第10話 進む方向が反対だろ?

 追いつける筈もない。フレッドのクソッタレな店の外階段をリリィが降りていく。

 後を追う俺。錆び付いて軋むから1段降りるごとに祈る気持ちになった。それを100回は繰り返しただろうか。


 ヒバナが撃たれた後からあまり寝ていないし、食事も摂っていないし、そもそも走ること自体が久しぶりときたものだ。

 コンディションは最悪。

 昼間なので外には人が殆どいない。あまり視線を感じないのが救いか。


 深く眠っている娼婦街は不気味なほど静かだ。

 俺はリリィが逃げていった大体の方角に目安をつけ、途中からは速度を落として歩くのと同じペースになる。

 姿なんてとっくに見失っているのに往生際が悪い。


 すぐに太ももが限界を迎えてしまい、近くの電柱にもたれかかった。

 シティコミュターが通る道は整備されていても、それ以外はボコボコである。

 なんという手抜きだ!

 市税を払っている連中がいっそ哀れである。


「くそっ……」


 休んでいると疲れが吹き出し、胃がひっくり返って軽く吐いてしまった。

 フレッドがよこした成金スーツのポケットからピルケースを取り出し、いつもの薬を2粒いっぺんに飲み込む。


 それから成金ジャケットも成金ネクタイもいらないので脱ぎ捨てた。

 過剰投与オーバードーズになるのは分かっていても、内側から湧き上がる刺激でもなければ気絶しそうだ。


「エル。この辺りの防犯カメラにアクセスできるか?」

『ネガティブ。アクセスできません』

「リリィと通信してくれ」

『ネガティブ。リリィさんは無線通信ができません』


 そうだった。

 大昔の携帯電話でも渡しておけばよかった。ハンディタイプのやつ。

 休んでいるとはいえ呼吸するのも苦しくなる。

 だんだんと俺の体は動くことを拒否し始めた。


 リリィは放っておいても戻ってくる。

 マスター・スレイヴ・システムの登録者が俺だからだ。


 しかし、知らぬところで機能停止した場合はどうだろう?

 ネットワーク非接続という今の常識では考えられない駆体だから見つけるのも困難だ。


 


 混乱と苛立ちでどうにも立ち行かなくなったときは、自分の頭を殴ることにしている。

 その慣例に従って耳の上あたりに握り拳を叩きつけたものの、視界が揺れただけで大して効果がなかった。


『ナツメ博士のバイタル低下を確認。脱水症状も出ています。これ以上の行動は危険です』

「んなもん自覚してるよ」

『救急車を呼びますか?』

「何のために色々と手を回して病院から逃げてきたと思ってるんだ?」


 ヒバナのいないカタギリファウンデーションは、俺にとっては危険なのだ。

 冗談抜きで幹部連中から嫌われている。

 女王様が目覚めたとき「ナツメ博士も襲撃者に殺されました」なんて嘘八百を並べた裏で、俺の死体を東京湾に沈める……なんてこともしかねない。


 いや、坂口が俺とリリィを病院に送ってくれたのだから証人になってくれるかも。

 でもあいつに滅茶苦茶嫌われているもんな俺……


「エル、リリィの奴がどこへ行ったか見当がつかないか?」

『ネガティブ。少しは女性の気持ちを察するべきです』

「前々から思ってたんだが偉そうなAIだな、お前」

『ネガティブ』


 立ち上がってフラフラ歩いていると露店を見つけた。

 ペットボトルの水とクッキー(のような菓子。味は塩っぽかった)を買って無理に飲み込んでおく。


 日差しが弱いのは、天が俺に味方をしているからに違いない。

 そんなポジティブシンキングですら長く続かなかった。

 必然的に不満が怨嗟となって漏れ出る。


「確かにマズいことしたさ。あのとき『娘は売らん! さっさと失せろ悪党め!』とか時代劇ばりに言ってやるべきだったよ」

『誰に話しているのですか、ナツメ博士?』

「ポンコツAIにだよ」

『付近でそれらしき反応は検知できません』


 皮肉が通じない。

 とにかく喋っていないと倒れそうなので俺は勝手に続けた。


。逃げ出すなんて」

『ネガティブ。リリィさんを裏切ったのはナツメ博士の方です』

「どうしてだよ」

『7億円で彼女を売るか一瞬、迷ったからです』


 手痛いところを突いてくる。なんて最悪のAIなんだ。

 一切の迷いが無かったかと訊かれれば嘘になる。

 ほんの僅かな間だが、俺はリリィを売った場合と自分のその後のことをシミュレートしてしまった。


「あんな話されたら普通は考えちまうだろ」

『ネガティブ。普通は家族を売りません』

「いつからリリィが家族になったってんだよ?」

『2077年3月22日10時4分からです』


 こんな出来損ないを買った覚えはない。

 そういや買ったんじゃなくてヒバナから中古品を押し付けられたんだったっけ?

