第8話 廃墟は男の浪漫だろ?
裏の界隈であいつは『
勿論、良い意味ではない。他人を食い物にする。
往来で話題にできないような商売をして(俺も似たようなモンだけど)、独自のネットワークを築いていた。
以前に「尻の穴を差し出せ」としか読み取れない内容のグリーティングカードを渡してきたので直に会いたくない。
仕事のときはいつも電話越しだ。
けれど背に腹は変えられないため、そのカードをアンダーネットのトラッシュボックスから回収し、書かれていたアドレスにメッセージを送る。
たった2分で返事があって、その15分後にはオーダーしたものが病院に届いて背筋が凍った。
jungleのネット通販だってもっと時間かかるぞ……
「ナツメ博士、彼らは一体なんだったのでしょうか?」
シティコミュターの窓から、物珍しそうに外を眺めていたリリィは突然切り出してきた。
股と同じ長さのスカートに、パックリと背中の開いた紫色の衣装である。
リリィの持つ少女らしい雰囲気を淫猥に塗り潰しており、これを選んだフレッドのセンスを呪う。
今時、こんな露骨な服は
そもそも髪の毛の色とも合ってないじゃないか。
俺とリリィのボディサイズを教えて「娼婦街で目立たない格好を」と伝えたのが運の尽きだ。
なお、俺の方は成金趣味のスーツである。本気でどんなセンスだ?
「さっき車から降りた連中のことか? あいつらは囮だよ。フレッドに雇ってもらった」
服のデータを通販し、病院の3Dプリンターで出力して外へ出たのは1時間ほど前になるだろうか。
なるべく「変装していますよ」と言わんばかりのコートと帽子を選び、リリィにもそれを着せた。
すぐにロータリーへ向かい、フレッドが用意してくれたシティコミュターに乗って中で待機していたアンドロイド2体と服を交換している。
そいつらはちょうど俺とリリィに似た体格で、墳墓から少し離れた場所で降りていった。
そこから尾行を想定して乗り換えること数回。
えらく遠回りして娼婦街を目指している。
「フレッドという方は、どのような人なのでしょうか?」
「お前さんは心配しなくていい。機械とはいえ女だからな」
「男性の場合は心配事があるのですね」
「あぁ、そうだ。特に後ろが……」
「後ろ?」
首を傾げるリリィに「なんでもない」と投げて会話を切った。
俺にそんな趣味はないし、そっちの貞操は守り通しているし、根掘り葉掘り聞かれても答えようがない。
「えっと、そんなに外が珍しいか?」
「はい」
話題を変えよう。
四角い箱の四隅にタイヤを付けたシティコミュターは8人乗りの公共自動運転車だ。
行き先を告げれば客ごとのリクエストから最適のルートを構築して走るし、荷物も1人につき30キロまで持ち込める。
なお、アンドロイドは荷物扱いではない。
市民税さえ払っていれば無料で利用できるから便利だ。
いや、税金で賄っているわけだからタダってわけじゃないな。
俺の場合はゴニョゴニョして金を払わず乗れるけど。
実用一辺倒でスピードは出ない。
味気ない車両ではあるものの、坂口が自らハンドルを握る高級車よりはずっと居心地が良かった。
この車輌は俺とリリィしか乗っていない。
そういうシチュエーションを商品として用意できるのもフレッドの強みだろう。
「ナツメ博士、質問をしてもよろしいでしょうか?」
「フレッドのこと以外ならいいぞ」
「街が破壊されている理由を教えてください」
真っ平で面白みのない透明樹脂の窓。
その外には朽ちたビルや、錆びた看板や、抉れたアスファルトが広がる。
陸の上にかかった橋は途切れ途切れになっていて、昔は「シュトコー」とかいう妙な名前で呼ばれていた。
3月末。
肌寒い空。
耳障りなモーター音だけが辺りを支配していた。
「そういえば、お前さんが屋外に出るのはこれが初めてだったな」
「はい。わたしが知っている場所は応接室と給湯室と廊下と、あとはヒバナさんの家だけです」
「本当はもっと学習してから外に出すつもりだった。ヒバナのとこでも
