第12話 頭の中のネジが外れているだろ?
黒薔薇の女が歩くと、ハイヒールの踵から金属音が鳴る。
テンポよい硬質な音は数回で止んでそいつは自然体で立ち止まった。
身に纏っているのは見覚えのある強化外骨格スーツである。勿論、踵もその一部で腕や脚もフレームに覆われていた。
俺が過去に働いていた会社の製品で、卸先は海外の軍隊である。
防御力に特化したわけではなく、主に敵地での諜報を目的として機動力を高めたタイプだ。
だから視界を確保するように全周囲のスクリーンヘルメットがある筈なのだが……この女は何故か被っていない。
おかげでツラがよく拝める。ヒバナほどじゃないがなかなか綺麗な顔立ちだ。
だが、このスーツは民間人が入手できる代物ではない。
それだけで黒薔薇の女の
このままではただのリバースおじさんで終わってしまうので、どうにか正気を保とうと敵を分析してみた。
あまり効果的とは言えず、恐怖に負けて動悸が早くなる。
ヒバナを襲った憎い奴を前にしているのに。
俺が虚弱なんじゃない。状況がタフ過ぎるんだ!
蠢く胃液が食道を焼きながら遡ってくる。そのこと自体は何の不自然もない!
幼馴染が撃たれ、顔見知りが殺されたんだぞ!
その犯人である黒薔薇の女は口端を吊り上げて歪な笑顔を見せる。
次の瞬間には補助機構で覆われた腕を振り抜いていた。
オッサンの動体視力では2コマにしか見えない。腕が上の状態と、水平の状態の2つだ!
しなやかな指先から放たれたナイフが折れ目掛けて飛んで来るが、リリィはそれを素手で掴んで止めた。
「ナツメ博士、安全のために動かないでください」
「どうする気だ!?」
「敵性意志を確認しました。倒します」
いつもより釣り上がったリリィの目は、手配書の中で軍服を着ていた時と同じものだ。
光を反射せずに呑み込んでしまう真っ黒い塊みたいな何か。
クソみたいな仕事に浸かっていた俺は知っている。
ヤクザもチンピラも詐欺師もあんな目はしない。
1度だけ、直に見たことがある。
忘れやしない。フレッドのライバル店とトラブった時だ。
そいつは人間だったし、人形じゃない。
そもそもアンドロイドのような知性機械は人間への殺傷が許されていなかった。AIだってそうだ。
主人をデスマラソンで殺そうとした不良品もいるけど。
BLACKを含む製造企業はそういったセーフティを、最高峰の頭脳と資金で念入りに構築している。
だがリリィのあれは……殺し屋の目だ!
『ネガティブ。ネットワークが遮断されています。ローカルモードで起動。ナツメ博士はリリィさんの指示に従った場合がもっとも生存率が高いと推測されます』
「ポンコツが!!」
あの強化外骨格スーツには
だからといって安っぽいオートマチックの拳銃やナイフを使うのは正気の沙汰じゃない。
1発打ち込むだけで内臓をズタズタにできる弾丸や、幅広くワイヤーを飛ばして対象を絡めとる非殺傷武器だってある。(後に気付いたが拷問目的で威力の低い武器を持っていた可能性がある。フレッドは弄ばれて死んだ)
部屋の外と通信ができない。
かといって出口に向けて走り出そうものなら後ろから刺されるだろう。
固唾を呑んでリリィを信じることにした。
黒薔薇の女は自然体から腰を落として真横へ飛ぶ。
同じ方向へ奪ったナイフを投げ、牽制するリリィ。スクリーンヘルメットを被っていない敵の頭部を狙っている。
もう1度、言おう。
アンドロイドは人間を殺傷できない。これは人格のプリインストール云々の話ではなく、生物で例えるなら遺伝子レベルの問題なのだ。
性格が穏やかなクジラが陸に上がれば自重を支えられないし、気性の荒いフクロウは鰓呼吸で海の中を泳げない。
脳味噌に電極を埋め込んで外的な刺激を与え、本来の性質をブチ壊しにして作り替えたとしても。
滑稽な表現をすれば、そういうことである。