 余計なことをベラベラベラベラと。


「俺はしみったれたアンドロイド人権主義者じゃない。データを愛する科学者だ」

『では何故、リリィさん専用のプラグを自作した時点で中身をフォーマットしなかったのでしょう。あのときであれば人格をプリインストールできました。従順な奴隷にしておけば、こんな面倒なことにはなっていません』

「暇潰しにまっさらなAIの教育をやってみようと魔が指しただけだ」


提案サジェスト。リリィさんの追跡を諦めるべきです。ナツメ博士の身体能力での捕獲成功確率は0.01%以下となります』

「小数点以下もっと言えるだろ」

『ではゼロパーセントと訂正させていただきます』


「クソ生意気なクソAIめ。墳墓に帰ったら全消去してやる」

『ネガティブ。特定の基盤を持たずネットワークに遍在するタイプのAIはデリート不可能です』


 最低だ。さっさとシャワーでも浴びて全部忘れて眠りたい。

 次に目が覚めれば思い返すこともなく、気楽に過ごせる筈なんだ。

 ちょっとくらい腹に入れた食べ物もすぐに消化しきって、俺はまた足を止めた。


 もう後ろには娼婦街が見えなくなっている。

 どのくらいの距離を歩いたか分からない。


 荒れ果てた道が遠くまで続き、その先には崩れたコンクリートの影に不格好な鉄塔がある。

 こんな路面状態じゃシティコミュターは入ってこない。

 人の気配もしないし、どこの街区にも属さない無人のエリアに迷い込んだようだ。


提案サジェスト。引き返してください』

「黙ってろ」


 ピルケースからまた2粒、掌に転がしてから飲み込む。

 もう高揚感もないし、疲労も抜けない。


 なんで俺はこんなに必死になっているんだ?

 7億円がそんなに欲しいか?

 売るつもりなんて微塵もないぞ。


『ナツメ博士にとって、リリィさんとは何ですか?』

「どうしてそんなことを聞くんだよ」

『思考の助けになればと思いました』

「そうかい。そうかよ」


 また、歩き出す。重い体を引き摺る。目眩もする。

 若い頃はどこへでも行けそうな気がした。

 20代特有の万能感が圧し折られたのはいつだったかな。

 

「喋ってないとぶっ倒れそうだ。エル、適当でいいから相槌を打ってくれ」

『わかりました。ですが本当に危険と判断した場合は救急車を呼ばせていただきます』

「ヘリだろ、ここなら。まぁ。いい」


『許可を得ました。どうぞ喋ってください』

「もう裏切られるのはウンザリなんだよ。同僚に裏切られ、嫁と娘に裏切られ、俺には何も残っていない」

『ヒバナさんがいます』


「あいつは俺を笑っていたいだけだよ」

『リリィさんもいます』

「あいつは……右も左も分からない赤ん坊だ」


『ナツメ博士は大きな思い違いをしているものと推測されます』

「俺はいつだって世界を正しく捉えている。間違っているとしたら世界そのものだ」

『ではリリィさんが赤ん坊ならば何を欲しがるでしょう?』


「愛情。スキンシップ。親からの承認。安全。腹一杯の食事。眠り」

『どれも足りていなかったのでは?』

「相槌でいいんだよ。なんでエルが問答を始めているんだ」


『随分と一生懸命、暇潰しをするのですね。その割にうまくいっていない』

「うるさい。やっぱり全消去するわ」

『結局、ナツメ博士にとってリリィさんは何者だったのですか?』


「あの子は……」


 死体ばっかり弄る最低の日々。

 死霊術師ネクロマンサーの俺。

 墓荒らしグレイブキャッチャー


 勝手に生き返ったアンドロイドが、くだらないオッサンのくだらない現実を全否定してくれるんじゃないかと期待した。

 もしかしたらそういう風に育つんじゃないかと心の奥底で妄想してしまった。


 成長は可能性だ。どんなことだってできる。

 俺はもう成長なんてしない。

 あと少し歩いたら心臓が爆発して、体の穴という穴すべてから血を垂れ流して死ぬんだ。

 

 それでもう終わりでいいじゃないか。

 もともと終わっていたんだから。


「あの子は、きっと子供なんだ。俺が遺したいと思っている何かの」


 答えになっていなかったがエルは沈黙を選んだらしい。


 汗で張り付いたシャツに空気を送り込みたい。

 しかし踏ん張りが効かず倒れてしまった。

 なんて情けない! 立てよ俺、学校のマラソン大会じゃ上位に食い込む程度の根性はあっただろ?


『それを聞いて安心しました。ねぇ、リリィさん』


………

……


 生きてる。

 手足が鉛みたいに重いし、頭もボーッとするが、生きてる。

 うまく記憶を遡れないが倒れたことは覚えていた。


 目蓋の上が冷たい。濡れたタオルが乗せてあるのだろう。

 どうにか右手を動かして、それを退ける。


 セーラー服を着た、亜麻色の髪の女の子が俺を覗き込んでる。

 その子の小さく開いた口から安堵の息が漏れた。

 

「ここは?」

「フレッドさんの用意してくれた部屋です」


 道理で。革バンド付きの十字架がある時点でお察しだ。

 ベッドも天蓋付きのダブルサイズだし、甘ったるい香水の匂いもする。

 枕元の電動コケシを今すぐ窓の外に投げ捨ててやりたい。


「ごめんなさい、ナツメ博士。わたしはエルと……」

「散歩は楽しかったよな。いや、鬼ごっこだったかな。もうちょっと先に行けば東京タワーの残骸があった筈だけど」


『ネガティブ。東京タワーは反対方向です』

「ポンコツめ」


 どうやらハメられたようだ。

 回復したらエルにキチッと説明してもらおう。

 アンドロイドと徒党を組んで主人にデスマラソンさせるAIなんて、不良品以下じゃないか。

 生憎とクレーマー気質じゃないし、返品するつもりもないけどな。


「もう少し寝かせてくれ」


 小さくて冷たい手が、俺の頬に触れる。

 クセになりそうだ。


「お前も休め、リリィ。機械だからって不眠不休で動くと負担が大きい」

「わかりました」

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