第9話 手数料がボッタクリじゃないか?
近いイメージで例えると香港の九龍城だ。
ゲームや映画で有名だから俺でも知っている。
1世紀近く前のスラムと、この娼婦街の雰囲気は似ている。
あるいは立体的ウィンチェスター・ミステリー・ハウスか。
とにかくゴチャゴチャしていてビルに後付けされた部屋まである。
巨大な灰色の長方体に、小さな立方体がコバンザメの如く引っ付いているのだ。
あの中に人が住んでいるのかと思うとゾッとする。
いや、地下住まいの俺が言えた義理じゃないな。
失礼だったから訂正しておこう。誰も聞いてはいないだろうけど。
その上、フロントには案内用のアンドロイドがいて(絶対に隣を歩いて欲しくない服だ)俺とリリィはアポを取ってあったから素直に通された。
ヤツのオフィスは3階という中途半端な高さにあり、崩れそうな階段を登ってようやく辿り着く。
客を取る部屋は綺麗にしてあるくせ、通路はおざなりで幽霊でも出てきそうな雰囲気だ。
流石にリリィにも「目を開けていい」と指示しておく。
転んでしまってはかわいそうだ。
「ナツメ博士、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……」
……階段がキツくて息が切れたじゃないか。単に運動不足だけど
成金スーツの襟元をただし、成金ネクタイを締め直して像でも通れそうな大きさの木製ドアをノックする。
すると天井のカメラが俺の姿を認識し、セキュリティが外れてフレッドの執務室の扉が開く。
取引をはじめた頃に1回だけ訪問したことがあった。
そのときと何も変わらぬ趣味の悪さが露呈している。
どんな楽しみがあるのか理解しかねるトロフィーやら盾やら写真やら。
その中にはカタギリ・ヒバナと握手しているものもあった。
「あらあら、久しぶりね先生!」
デスクから立ち上がって猫撫で声を出した男がフレッドだ。
ビジネスシーンと対極に位置するファッションで、ギリギリ乳首が隠れる丈の革ジャケットを素肌の上に着ている。
髪の毛は頭皮の左半分からしか生えておらず、森の中に隠れても一発で発見されそうな色で染めていた。
おおよそここは執務室と思えず、彼も執務室にいるべき人間とは思えない。
そんなナリで経営者ができるんだから、俺くらい真面目なら大統領にだってなれる筈だ。
「久しぶりだな、フレッド」
なるべくフレンドリーに。しかし警戒は崩さず。
きっと頬が引き攣っていたに違いない。
しかしフレッドがそんなことを意に介さないのは知っていた。
「会えて嬉しいわ」
「俺も」
ハグされる前に手を差し出し、握手に押し留めてやる。
握り返されただけで背筋が寒くなってきた。
フレッドの部屋の奥には鉄扉が建て付けられている。
噂じゃあの先は、娼婦街を見下ろして野外プレイできるベッドが置いてあるそうだ。
引きずり込まれないようにするのが最大のミッションである。
「どういう風の吹き回しで会いに来てくれたのかしら?」
「色々と困ったことがあってね」
応接用のテーブルとソファは、俺んトコよりも豪華だ。
座るように促されたがその前に。
「この子は、アシスタントをやってくれている」
「リリィです。はじめまして」
「あ、そうなの」
塩対応である。
こいつは女に冷たい。それが機械の女だったらさらに酷い。
だからこそアンドロイドの娼館なんてもので食っていけるのだろう。
しっかりと挨拶したリリィに「廊下で待っていてくれ」と告げ、退室させておく。
アダルトな会話を聞かせたくなかった。
「わかりました、ナツメ博士」
お辞儀をして去っていくリリィを、フレッドは意外にも目で追っている。
女の尻に興味はないと思っていたがまさか……な。
「今日は直接、詫びに来た。しばらく『ゾンビ』を納品できない」
「あら、それはそれは。もしかしなくてもカタギリファウンデーションの騒動に関係あるのかしら?」
「情報が早いな。さすがだ」
しれっと褒めておくと、フレッドは嬉しそうに顔を歪める。
若造に見えるがこいつも美容整形に金を惜しまないタイプだ。
こいつの実年齢に興味なんてないが結構な年齢だと思う。