ロールプレイに自分で苦笑いが溢れた。
ジッと、真っ直ぐな目のリリィは俺を捉える。
子供の内側から湧き出てくる興味を押さえつけても仕方ない。
AIの成長の枝葉は俺の知らないところへ伸びている。
もともとルーズな人間が管理できるものでなかった。
厳密な環境に、緻密なスケジュール。
積み重ねたバックアップ。
ヤクザに貸してもらった手狭で不便な実験室レベルでは到底それに及ばない。
「フワフワな思いつきで行動するもんじゃないな」
「?」
「いや、なんでもない。お前さんの質問に答えよう」
道路だけは整備されていて、瓦礫だらけの街の中をつないでいる。
商店や住宅のある街区はこんな雰囲気じゃなくて、ちゃんと「人がいる!」って感じだけどな。
「戦争があって、爆弾が落とされて、みんな吹き飛んだ。もう50年も前の話だ」
「ここはなんという街だったのですか?」
「東京」
「わたしが本で読んで知った東京とは違います」
「著作権切れてたからな」
このとき、リリィが落胆したように見えた。長い睫毛が下を向いている。
もうちょっと詩的な格好をしていれば絵になったのに惜しい。
「今じゃ日本の首都は千葉県船橋市だ。ハッピーマウスを知っているか? あの耳の大きなネズミのマスコット。あれがいる東京ハッピーランドに都庁が建っている。でもテーマーパークでもあるんだ」
「千葉県なのに東京なのですか?」
「あぁ、そうだ。そういう伝統があるのさ」
「飛地というわけですね」
面白い解釈をする。
俺も子供の頃は疑問だったけど、もうそんな余計なことを考えることもなくなった。
「お前さん、この廃墟が東京だと分かってガッカリしたな。どうしてだ?」
今度はこちらが聞いてみよう。
百合の君は何を思っているのか?
「東京タワーです。本で知って、見たいと思いました」
「スカイツリーじゃなくて?」
「スカイツリーとは?」
「いや、ちょっとした
睫毛がピンと上を向いた。
小さく開いた口が何かを告げようとしている。
俺は柔らかい表情を心掛けてリリィの言葉を待つ。
「あの……ナツメ博士。見に行ってもよろしいでしょうか?」
「何を?」
「東京タワーの土台です」
「いいとも。その前に山積みになっている問題をなんとかしないとな」
シティコミュターはピンク色のけばけばしいネオン(昼間から点灯している。電気の無駄だろ)のゲートを潜り、そのネオン以上にけばけばしい看板が乱立した街区を通る。
立体映像ではなく平面の板に描かれたアナログなヤツだ。映像の猥褻物を表に掲示すると行政に処罰されるから電気を使わない……という理由がある。
そこに並ぶ語句は卑猥でいて知性が感じられない。
ギリギリの品格を保って超訳すれば「この店には安い穴がありますよ」か。
我ながら最低の思考回路である。
こんなアビスに自分も加担しているのだと自覚した途端に気が滅入ってきた。
俺がウィルス・プログラムを注入した
「リリィ。俺が許可するまで目を瞑ってくれ。外は見るな」
「わかりました。ところでナツメ博士、あの看板にあるフリー……なんとかジョブというのはどういう意味なのですか?」
「お前さん、英語は読めるのか?」
「自身のシステムを参照する限り、使用言語は日本語に設定されており変更できません」
「ならいい。あの文字列は忘れろ。後で調べたりするな。さ、目を瞑れ」
「はい」
素直でよろしい。まるでスポンジだ。
それだけに、ヘドロを吸い込ませるような真似はしたくなかった。
既に手遅れな気もするけど。
目蓋を閉じたリリィを退屈させないよう適度に話題を振っていると、ようやくフレッドの店が見えてきた。
築100年の居抜き物件で元々は家電量販店だったらしい。
それなりに立派なビルなのに今じゃ性癖を売ってるのが笑える。
「食われないようにしないとな」
尻を引き締め、リリィの手を引いて俺はシティコミュターを降りた。
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