱強く待っていると打撃の喧騒が止み、リリィが踵を浮かせたまま横に移動しはじめた。黒薔薇の女を円の中心に回っている。

 攻めあぐねている様子が伝わってきた。


 一方の敵は視界の中心にリリィを捉えているため、だんだんと向きが変わっていく。

 俺に対する脅威度を評価した結果だろう。

 このまま順当に時計回りしてくれれば、入り口側にいる俺に背を向ける。

 もう2度と来ない。これは千載一遇のチャンスだ。


 1秒で変化する黒薔薇の女の角度を大雑把に読み取り、単調な動きを予想してちょうど外を向くタイミングを図る。


「エル、3秒後に作戦実行」

『了解』


 額と背に汗が滲み、時間が凍る。

 数秒が永遠に来ないのでは無いかと錯覚した。


3……


 けれど落ち着いている。

 足の親指に力を込めているのに。


2……


 直前まで悟られてはいけない。

 俺はカウントダウンが終わるまでは傍観者だ。


1……


 敢えて意識しない。

 次の数字を読み上げるまで頭は空っぽ。


ゼロ!!


 ギリギリまで堪え、そして……エルがに無線信号を送った。

 部屋は一瞬で闇に包まれる。


 作戦決行だ!


 このオフィスには日中、眩しいくらいの陽が差し込む。

 高さのある天井にへ向けて広がるガラスは見栄え良く光を取り入れる設計なのだろう。


 しかし、これだけ明るいと実務には差し支えが出る。

 いかにも大事そうに飾っているトロフィーやら写真やらも太陽光で焼けてしまう。


 それならば当然、カーテンがある筈だ。

 余程アナログな場所でも無い限り。それは布製じゃない。


 簡単なコントローラーから無線信号を送り、光の透過率を変化させるガラスが普及している。

 こいつはネットワークを介するほど大袈裟な機器ではなく(つまり今の状況でも使える)、デフォルトならば透明度100%に設定されていた。


 案の定、この部屋にも透過率変化式のガラスカーテンが備えてある。

 エルはそれにアクセスして透明度を0%にしたのだ!


 運動不足と疲労で死にそうな体に鞭打って、俺は部屋の出口を目指して駆け出す。


 黒薔薇の女は強化外骨格スーツとセットであるべきスクリーンヘルメットを装備していない。

 自分の目で直接、周囲を確認している。


 本来ならメットに光度調整機能が備わっていて、明るい状態から暗くなっても視界は確保できる。

 けれど人間の目は一瞬で闇に慣れたりはしない!


 俺の無様な足音は陽動だ。

 1秒……いや、0.5秒でもいい。

 敵がパニック状態に陥って引っかかってくれることを祈る。


 その間、戦闘用アンドロイドのリリィは暗視モードへ切り替わる筈だ。あるいは視野以外のセンサーが動作する。

 どれも内蔵していなければクレームものの必須機能なので、この部分は勝率高めの賭けだ。


 うまくいけ!!


 相手が視界を潰されている一瞬でリリィがカタをつけるか、俺が外へ出て助けを呼ぶか、どちらか!

 黒薔薇の女は単身だから両方には対応できない!


 全ての時間がゆっくりと流れ、感覚的には10秒くらいしてから小さな呻き声が聞こえる。

 同時に樹脂がひしゃげる音がし、窓ガラスに放射状のヒビが走って割れた。

 信号による制御を失ったため光の透過率はデフォルトの100%へと戻り、今度は一気に明るくなる。


 しまった!

 俺の目がやられた!

 迂闊に振り向いた間抜けさを呪いたい!


「ナツメ博士!」


 反省会中の俺の元へ軽い足音が駆け寄ってくる。

 どうにか目を開くと、傷だらけのリリィが俺の二の腕に手を掴んでいた。

 いつぞやのモップのように骨が折れたりはしない。

 ちゃんと力をセーブしている。


『ネットワークの機能回復を確認。敵は撤退した模様です』


 エルの報告を受け、茫然と外へ目を向ける。

 執務室には主人だった男の死体と、リリィの握力によって引き千切られた強化外骨格スーツの部品が散らばっているだけで、黒薔薇の女の姿は無かった。

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