「あの女社長も災難ね。ま、あれだけ大きな会社を動かしていれば恨まれもするだろうけど」
「勝利の女神だからな。敵対してる奴からすれば溜まったものじゃないだろ」
よかった。
まだ全貌を掴んでいない。
それなら売るネタはある。
「で、先生は何をしにここへ? お詫びだけじゃないでしょ? あんな周りくどいもの用意させておいて」
「一時的に頭を失ったカタギリファウンデーションが、俺を排除するかもしれない。だから匿って欲しいんだ」
「先生は利益を上げて立派に貢献しているじゃないの。堂々としていればいいのに」
「普通の会社でも人事評価なんて上にいる連中の好き嫌いと数字の比較さ。ヤクザの世界はもっと酷い。感情論とパッションだ」
「嫌われてるの?」
「そうだよ。特に幹部連中から。副社長のトウドウに至っては命じゃなくて尻を狙ってくる」
額を押さえたフレッドは甲高い笑いを上げる。ジョークがツボに入ったのだろう。
声が大きいので廊下まで響いているだ。リリィも聞いているに違いない。
「先生ったら、ポッと出のクセに女社長の愛情を独り占めしてるものね! そりゃ嫉妬されるわよ!」
「おいおい、フレッド。勘違いしないでくれ。あいつとはただの幼馴染みで、成人式の日に会ったきりだったんだ」
「成人式で会って、その次に再会したのが30歳半ば?」
「正確には33歳だったかな」
「愛ね、愛! 横恋慕なんてしたらアタシが殺されるわね! 刺激的! とても刺激的な恋だわ!」
「おもちゃで遊んでる感覚だぜ、あいつ」
仕事も嫁も娘も失った同級生の姿がさぞかし愉快だっただろうに。
ヒバナには色々と偉そうな態度をとっていた記憶があるが、大人になって立場は見事に逆転したわけだし。
「真面目な話、カタギリ・ヒバナの後ろ盾が無いとヤクザどもから抹殺される可能性すらある。怖くて研究所は放棄してきた。ま、トラップは仕掛けさせてもらったけど」
「女社長の容態が回復するまでアタシが先生の面倒をみればいいの?」
「あぁ、頼むよ。あんたを取引相手として信用している」
「容態が回復しなかったら?」
「回復するよ」
しばらくの間、フレッドは考え込んでいた。
俺(と背後にいるヒバナ)を取るか、カタギリファウンデーションの幹部を取るか、どちらが得か悩んでいるのだろう。
所詮は虎の威を借る狐に過ぎない。
だからもう少し旨味を出してやる。
「ちなみに俺は、賊の姿を目撃している」
とっておきのカードを切った途端、フレッドの目の色が変わった。
トウドウがどこまで情報を伏せてやり返すのか想像でしかない。
けれど自分たちの手柄にしたがるのは目に見えていた。
「いいわ。先生の望み通りに」
「取引成立だな」
例の『黒薔薇の女』のことを伝えると、フレッドはどこかへ電話をかけた。
部下への指示かもしれない。
ふと廊下で待っているリリィのことが気になってきた。
さっさと執務室を出て、部屋でも借りて休みたい。
「あぁ、そうそう。襲撃犯のこと以外で取引したいの」
「取引? ウィルス・プログラムは売らないぞ。コッチの商売が成り立たなくなるからな」
「違うわ。廊下で待っているアンドロイドのことよ」
思わず怪訝な顔をしてしまった。
野郎の尻ばかり狙う男のセリフとは思えない。
そういえば、リリィのことを気にしていたようだが……
「7億出すわ。あのアンドロイドを売って」
「リリィを? 正気か?」
おいおい、
そいつを働かせれば減価償却だって可能だ。
自分の中のセンサーが激しく反応している。
前にハメられたときと同じ臭いがプンプンした。
「この前、連絡くれたでしょ。死体の中にウィルス・プログラムが効かない駆体が混じっていたせいで納入数が1体減る……って。そのアンドロイドってあの子なんじゃない?」
「……」
明確には答えない。沈黙しておく。
どうにも雲行きが怪しくなってきた。
後ろのことよりもコッチを警戒すべきだと本能が訴えてくる。
「もしかして気に入ってる? それでも7億は破格だと思うけど」
「二の腕を見ただろ。
「構わないわ」
「マスター・スレイヴ・システムの登録じゃ俺が持ち主になっている。けど実質的にカタギリファウンデーションの備品だ」