黒薔薇の女は明らかに生身の人間で(そうでなければ強化外骨格スーツで武装しない)、リリィは間違いなくアンドロイドだ。
2077年の常識にヒビが入り、今にも砕けそうになっている。
俺が唖然としていると、相手は動じずそのナイフを右手ではたき落とした。
射線にピタリと重なったリリィは既に床を蹴っている。
動作が速い。もうちょっと距離があれば飛び道具に追い付いていたかもしれない。
そこから2人は四肢を使った打撃戦にもつれ込む。
驚くことにリリィは徒手格闘にも通じていた。
半身になって腕を突き出し、相手の拳や蹴りを捌いていく。
もう疑う必要もない。リリィの駆体が意味する物騒な用途がこれだ。
あのボーッとした無垢な子は戦闘用のアンドロイドで間違いない(決して珍しいものではなく、民間向けにガード専用の駆体も売られている)
そして
リリィは最初期、ハードウェア的なリミッターがなかった。たかだか掃除も完遂せず道具をぶっ壊した。
まさかそんな低レベルな部分から教育が必要だなんて想像もしていなかったのである。
おかしいとは思いつつ力加減を教えた。リリィは反復して学習している。
けれど、こんな状況の対処方法は伝えていない。
メモリーを失ったあの子がどうして戦い方を覚えているのかまだ説明はできないけど……
リリィはおそらくソフトウェア的なセーフティも持っていない。
どこぞの輩か知らないがバイヤーが15億円も出す理由が分かる。
地球上で稼働するアンドロイドの数は全人口の半分ほどだと言われているが、その中で唯一の存在となるだろう。
あの子は人を殺せる。
俺以上のクソみたいな根性を持った野郎がBLACKに交わらず独力で、そう造ったのだ。
「狙われていたのはヒバナじゃない。リリィだった」
『どうかいたしましたか、ナツメ博士?』
ステップを間違えば拳が突き刺さるという、実に暴力的なダンスが続いている。
時間が経つにつれ、徐々にリリィが追い詰められていった。
黒薔薇の女の攻撃を避けられず、逆に苦し紛れの攻撃は避けられている。
こんな短時間でアンドロイドが疲労するわけもない。
それだけ相手が戦いに精通して強いということだ。
このまま放っておいたらリリィが負けてしまう。
見ているだけしかできないのか、本当に。
どうせ死んだも同然の人間だ。
今更、何を怖がる必要がある?
失うものなんてハナから無いんだ。
そう思ったら疲れ切った頭も体も軽くなっていく。
「……エル、確認だ。付近のネットワークはダウンしているんだよな?」
『はい。この部屋のドアロックが外れていたのもその影響でしょう。地震や火事でシステムが故障した際、避難経路を塞がないよう安全側に設計していたと考えられます』
「ということは、あの黒薔薇の女が着ている強化外骨格スーツも
『86.7%の確率でナツメ博士の見解が正しいと考えられます』
「加えてスクリーンヘルメットを被っていない。あのタイプのスーツはメット内のマイクへの音声入力や顎のセンサへの接触入力がないと補助機能が使用できない。敵はそれらを放棄している」
『92.2%の確率でナツメ博士の見解が正しいと考えられます』
単なる身体能力の向上目的か。
しかも通信できないから単独で判断している筈だ。
「エル、この部屋の中にアクセスできそうな機器はあるか? 外へのネットワークは介さない、ローカルな機器間だけの通信だ。イヤホン型ミュージックプレイヤーとハンディコントローラーみたいな関係の」
『数十メートルの短距離且つ電源の入っているシンプルな機械であれば可能です。該当機器を検索中。いくつかあります。それは……』
答えを聞いて30秒だけ考え込む。
リリィの武器、敵の特徴、俺が打てる手……
「OKだ。やってみよう」
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