「元々は廃棄予定だった筈よ。『ゾンビ』化が終わった後はバクテリア槽で溶解処分しなきゃいけない。カタギリのフロント企業だっていつまでも所持していられないわ」
「法的には。けどそんな書類、いくらでも書き換えられるさ」
「先生はご存知ないかしら。世界中のアンドロイドはBLACKが独占生産しているけど、そうでない駆体もごく稀にいるわ」
「高価な実験機や高度な技術を持った個人ならあり得ない話じゃない。俺だって知っている」
「じゃあ、あのアンドロイドがブローカーの手配書に掲載されていることは?」
呼吸が止まった。
きっと、人生で4番目くらいに間抜けな顔を晒していたに違いない。
フレッドは愉快そうに続ける。宝物を自慢するガキみたいな顔で。
「ほら、これ」
趣味の悪い執務室に立体映像が展開し、無数のアンドロイドのバストアップ写真が現れる。
それぞれ耳の横あたりにはインフォメーションウィンドウが浮かび、ゼロを数えるのが面倒なほどの金額と「wanted」という文字が書かれていた。
そのうちの1つが滑るように俺の前で拡大される。
詰襟の軍服を着たリリィである。
表情はキリッと引き締まっていて、軍帽からは綺麗な亜麻色の髪が伸びている。
知らない。そんなリリィを俺は知らない。
「重ねてみましょう」
軍服のリリィの胸像に、この部屋に入ってきたときの派手な格好をしたリリィの立体像が重なる。
AIの処理によってポーズと表情が多少動かされ、2つはピタリと一致した。
鼻の高さも、目の位置も、口の幅も、全部。
「アンドロイドの顔は作り物だ」
「あらやだ。BLACKは全く同じ顔のアンドロイドを作らない方針でしょ」
「じゃあ、誰かが整形したんだろ」
「この手配書には特徴もメモされているわ。二の腕の
「無損傷の場合は15億と書いてある。7億じゃなかったのか?」
「8億はアタシがもらう手数料。先生じゃ、このブローカーのサイトへアクセスできないもの」
「
クソッタレが。
深読みし過ぎて裏目を引いた。
こんな展開が待っているなんて誰が想像できる?
俺の腰はソファから半分ほど腰が浮いている。
さっさと胸糞悪い野郎に一発ぶちかまして逃げ出したい。
「これだけの値段がつく理由が理解できないな」
「それはあのアンドロイドが
「ホワイト?」
「そう。BLACKに犯されていない純血種。真っ白。つまりは独占メーカーの商品ではない……売り物ですらない」
「フレッド、やけに詳しいな」
「そりゃアンドロイドで商売しているんだもの。先生みたいに技術的な詳しさだけじゃ食いっぱぐれるわ。世界が求めているのはリアリティじゃなくてレアリティなの」
目が血走っていて、明らかに興奮している。
まずいな。パンチをかます以外の方法で、どうにか落ち着かせないと。
けど交渉が下手くそな俺じゃ案が出てこない。
「親愛なるフレッド。匿ってもらう件はOKしてくれたな? リリィの売買については明日、ゆっくり話そう。生憎と疲れていて判断ができない」
「いいわ、先生。お部屋もお食事も用意させる。いい返事を待っているわ」
「じゃ、明日の同じ時間で」
座面から尻が離れ、もう1度フレッドと握手する。
もしも俺にリリィ並の握力があれば指の骨ごと粉々にしてやりたい気分だ。
俺は呼吸を落ち着け、顔面体操をし、どうにか平静を装って部屋を出る。
ちょうどドアから出た正面にリリィが立っていた。
ジッと俺の顔を見上げている。
眉の端が少し垂れ下がっていた。
落胆の色である。
もしかして、フレッドとの会話を聞いていたのか?
やらかした。
リリィの耳が指向性マイクのような機能を持っていたら、十分に考えられる。
そんな装置は普通のアンドロイドにはついていない。普通は。
俺が宥めるための声をかけようと口を開いた途端、リリィは踵を返して駆け出してしまう。
「おい、どうした!? 待て!!」
背中が遠くなる。
通路の突き当たりで、リリィは1度だけ振り返った。
すぐにまた走り出した彼女を俺は完全に見失ってしまった。
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